1初めての好敵手

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1初めての好敵手

「あなたが一ノ瀬弓月?」  彼女は、ある日突然現れた。四月の始め、会社の前の桜並木がちょうど華やかに咲き乱れている頃。その花たちを一気に舞散らす風のように、勢いよく弓月の日常に飛び込んできたのである。  彼女は、白く綺麗な手で弓月のデスクをどんっと叩いた。その衝撃と唐突な問いかけに、弓月は思わず顔を上げる。 「え、ええ......一ノ瀬弓月は僕ですが」  若干身を引いて、弓月は問いを肯定する。そこで、初めて彼女と目が合った。真っ直ぐこちらを見据える澄んだ漆黒の瞳。こちらに身を乗り出している彼女の肩から、同じように綺麗な黒い髪の束がわずかにさらりと滑り落ちた。弓月は、思わず息を呑む。 「......あの、僕に何か用ですか」  彼女は、初めて見るような綺麗な女性で、それなのに、このまま見つめられていたら吸い込まれてしまいそうで怖かった。弓月はその顔に微笑みを張り付けて、彼女に尋ねる。すると彼女は、スッと視線をそらした。オフィスの窓の外、桜が舞う景色。彼女が視線を移した先にあるものを認めて、弓月は少し肩の力を抜く。 「綺麗ですよね、桜。この席からだと、こうして仕事中に眺められるので、気に入ってるんです」  弓月は、優しい声でそう話しかける。しかし、彼女はしばらく沈黙を解かなかった。オフィスに流れるなんともいえない微妙な空気に、弓月の微笑みは少しぎこちなくなる。突然飛び込んできて、自分が一ノ瀬弓月かどうかを確認してきたのは彼女なのに、なぜ黙るのか。 不条理な気まずさを持て余しつつ、弓月は仕方なく立ち上がった。 「......そこ、もしよかったらおかけになって下さい。今お茶用意してきますので」  彼女はアポイントメントも取っていない突然の訪問者だ。通常なら追い返すのが筋だが、弓月はそうはしなかった。弓月は、彼女が誰かを知っていた。一度も会ったことはなかったが、いつか会ってみたいと思っていた人——彼女の名は、佐倉希美だ。世界的巨大 IT 企業、SIX STORY 所属のシステムエンジニアである。  この業界で彼女を知らない人はいない。それは、最城の外れに本社を構える社員 50 名以下の零細企業に勤める弓月も同じだった。 弓月は、希美の側をさっと通り過ぎて、給湯室に向かおうとする。しかし、部屋を出ようとした瞬間、 「気遣いは無用です」 という強い声に呼び止められた。 「......はい」  弓月は立ち止まって、希美の方を振り返る。彼女は、真っ直ぐにこちらを見つめ、囁くように聞いた。 「あなたになら、壊せる?」 「......えっ?」 「これ。一ノ瀬弓月になら、壊せる?」  希美は、床に置いていた鞄の中から PCを取り出した。彼女は弓月にそれを押し付け、真剣な眼差しで弓月を見据え続けた。 「壊すって......PC のことですか?」  混乱した弓月が聞くと、希美ははぁと溜息をついて、不機嫌そうに言った。 「PC じゃない。“私が”、“あなた”に頼んでるんだから分かるでしょう」  強調された二つの言葉。弓月は、受け取った PC に目を落として、また希美に視線を移す。 二人の間に、先ほどとは違う緊張感のある沈黙が流れた。しばらく黙ってから、弓月は静かに聞いた。 「......これはどういった種類でしょう」 「機密データ保護用のファイアウォール。さらっと書いただけのプログラムだけど」 「なるほど」 「あなたになら、壊せるわよね」  希美が念押しするように聞く。弓月はそれには答えずに、PC をデスクに置くと、自分の PC を起動させた。弓月の動きを、希美は目で追う。しばらくPCをチェックしていた弓月は、強い声ではっきりと告げた。 「15 分、頂ければ」
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