てんてんててん

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 てんてんててんと小気味よいリズムで、切り揃えられた芝の上をボールがはずむ。  私は軸足をボールの側に寄せて、軸足のつま先を相手に向けて蹴るんだよ、と助言をする。昼の日差しを白く反射するボールが私とヨウタの間を往復する。  私が蹴るボールに対して、ヨウタの小さく頼りない足から蹴り出されるボールは、威力とコントロールに欠け、私はヨウタの1.8倍くらいの運動量を求められる。それでも微笑ましくてたまらなかった。  あの人もこれに似た気持ちだったのかなと思いを馳せる。私があの人からもらった、優しさのコットンに包まれたような助言の仕方でヨウタにも伝える。  このごろ、ヨウタにあの人の面影を強く感じるようになった。私は教わる立場だった。私はそれを陽気の中思い出す。  私たちの高校には球技会があり、秋頃、4種目くらいの球技をクラス対抗で行い、順位を決めるのだった。高校3年生の球技会で、私は卓球に出たかったが、ジャンケンに負けてサッカーに出ることになった。サッカーは好きでも嫌いでもなかった。そのため、当然心得はなかった。  受験を控えていながらも、夏休みを越えてなんとなく各々の勉強のペースを獲得した私たちは、球技会の3週間前くらいから、週2日2時間弱程度の球技の練習をし始めた。部活も引退している人がほとんどで、サトウと関わりを持ち始めたのもそれがきっかけだった。  サトウはサッカー部の引退組で、私と同じくクラスでは自己主張の強くない方だったと思う。なぜなら、その関わり以前のサトウの記憶がほとんどないからだ。  練習初日、教師からの雑用を任されていた私は、砂っぽいグラウンドに遅れていき、全体に指導をしていたサッカー部3人のうちの1人、サトウと2人組みを組んで練習をすることになった。    なんとなく、全体的な流れで、初回に組んだ2人組がその先の練習でも適用され、私とサトウは幾度となくボールを交わした。サトウは私がどれだけミスをしようとも助言と鼓舞を続け、それでいてしつこくなく丁寧だった。  私は客観的に見ても、他の女子などに比べて、みるみるうちに上達した。金色の斜日がグラウンドを覆う中、私たちはてんてんててんと、言葉をもって、ときに言外にコミュニケーションを交わし、お互いの動作や言葉の丁寧さを感じ取った。  私はこの人と2人で生きていければ、丁寧な人生を、成長しながら生きていけると思った。受験の終わる頃、私たちは交際を始めた。  私は、今では教わる側から教える立場になった。風に弱く砂っぽいグラウンドは切り揃えられた芝に変わり、夕日の中交わされたボールは、今では真昼間の中交わされている。ヨウタとパスをするとき、あの人とのパスに重ねてみている。そしてヨウタの中に宿る私の影をも見出している。てんてんててんの連鎖は続いている。  今日帰れば、あの人が、私の教えた薬膳鍋を少しだけ苦労しながら準備しているだろう。  いつかこのてんてんててんもヨウタに受け継がれ、そしてヨウタの愛する人に受け継がれ、また、その先の世代に受け継がれていくのだろう。    「サトウさん、若い頃サッカー習ったりしてたんですか?」と若いママ友が訪ねてくる。  私は、ううん。ちょっと昔教わっただけなんだと答える。私はもう若くないのか?という疑問と共に、全てを教える必要はないという気持ちがもくもくと湧く。    あなたが主婦としか見ていない私にも、恋する女子高生だった時代があって、それは現在とも地続きなんだ。その頃受けた影響は今の自分を形成していて、あなたが抱いているような一面的なイメージは私じゃないんだ、と考えると同時に口を閉ざす。  そんな気づきをわざわざ与える必要はない。幸せは2人から始めて、それは無限に広がってゆく。  あのときグラウンドにいた全員と幸せを共有する必要もなく、無遠慮な新妻と共有する必要もない。    私は幸せを2人から始める。
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