一話 最悪な出逢い

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 カランカラン。  ベルが鳴る度、ハッと扉の前に立つ客の顔を見て、ホッと胸を撫で下ろす。 「どうしたの? 君を追い掛けて、オバケでも来店する予定があるの?」 「んなわけねぇじゃん」 「はー、可愛くない餓鬼」  端麗な顔立ちの男が眉間にシワも寄せずに言うと、クスクスと女性達の笑い声が聞こえた。ハッとそちらに目をやると、直ぐ目の前に座っている女性の二人客が忍び笑いをしている。 「麗のそんな声、初めて聞いた」 「ねー! 素の麗って感じで、いいね。よくやった、新人クン!」  パチパチと訳の分からぬ称賛の拍手を受け、嶺は戸惑った。 「ふふ。早速受け入れて貰えて光栄だけど、嶺くん、言葉遣いは気を付けてね」  そこに、オーバーオールのイケオジが現れる。ひぇっと、女子達が息を飲んだ。確かに、バックには薔薇を背負っているような色気が漂っている。それが、狙っているわけではなくて滲み出ているのだ。胸元がはだけているわけでもないのに。渋さが増す程、色気になる。理想的な歳の取り方である。 「………マスター」  貴方ハ誰デスカ、と“営業スタイル()”のマスターを見た瞬間の第一印象はそれに尽きた。面接の時のチャラついた雰囲気とまるで違う。オンオフをきちっと分けるタイプなのだろう。……分け過ぎて、狂気のレベルである。 「リュウさん、昨日居なかったですね」  俺がマスターに向かって文句の一つでも言う前に、女子達がキラキラした眼差しのままにマスターに話しかけた。此処では麗の方が軟派なので、如何に端正な顔立ちをしていたとしてもお高く止まっておらず、マスターの方が喋れたらラッキーなレアキャラのようだった。 「ええ。ちょっとドジっちゃってね。そんなことより、昨日も来てくれたんだ? いつもありがとね」  にこり、と女騙しの営業スマイルである。女子達の内心の歓喜の悲鳴が聞こえてくるようだった。 「マスターは本当に突然過ぎる。新人教育から全部、昨日はオレが一人で回したんですよー」  麗が作ったジト目でマスターを見る。普段のチャラいモードのマスターなら「あーごめんごめん! 助かったわ!」とへらへらと笑ったのだろうが、仕事モードのマスターは「ふふ」と品のいい笑い方をして、「本当に、麗にはいつも助けられてるよ。ありがと、ね」と柔らかい微笑みを浮かべた。小首なんて傾げてみせる。  意外にも、麗はそれ以上の苦言を言わなかった。嶺のように、「うげぇ」と思ったのかもしれない。  その心情を確かめる為に嶺は麗の方を見たが、麗は何故か仏頂面であった。  カランカラン。  ベルが鳴り、マスターを含むバーテンダーはこぞってそちらに注目した。「いらっしゃいませ」と、雰囲気を壊さない程度、けれど勿論、入り口のお客様に聞こえる大きさで声をかける。  遂に知人が訪ねてきたのかとドキッとしてそちらを見たが、今回もよく見知った姿の客では無くーーと言うか、那智では無く、ーー嶺はホッと胸を撫で下ろす。  新規の客は白髪のご老人だった。しかし、その品の良さは着ているスーツからも窺い知れる。明らかに、嶺が接客するには不釣り合いな客だった。  目の前の女性達に断りを入れ、マスターがさっとその老人の座る席の前へ移動した。直ぐに談笑を始める。常連客なのかもしれない。 「はぁー。ほんっとこの空間、癒されるわー。新人クン、カクテル作れる?」  その老人が座るまでの一連の流れを静かに見守っていた嶺は、そこでまた目の前に座る女性客達へ目を移した。 「え、あ、いや……」  カラになったグラスをコトリとカウンターに置いて、バッチリめかし込んだ女が嶺を見る。目力が強い。真っ赤に引かれた紅にドキドキとしてしまう。 「正真正銘、昨日からだから。まだ無理ですよ、千恵さん」  麗が朗らかに笑って答える。  今日、彼女達は自己紹介をしていなかった。名前を知っていると言うことはそれなりに常連なのか? 嶺は麗をまじまじと見た。ーーーー見て、その横顔の美しさに目を背けてしまった。 「えー? でも、練習してるんでしょ?」 「えっと、……オープン前に、少し」 「じゃ、私ので練習していいよ。テキーラ・サンライズで。ついでに、新人クンのバイト記念に一杯おごるよ。何が好き?」 「え、あ、えーと……」  こういう場合どうしたら良いのか分からなくて目が泳いだ。最終的に麗の姿を捉えて、「どうしたら?」と目線で問う。麗はにこりと営業スマイルを浮かべて、「千恵さん、ありがとうございます」と目の前に座る千恵にお礼を述べ、それから嶺の方を向く。 「良かったね、嶺」  そこで、お客さんからのご厚意は受けていいのだと認識した。 