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乃亜は桜が嫌いだ。桜というより、その季節特有の不安定さが苦手なのだ。桜が咲き始めると、もうそれだけで憂鬱になってしまう。
職場では毎年4月に異動があって、必ず人間関係に変化がある。昨年は乃亜自身が転勤し、1年たった今でも新しい職場やこの土地に馴染めていなかった。
思えば、芦田さんとちゃんと話せるようになったのもつい最近、3月になってからだ。
乃亜はグッズショップでユニークなカープグッズ達を眺めながら物思いにふけっていた。
あ、これ。
乃亜は芦田さんと話すきっかけとなった「カープ3色ボールペン」を手に取った。
「昨日は惜しかったですのお」
「ほんまに、ちっとも打ちゃあせん」
広島のちょっと年配の人たちの会話は、いつもカープの話題から始まる。
「田下さんは名古屋の人か。ほんなら、中日か」
「まあ……」
乃亜はプロ野球に興味なんてないし、強いて言えば巨人の方が詳しいくらいなのだけれど、適当に話を合わせる。
取引先でよく話すこの年代の人たちはみんな、プロ野球基準で土地をみる癖があるらしい。大阪なら阪神、東京なら巨人。
乃亜は広島のそういうところも苦手だった。
たぶん、その打ち合わせ中も乃亜の眉間にはシワがよっていたに違いない。
メモを取るためにペンを探してカバンをゴソゴソ探っている時だった。隣にいた芦田さんが「カープ3色ボールペン」を差し出したのは。
「はい、3色ボールペン」
「あ、ありがとうございます」
乃亜はカチッとノックして書いた。
赤い線が引かれる。
また別のところをノックして一書き。
また赤。
最後の1つをノックして書く。
やっぱり赤い線だ。
「芦田さん、これ……」
そうだ、芦田さんはその時もブラックな感じで笑ったのだ。
「そ、全部赤。カープだから」
「1色じゃないですか!」
「いや、太さが違うんだよ」
「そういうことじゃなくて!」
乃亜は芦田さんにペンを突き返して自分のペンを取り出しながら、思わず笑みがこぼれた。
全部赤って……
広島に来てからちゃんと笑ったのは、その時が初めて。
「何? それ買うの?」
いつの間にか芦田さんが乃亜の手元を覗き込んでいた。
「買うわけないじゃないですか」
乃亜はあわててペンを戻したけれど、やっぱり何か気になって、芦田さんがユニホームのコーナーに消えるのを確認してからこっそりと購入した。
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