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彼と初めて会ったのは2年前、会社付近の喫茶店だった。と言っても入社式の前であるし、そこでは言葉も交わしていないから”見た”が正しいのだろう。翌日の新入社員研修で同じ班になり、宜しくの挨拶の後に僕が”見た”ことを伝えると、彼は同じ言葉を反復した。
本当かと疑ったが、今となってはどちらでも良い。コーヒーを溢して慌てふためくあの様子は、いつかのエピソードに取っておこう。
いつもの居酒屋でいつものセットを注文すると、泉谷のコイバナが始まる。最近念願の恋人ができたらしいから何時この日課を断られるかと心配していたが、その様子はない。
「お前も早く作って惚気聞かせろよー」
泉谷に勧められてアプリを登録したのは良いものの、付き合うとなると何かが違う。ピンと来ない。そんな出会いばかりで、彼の様に楽しいエピソードを話すには長い時間がかかりそうだった。そもそも”ピン”とは何だろうか。
自分で言うのもなんだが、学生時代はモテていたし女の子とも付き合った。しかしそこにピンと来た記憶はない。
矛盾に頭を悩ませながら
「できたら、1番に報告するよ」と答える。
1時間程経っただろうか。居酒屋を出ると雨が降っていた。傘を持ち合わせておらずどうしようかと考えを巡らせたが、どうしようもない。天気予報を見る習慣がないから折り畳み傘を持ち歩く様にしていたけれど、なんてこった、一昨日の雨で家に干したのを忘れていた。
泉谷は、そう、折り畳み傘を広げている。
これだから梅雨は…と反省もなく呟きながら、さりげなく傘立てに目をやり、さりげなくビニール傘を手に取る。間違えて持ち帰ることってあるよね、と心に囁く。泉谷と目が合ったが、お互いに「見ていない」と表情で交わし、共犯となった。
傘をさすとボタボタと低い音が鳴った。手に雨の重みを感じる。
…あれ?
瞬きのそのほんの一瞬で、サーっと小さな音に変わった気がした。
…?
大袈裟に首を傾げながら考える。はて、さっきまで威勢よく落ちていた雨はどこへ行ったのだろうか。
泉谷…と言いかけた先に、彼はいない。
そして代わりに駅が現れた。ここはどこだ?辺りを見渡す。
地元の駅。ロータリー。トイレ…がない?そして僕のお気に入りのスーツは、かつてのお気に入り、チノパンとパーカーに変わっている。冷静を装う。
ここは夢の中で、飲みすぎて倒れて寝てしまったのだろうか…無理矢理な理由だと呆れながらも状況を把握しようとやはり焦っていた僕の方へ、コツコツと足音が近づいてくるからまた焦る。人がいる…!
「阿部ちゃん?久しぶり…帰り?時間あったら少し話さない?」
声を聞いた瞬間、はっとした。
僕にはすぐに分かってしまった。
「櫻井…」
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