真っ赤なピンク

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 いよいよプレイボール。芦田さんはカンフーバットと呼ばれる応援グッズを取り出して乃亜に渡す。どこまでも準備がいい。  芦田さんだけでなく周りもみんな何かしらの応援グッズを持っていて、乃亜は驚いた。  カープの攻撃になると、名物のスクワット応援が始まる。  球場全体がスクワットかと思ったけれど、そうでもなかった。  ネソベリアでは相変わらず寝そべっているし、内野席は座ったまんま。  パフォーマンス席と呼ばれる席と外野席の一部が、立ったり座ったりを繰り返している。  外野席の乃亜がいるあたりは、隣のピザをくれたファミリーと芦田さん、更には前と後ろにいる学生らしき集団が立ったり座ったりしているので、乃亜も立つしかなかった。  でも、何だか楽しい。  選手の名前もルールもよくわからないけれど、応援は楽しい。  そうだ、アイドルやバンドのコンサートの感じに似ているのだ。  だんだん応援歌とスクワットのリズムも掴めてきて、乃亜も調子良く立ったり座ったりを繰り返した。  乃亜は行きの電車で芦田さんから「宮島さん」という歌を習っていた。得点が入ると歌うらしい。  けれど、今日のカープは不調で、なかなか歌う機会がない。 「ちょっとトイレ」  相手の攻撃のタイミングで、芦田さんが席を立った。その間も試合は進み、またカープの攻撃がまわってくる。  芦田さんはいないけれど、ピザファミリーとかわりばんこに立ったり座ったりして、乃亜は楽しんでいた。 その時だ。 「あっ!」 一際高い歓声が上がって、周りが一斉に立ち上がった。 スクワットに夢中で何が起こったかわからない乃亜も、つられて立ち上がる。 グラウンドでは選手がゆっくりとベースをまわっていた。 ホームランだ。 周りはすごい歓声に包まれる。隣のファミリーからも前後の学生たちからもカンフーバットが差し出され、乃亜はあわてて自分のバットでカチカチハイタッチをする。  どこからか歌が聞こえてきた。 「宮島さん」だ。 「宮島さんの神主が、おみくじ引いて申すには、今日もカープは、勝ち勝ち、かっちかち!」  お祭り騒ぎの中、芦田さんが1人だけ、ものすごく残念そうな顔をして席に戻ってくるものだから、乃亜はおかしくて仕方がなかった。 「宮島さん、歌うんじゃなかったんですか?」 「あーくそ、何で今なんだよ」  結局カープの得点はその一点だけで、試合も負けだった。  帰りに桜並木を歩く芦田さんは、やっぱり少し残念そうだ。 「いいじゃないですか。またリベンジすれば」 「半年、開幕を待ってたんだぞ。それが何で野球に興味もない田下が歌えて俺が歌えないんだよ」  今日の芦田さんは、表情がくるくる変わって面白い。赤いマスクにピンクの花びらが落ちる。 「でも、良かったよ。田下、なんか楽しそうで」 突然、立ち止まった芦田さんと目が合って、乃亜は固まった。 「そんな感じでさ、ゆっくり馴染んでいけばいいんじゃない。広島にも、俺にもさ」 「えっ」  乃亜が目を見返すと、芦田さんのほっぺたが見る見るピンクに染まるのがわかった。 「いや、だから、人間関係に慣れろってこと」  芦田さんは言い訳をしながら赤いマスクを持ち上げて、乃亜に背を向けるとまた歩き始める。 「そうですね。まだ好きではないけど、嫌いじゃないですよ」  返事はなかったけれど、乃亜はそれでよかった。カバンの中の3色ボールペンにそっと触る。  桜も悪くないかな。  乃亜は顔を上げると、彼を追って真っ赤なピンクの中を歩き始めた。           ーおしまいー
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