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ふと目についたファストフード店に入った。
わりと好きな店で、バケットに好きな具材をオーダーして入れてくれるサンドイッチの店である。全国から少しずつ姿を消していると聞いて密かに悲しんでいた。それから、見付けたら入店するようにしていた。
店内は程よい冷房が効いていたが、涼みにさえ客が来ないのか、昼前だと言うのにガラガラだった。店員と麗と、後は女性客が一人。空いてる席が目立つのは、店と全く関係の無い麗でも、何と無く寂しい感じにさせる。
注文を済ませ適当な席に座った麗は、その美人な顔立ちに似つかわしくない大口を開けてサンドイッチを頬張る。野菜のシャキシャキとした歯応え。玉ねぎのドレッシングの香りが広がる。
こんなに美味しいのになぁ、どうして流行らないのかなぁ、と麗の思案はすっかりこのサンドイッチ店の経営についてのものに刷り変わっていた。
(やっぱし、大口開けなきゃ食べれないからかなぁ? カットサービスとかあったら流行る? お値段がちょっとするから、学生に流行らないのが痛いのかなぁ……)
学生に流行る、と言うのはもっとも大事なことだと思う。ファストフード店なんてその最たるものだ。学生の影響力はどんな時代だって凄い。経済を動かすのはいつだって彼らだ。………けど、例えば、麗の働くバーのように。大人だけの、隠れ家のような……特別感さえあれば、また違うだろうとは思う。
(高い商品を如何に適正な価値だと思わせるか、だよなぁ……)
例えば、oblioのテーブルチャージ料は平均よりも割高で千五百円だ。けれど、常連は変わらず常連だし、自分達もそれに見合うサービスを提供していると麗は自負していた。百円のコーラだって千円で売ることが出来るのだ。
付加価値に着目すれば良いと思う。
はて、何について考えていたっけ? と麗が当初の思案について思い出したのは、すっかり腹を満たして自分の借りているアパートの鍵を開けている時だった。
夜を彩るきらびやかなバーの世界とはまるで正反対。築四十八年。二階建てのボロアパートである。
がちゃり、と音を立てて開く扉に、反応する者がいた。
「まぁーた、朝帰りかよ。麗」
「………」
リビングに入るなり、柄シャツに柄のハーフパンツスタイルのチャラい男が座椅子に座ったまま麗を仰ぎ見た。
畳に置かれたローテーブルの上の灰皿には吸殻が一杯になっている。部屋も白っぽく、煙たい。
「………チッ」
「あ、くそ、おーい! 麗ちゃん、今舌打ちしたでしょ!」
「換気しろって言ってるだろ、学習能力無いのかよ、リュウ!」
スパーンと勢い良く窓ガラスを開ける。逃げ場を失っていた煙達が、外へと逃げていく。が、勿論そんなことで染み付いた臭いは消えない。
「加齢臭最悪な上、アル中のヘビースモーカ。行き遅れ男とか、ほんっと最悪」
「ぅええ? 言い過ぎじゃね?」
なんかめっちゃ不機嫌じゃない? と涙なんて出ていないくせ、リュウは涙を拭う真似をした。ジュッと灰皿に煙草を押し当てる。
「アレだろ? 生理?」
「オレ、男だけど? 殺そうか?」
「冗談じゃーん! 麗ちゃんったら物騒だなぁ~」
リュウはケラケラと笑いながら、窓際をキープしていた麗の直ぐ後ろに立った。かと思うと、そのまま麗を後ろから抱き締める。
「…………何の真似?」
「んー? いや、反抗期かなぁーって。ハグよ、ハグ。なんだっけ? オキシトシン? とか、出るんじゃね?」
「臭い。寄るな」
「ひッでぇなあ~。俺だって傷付くこともあるんだぜ?」
暴言を吐くくせ、麗は抵抗らしい抵抗を見せなかった。リュウの軽口にも何の反応も示さない。
少しの間、二人の間に沈黙が落ちる。
「……………リュウ、オレさぁ。いきなり新人任されるし、ずっとopen~lastまででさ。めっちゃ疲れてるんですよね」
「おー。そうだなぁ~。よしよーし! 麗ちゃんはよく頑張ってるよぉ~」
近距離のまま、リュウはわしゃわしゃと麗の頭を撫でた。二人の背丈はそう変わらないのに、リュウはまるで子供のように麗を扱う。
麗は、ぶすっと不貞腐れてまた小さく舌打ちをした。
「…………いつもの、頂戴よ」
「…………うん?」
「…………だから、いつものやつ!」
麗はリュウの柄シャツの襟を乱暴に掴んだかと思うと、自分の方へ引き寄せた。
バランスを崩したリュウと、麗の唇が触れる。触れたかと思うと、直ぐに麗の舌先がリュウの唇を割って入る。リュウもそんな麗をすんなりと迎え入れ、舌を絡み合う。
「……………はぁ、麗ちゃんってば、ほんとお盛んね」
しっかり味わってから、リュウはそんな溜息を溢した。先程の濃厚なキスなんて無かったかのような、普段のおちゃらけた感じが麗をまたカチンとさせる。
もう一度麗の手がリュウのシャツを掴もうとしたが、その前に麗のシャツをリュウが掴み、引き寄せていた。唇だけではなく体同士がしっかりと密接する。
「…………ふぅ、」
また暫し、濃厚な口付けを交わし合う。唇を離せば、直ぐに麗は切なそうな顔になる。
リュウはそれを見て、やっぱりケタケタと笑う。
「麗ちゃんは何歳になっても、可愛いね」
確かめ合うような愛なんて無いのは二人ともよくわかっているのに、二人はそのまま、畳の上に倒れた。
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