「じゃあ……ジントニックで。ありがとうございます」  ペコリとしっかり頭を下げると、「いいのいいの。嶺クン、可愛いね」と千恵はカラカラと笑った。そんな千恵に、嶺は再度深々と頭を下げた。 「さて。テキーラサンライズだけど」  麗がその作り方について教えようとした時には、嶺はグラスに適量の塩をつけ、氷を三つ、細長いグラスと中へと入れていた。  麗が目をぱちくりとさせている間に、そんな麗にも気が付かない程の集中力で、嶺は棚から的確に白テキーラを選び取り、シェーカーに氷を入れた後に適量注ぎ入れた。それから、生搾りオレンジジュース。  三回のシェイクでそれを用意していたグラスに注ぐ。 「麗さん、この店ではオレンジを飾るんですか? それとも、チェリー?」  赤いグレナデンシロップを注ぎながら、真剣な顔で嶺が言う。オレンジのジュースのようなそれの一番下に赤が入る。麗はやっぱり拍子抜けたままだ。 「え、ああ……どっちでもいいけど……」 「千恵さん、どっちが好き?」 「え、ええ、じゃあ……チェリーで……」  麗は勿論、千恵もその友人もあんぐりと口を開けている間に嶺はグラスにチェリーを飾り、スッと丁寧な所作で千恵の前にテキーラサンライズのグラスを置いた。 「テキーラサンライズです」 「あ、ありがとう……。驚いた、シェーカー、使えるの?」 「あ、少し練習させて貰ったんで……」  そんなものなのか、と目を丸めつつも納得する千恵に対して、麗は勿論、この嶺の異常さに気が付いていた。  まず、バックバーにこれだけ豊富な酒が並んでいるのに、嶺は少しも迷わずに白テキーラを選び取った。それは、バイト二日目ではあり得ない程優秀な行いであった。 「………バーで働いたこと、無いんだったよね?」  麗はまだ信じられないものを見た顔で嶺を呆然と見詰めていた。嶺はそれが何故の質問かわからないようで首を傾げながら、「ええ」と肯定する。 「あ、ジントニック!」 「いいよ。ジン・トニックはオレが作る」  言うなり、麗は少しも無駄の無い所作でグラスに氷を注ぎ入れると、ライムを搾り入れた。続いてベースとなるジンを注ぎ、トニックウォーターを入れる。バースプーンで少しだけ混ぜる(ステアする)と出来上がりである。  目を見張る速さ。正確さ。美しさであった。  それが目の前に置かれると、改めて嶺は気が引き締まる思いがした。 「じゃあ、嶺クンとoblio(オブリーオ)の出逢いに、乾杯」 「あ、ありがとうございます!」  千恵が少しだけグラスを掲げると、嶺もそれに従った。グラス同士はぶつけずに、二人は同じタイミングでグラスに口を付ける。  広がるジントニックのさっぱりとした香りに、ほうっと暫し癒された。 「……くぅーっ! ジントニックは、やっぱ旨いな……」 「嶺。もう少し、バーテンダーらしく振る舞いなさい」 「あっはは! いいのよ、嶺クンはそのままで!」  溢れた本音を、麗が嗜め、千恵が笑った。 「留美さんは何飲みます?」  そこで、千恵の隣に座る女性に麗が声をかけた。千恵に負けず劣らず、完璧な化粧を施した女性だった。白いシャツにタイトなスカートを履いていた留美は、胸元の開いた服に黒のレースのスカートを履く千恵とはタイプが違い、清楚な感じがする。 「じゃ、私もテキーラサンライズで」 「かしこまりました」  注文を受けると直ぐ、麗もグラスに塩を適量つけ、氷を入れた。違うのは、シェーカーを使わなかったことである。テキーラとオレンジジュースを注ぎ入れると、バースプーンでステアし、濃い赤色のグレナデンシロップを少量入れる。それから、綺麗なグラデーションが出来るようにバースプーンで優しく上下に混ぜた。仕上げに、オレンジを添える。  出来たのは、確かに、テキーラ・日の出(サンライズ)。 「お待たせ致しました。テキーラ・サンライズです」  その美しさに、嶺はほぅと息を吐いた。 「ありがと」  留美はにこりと微笑むと、その色合いを目で楽しみ、それからやっとグラスに口をつけた。 「美味しい」 「ありがとうございます」 「嶺クンの作ってくれたテキーラサンライズも美味しいよ」 「あ、ありがとうございます…!」  透かさずフォローを入れ、ウインクをしてくれた千恵に、嶺は再三つむじを見せる程に頭を下げた。  カランカラン。  来客を知らせるベルが鳴る。その度にやはりドキリと扉の方を見るが、見知った顔では無いことに安堵する。チラリと時計を盗み見る。深夜二時半が来そうだ。  きっともう流石に来ないだろう、と嶺はやっと安心して業務に当たる事にした。
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