5天才ハッカーVS.天才SE

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5天才ハッカーVS.天才SE

「弓月さん、もう帰りましょうよ。また明日やればいいじゃないですか」  薄めのコートを羽織り鞄を持った状態で、第二技術班メンバーの佐古は、ドアの前に立ち尽くしてリーダーのことを呼んでいた。 「俺、先帰っちゃいますよー。ねえ、弓月さんったら。いいんですか?」 「……うん。お疲れ様」    PCの陰に埋もれたまま、弓月が声だけで返答する。そんな彼の様子に、佐古は肩をすくめて言った。 「あんまり遅くなり過ぎないでくださいね。今宮君がそろそろキレますから」  このところ、弓月は残業続きだった。第一技術班がJuneの新たなプログラムを出してきて以来、弓月はまるで囚われてしまったかのように、毎晩毎晩遅くまでPCとの睨み合いを続けているのである。 総務部の新人社員である今宮は、そんな弓月の勤務体制に対しずっと苦言を呈していた。もし今日も弓月が遅くなれば、穏やかそうに見える新人君もさすがに怒るかもしれない。  しかし、弓月は佐古の言うことなど気にも留めない。生返事でまたPCに意識を戻してしまう弓月に、佐古は説得するのを諦めて、静かに部屋を退出した。  弓月は、画面上に並ぶおびただしい数の英語や数字を、前屈みの姿勢で読み続けている。一見ランダムに並んだように見えるそれらが、弓月の破壊すべきコードだった。  画面をスクロールする手、キーボードを叩く手が、はやる気持ちに追いつこうと必死になっている。希美のコードは、やはり弓月にとって夢のような世界だ。その中に居る間は、それ以外の全てを忘れてしまう。 (そう遠くはないはずなんだ……。後一つ、何かキーを見つけられれば……)  一層の集中力を注いで、画面を見つめる弓月。しかしその時、入口でどんと低い物音がして、弓月はハッと顔を上げた。 「佐古君? まだ居るの?」  特に誰の姿も見当たらないドア付近に、弓月が声をかける。すると、ドアの陰から聞こえてきたのは、悲鳴めいた「すみません……!」という希美の声だった。 「……佐倉さん?」  弓月は怪訝そうに名前を呼ぶと、立ち上がってドアへと歩いていく。 「何かありましたか? 大丈夫ですか……?」  陰を覗き込むと、希美はしゃがみ込んで落とした鞄を拾っていた。弓月はすっと隣に手を伸ばして、鞄から飛び出た携帯とポーチを拾い、希美に渡す。 「すみません。ありがとうございます……」  希美は小声で言って、それを受け取る。下を向いていたせいで、彼女の顔は髪に隠れてよく見えない。しかし、受け取ったものをまた鞄に入れ直すその手付きからは、明らかに動揺が読み取れた。  その瞬間、弓月の脳裏に、いつかの昼休みに松井が言った言葉がよぎった。なぜ今……と、弓月は心の中で溜息を吐く。松井はああ言ったが、弓月は彼女の言葉をほとんど信じていなかったのだ。  右手で髪を耳にかけ、パッとこちらを見上げる希美。彼女の不安げな瞳の綺麗さに、弓月は思わず目線を逸らす。  この人に、自分が釣り合うはずがない。  それが、弓月の意見だった。  初めて会った時から、綺麗な人だと思っていた。女優かなにかだと言われても納得してしまうほどのスタイルと整った顔立ち。長い艶やかな黒髪や、淑やかな仕草も、全てが完璧で隙が無い。表情には乏しい彼女だったが、弓月は彼女のそんな瞳が好きだった。プログラムと向き合っている時、前髪をよけたその一瞬に除く冷静で真剣な視線。その中に、彼女のプライドや信念が透けて見えた時、弓月はいつも思わず息を呑んでしまう。  希美が組み立てるコードもまた、彼女自身の如く美しかった。それに魅了されていないとは、弓月も決して言えない。ただ、だからと言って彼女自身に好意を抱くとか、抱かれるとかは、全く別物な気がするのだ。もし希美が誰かを好きになるとしても、彼女に隣に立つのはきっと、自分よりも彼女にふさわしい人間になるはずだ。自分では、合わない。違和感しかない。
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