二話 片想いしか知らない

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 その晩も女を抱いた。  嶺に初めて酒を奢った客・千恵だ。  年増のくせして、凄い性欲だな。と内心では思いつつ、にこやかに笑ってみせる。求められるままに、抱く。  この行為に意味があるとすれば、『思考の停止』。ただ、それだけだ。  千恵は珍しく隣で眠っていた。大体、事後はさっさとシャワーを浴びてホテルを出るくせに。今日はどうやら疲れているらしかった。  規則的な寝息を立てながら裸で眠る千恵を、麗は何の感情も無く見つめる。程無くして、急に空腹を感じたので、「今日はオレが先にホテルを出てみようかな?」なんて閃いた。  が、抱いた女を置き去りに、しかも挨拶もせずにホテルを後にするなど、紳士―――バーテンダー・麗、のすることではないだろうなと思い直す。  仕方無しに身を起こし、シャワーを浴びることにした。  シャワーに全身を打たれながら、空腹のせいか考えていたのは例のファストフード店でした思案のことだった。 (オレも付加価値の塊みたいなものだ)  シャンプーをするでも、身体を石鹸で擦るでもなく、麗はただただ思考した。 (『(おれ)』そのものの価値がどんなに低くとも、皆、気にならない。誰もオレの本来の価値なんてどうだっていいんだ。用があるのは、オレの付加価値の方。そう、例えば、『ステータス』とか『優越感』とか、そういうやつ)  いつもにこやかに笑うその笑顔の下で麗がこんな表情(いちめん)を見せることを、リュウ以外の誰も知らない。  麗は、リュウ以外に誰にも興味がない。  そのくせ、『誰か』無しでは生きられない。  演技し、騙し、時に騙されたフリをし、好きなように抱かれ、又は抱き、そうしてこっそりと利害を一致させては快楽に溺れる。それ無しでは、もう自分を保つ術を知らなかった。 『バーテンダーの麗』は、美しく気さくで、軟派者。誰でも抱くし、誰にでも抱かれるが、恨まれない。そういうキャラクターで成り立っている。バーテンダーという職業も多少は免罪符になっているように思う。  抱かれようとする者達は、大体皆、本気ではない。  彼氏が居たり彼女があったり、子供が居たりする。皆、都合がいいので、麗と寝る。  麗は勿論、そんなことに一々孤独を感じたりしない。  麗を孤独にさせるのは、世界でたった一人しかいない。  はあ、と息を吐く。  身体が充分過ぎる程温まってやっと、麗はボディーソープに手を伸ばした。 (……………光子)  喉につっかえた魚の骨のように。いつも唐突にその名前が頭に出てきては、もやりとする。  自分を見て泣いた二十歳の男のことを思う。  光子ってどんな女なのだろうか。  嶺はそんなにその女を愛しているのだろうか?  愛って、なんだ? 「…………ふふ」  黙々と泡だらけにした身体を、またシャワーでさっと流す。 「………なぁんか、疲れたなぁ……」  自分が本当に“光子”だったら。  こんな惨めな思いを知らなかったのだろうか。  ただ一人に真っ直ぐ愛されることを。  自分の愛が実った時に感じる幸せを、麗は知らなかった。  
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