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嶺が卵とじカツ丼、那智が日替わり弁当と味噌汁を二つ買って部室に戻ると、部屋は冷え過ぎなくらいに冷えきっていた。
「さぶっ…!」
「え? 丁度よくね?」
「嶺さんは相変わらず、夏は暑がりの冬は寒がりですよね」
「そうそう。ワガママボディーなのよ、俺」
「………」
ごくりと生唾を飲んだ那智に気が付かず、「なんか言えや」と嶺は隣に立つ那智に軽くパンチし、先に畳へ上がった。やっぱり畳の中央辺りにドカリと腰を下ろし、胡座をかいて生協の袋から使い捨ての丼を取り出す。
那智も遅れて畳に上がり、部室の端っこに置いてあるケトルを取り、洗面台で水を入れてコンセントを差す。
そこでやっと嶺の隣に腰を下ろして弁当を取り出した。生協にある電子レンジで温めているので、容器が程よく温まっていた。
「bar・oblio、と」
「行儀が悪いぞ」
那智は弁当を食べながら空いている左手でスマホを操作し、嶺が始めたバイト先の情報を早速収集し始める。
「あっ、めっちゃ雰囲気あるバーじゃないですか!」
「だろ?」
「此処で嶺さんがバーテンを?」
「似合うくね?」
「大変善きですっ!!」
那智に行儀が悪いと指摘していながらも、始めたバイト先を褒められ、羨望の眼差しを向けられると、嶺も得意顔でにやにやと笑う。那智は一通りホームページを閲覧すると、口コミの検索に移った。
と、ケトルでお湯が沸け、一旦作業を取り止めて味噌汁二つ分にお湯を入れた。
「二個も飲むの?」
「一個は嶺さんの」
「俺の?」
目を丸めた嶺だったが、「そろそろ、冷えてきたでしょう?」と図星を突かれ、破顔した。
「いつも冷房の温度下げ過ぎて、仕舞いにはくしゃみするでしょ」ーーー那智が味噌汁を渡しながら言う。
「よく分かってらっしゃる」ーーー笑い顔のまま、嶺がそれを受け取った。
那智は満足げに笑って、弁当を食べる事と検索を再開した。
口コミは軒並みの高評価。店の雰囲気を絶賛する投稿が多い中、同じくらい、バーテンのかっこよさについての熱いレビューも目立った。
「……女性のバーテンはいないんですか?」
「え? さあ、どうだろ。マスターとあいつしか顔知らねぇや」
「あいつって、光子さん?」
嶺が光子のことを「あいつ」とそうやって忌々しげに呼ぶことが意外で、那智は首を捻った。嶺がバイトを始めたことやそれがバーだったことについ、焦点を当ててしまったが、そう言えば本題はそっちであった。
レビューにまた目を移す。マスターはイケオジで、あとはカッコいい若いバーテンが二人。基本的には、マスターとバーテン一人が日替わりで、カウンターは二人で切り盛りしていると書いてある。
麗美なバーテンダーの名前が[[rb:麗>れい]]。もう一人は、一番新しいレビューで「最終日」と書いてあるから、もう辞めているようだった。
「………レイ」
「………なんで、名前……」
「レビューに名前が」
「………」
麗目当ての客もかなりいるようで、そうだと知ると、「麗」と言う名前が出てくる書き込みばかりなのに気が付く。
「はぁ……かなりモテるみたいですね、光子さん」
「……光子じゃない」
「麗、さん」
不服そうな顔をする嶺に、那智はその心情を考察した。やっと巡り逢えた光子の魂だ。そうして巡り合った二人は、きっとまた恋に落ち、結ばれるものだと、そう思っていた。那智よりもきっと嶺の方が強く、そう確信していただろう。
(………過去の恋愛だったと割り切って、新しい恋に、とか?)
那智は知っている。嶺は、今も昔も、ノンケである。
如何に光子の魂を持っていたとしても、男である。嶺は“光子”を諦めるだろう。それはそうだろうとしても、その嫌悪のしようは、「光子の現世が男だった」と言うだけでは説明がつかない気がした。嶺は理不尽な男ではない。性別なんてこちらが選択できないものを、麗の非にして怒るような人間ではないはずだ。
「……なんで、麗さんは光子さんじゃないんですか?」
「あ?」
変な言葉選びをしてしまった那智に、嶺はやっぱり怪訝な顔をした。丼はすっかり平らげており、味噌汁を飲みきった後だった。
割り箸の入っていたビニルから爪楊枝を取り出しながら、嶺は不自然な無表情でその理由を語る。
「……男だったのは、別にいいんだ」
「……ええ」
「恋人は駄目でも友達になれたかもしんない。けど、あいつは、その可能性すら無い」
「何故?」
一呼吸分の沈黙。
「………見境無い、タラシ野郎だからだっ!」
そこで嶺の無表情は崩れ、嫌悪が顔に出た。那智は面食らって目を瞬いた。割り箸で掴んでいた卵焼きが、箸ごと落ちる。
「え、あ、………え?」
「とんだヤリチン野郎だ」
「…………え?」
「あいつが光子なわけ、無い!」
魂が光子でも、記憶が無いならそれは別人だ。と、嶺は結論付けたらしかった。
那智は狼狽した。気高い光子と、ヤリチンと言う言葉は確かに結び付かない。とんでもない女ったらしで、嶺にこれだけ嫌悪されているのだ。万が一にでも、嶺がまた光子の魂を好くことは無いのだろう。そこでやっと、那智は安堵した。
否、その安堵にきっとどれ程の意味もない。
「………あ、そう……だったんですか。えっと、」
嶺の感情を量る。
かつて自分が愛で、愛し合っていた妻が、ーーー男に転生していたとはいえ、ヤリチンだったとは………浮かばれない。それは、憎らしくも思うだろう。彼女の魂を汚されたと、恐らく、そう思ったのだろう。
「………那智は、」
「はいっ?!」
言葉を選んでいる内に、嶺がポツリと言葉を落とした。
「………那良之助」
「!………なんでしょう、嶺蔵様」
他に誰もいないことを良いことに、互いしか知らぬ、懐かしい名前を呼び合う。
「お前には、記憶があって良かった」
深い安堵のような、それは、寵愛と変わらぬ言葉だと思った。優しい顔で、嶺が言う。
那智は涙こそ溢さなかったが、その感動の表し方を決めあぐねていただけで、内心では歓喜に叫んでいた。
「……いつまでも、お供しますよ。例えそれが、時代を越えたとしても」
「ふ、」
嶺はまた笑った。今度は、先ほどの柔らかい笑みではなく、口元を不敵に吊り上げる。
「……して、次のシフトはいつですか、嶺さん」
コロリと空気感を変えて目を輝かせる那智に、嶺はガクッと肩を下げた。
「………今日、だけど……」
「絶対行きますね!」
「いや、来んなよ」
念押ししたが、さて、どうか。
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