息ができる場所を探して

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 目が覚めると、私の顔を美人な女の子が覗き込んでいた。ふわふわウェーブの髪の毛はピンクとオレンジのグラデーションという見たことのない色だったけれど、まるで地毛のように自然だった。 「あ、起きたあ」  第一印象は、綺麗な声。 「ねえ、君はどこから来たの? お名前は?」  問いかける彼女の声は脳に響く。 「流奈です」  寝ぼけ眼で反射的に答えた。 「流奈? 可愛い名前。どこのスクールの子? エメラルド・スクール? それともラピスラズリ・スクール?」  女の子と話していると、次々に女の子の友達らしき人たちが集まってくる。彼女たちはみな、足の代わりに立派なヒレがついていた。上半身は私と同じ人間、というには失礼なくらいの美人さんぞろい。下半身は魚そのもの。最初に話しかけてきた女の子も人魚であることに今更気づく。 「もしかして、スクールのみんなとはぐれちゃったの? お友達は? お父さんとお母さんは?」 「あたしたちと同じくらいの年だよね? いくつ?」  状況が呑み込めない中、次々に質問される。 「十四」  初対面で、しかも相手は人間ではないのに反射的に答えてしまうのは、彼女たちの声があまりにも綺麗だったから。あまりにもバカみたいな理由だった。 「じゃあ、うちらと同じだ!」  彼女たちははしゃぐ。不思議な夢。一面の青い世界。うつむいて自分の体に視線を落とすと、私自身の足も彼女たちと同じように魚の姿になっていた。鱗の一枚一枚が、丘の上でみた鱗のように煌めいている。上半身はいつもの私服のワンピースではなく、モデルさんが着ているオシャレな水着のような格好。  私も人魚、彼女たちも人魚。怖くない夢を久しぶりに見た気がする。 「楽しそうだね。何か面白いことでもあった?」  男の人の声が響いた。彼の声は今まで聞いたどんな声よりも美しくて、私の思考を一瞬でクリアにした。目の前に現れたのは男性型の人魚。マーメイドじゃなくてマーマンっていうんだっけ。先週の英語の授業でやった気がする。 「はじめまして。僕はソーマ。君は?」  美しい人魚は私に微笑みかける。声を聞くだけでくらくらした。黒い髪も、私と同じ色というにはおこがましいくらい綺麗。瞳だけじゃなくて、存在そのものが宝石みたいだった。彼が姿を現した時の女の子たちの反応で、すぐに彼が慕われているということが分かった。しかし、男の子とうまく話せない私は委縮して何も言えなくなってしまった。 「ソーマぁ。この子、流奈って言うらしいけど、たぶん近海のスクールの子じゃないよ。でも、うちらと同い年なんだって」  スクールという言葉に反応してしまう。今日恥をかいた原因。学校と群れ、二つの意味がある言葉。群れの方だったらいいな。夢の中でくらい、学校のことは忘れたい。でも、私は「群れ」にも所属できていない。学校の外にも中にも、私の居場所なんてない。 「ああ、迷子か。そうだよな。最近海流荒れてるもんな。もしかして流されてきちゃった?」  ソーマは心配そうに私の顔を覗き込んだ。至近距離で見れば見るほどかっこよくて、近くで声を聞けば聞くほど魅了されそうになる。 「仲間、探してあげるよ。スクールのみんなの友達は、僕の友達」  ソーマは歯を見せて私に微笑みかけてくれた。状況は呑み込めなかったけれど、「友達」という響きが温かかった。 「さっすがソーマ! ソーマのレーダーすごいもんね!」  女の子たちが鈴のような声でソーマを讃える。ソーマが何かを呟くと、私に手をかざした。言葉で形容しきれない不思議な力を感じる。ソーマの手の甲から、細い渦潮のようなものが発生し、海面に向かって上昇していったと思うと、ふっと消えた。 「もしかして、流奈は陸の世界から来たの?」  突然、本質に迫る質問をされた。どうやら、「レーダー」を使って私がどこから来たのか特定したようだ。私はこの世界では異質の存在。ここは夢の中のはずなのに、異物として迫害されることが怖かった。でも、嘘をついたらもっとひどい目にあうかもしれない。私は恐る恐る頷いた。 「ようこそ、人魚の世界へ」  私の心配をよそにソーマはにこやかに手を差し出して握手を求めた。こわばっていた右手を開くと、鱗を握りしめたまま眠ってしまっていたことに気づく。夜の闇の中星のように煌めいていた鱗は、今はガラスのように静かに透き通っている。  水の中に浮かび上がった鱗を女の子の一人が拾った。私は恐る恐るソーマに手を伸ばす。 「大丈夫。ここは怖いところじゃないから安心して」  私と握手をするソーマの優しい声を、なぜか無条件に信じることが出来た。 「この世界を案内するよ、ついてきて」  ソーマは私の手を引いたまま、縦横無尽に泳ぎ出す。現実世界の私はロクに泳げないはずなのに、嘘みたいにスイスイと泳げた。 「僕は陸の人間と会うのは初めてだけど、ここに人間が来るのってそんなに珍しいことじゃないんだよ。少なくとも五十年に一回くらいは誰かしらここに来てるみたいだよ」  泳ぎながらソーマがまた心に染みわたるような声で説明する。どんな些細なことを話していても、一生忘れられないような印象的な声。 「たぶん、陸で流奈の体は今眠ってると思うんだけど、魂だけがこの世界に来てる状態なんだ」  私の夢の世界と、この地球の海のどこかにある人魚の世界と繋がっている。もし本当にそうだとしたらなんてロマンチックなんだろう。一面青い世界で、キラキラした銀色の魚の群れや、虹みたいにカラフルな熱帯魚が泳いでいた。  海の中は広くて自由だ。体が軽くて、どこまでも泳いでいけそう。何より、水の中なのに息苦しくなかった。 「せっかくだから楽しんでいきなよ。海の世界」  ソーマが笑う。私は小さく頷いた。ソーマは海の世界のことをたくさん教えてくれる。綺麗なサンゴ礁に辿り着いて、微笑みかける。 「ここが怖いところじゃないって分かってくれた?」 「はい。すごく、綺麗なところ」  たどたどしいながらもなんとか返事が出来た。 「よかった。笑ってくれた」  ソーマが心底嬉しそうに言う。たぶん彼はいい人だ。正確にはいい人魚だ。ソーマが見せてくれる景色は美しくて、話も面白かった。私が下手な相槌を打つくらいしかできなくても、いやな顔一つしない。  ソーマが真上を指差すと、月が地上より遥かに大きいことに気が付いた。すべてが幻想的で、私は人魚の体になった以外は顔も中身も何も変わっていないのに別人になれた気がした。  しかし、楽しい時間が終わりを告げそうな気配を感じる。たぶん、私の体はもうすぐ目覚める。束の間の夢はおしまい。 「帰りたくないな」  小さくつぶやくと、ソーマは自身の鱗を一枚ちぎると、私の手に握らせる。 「この鱗があれば、また会えるよ。持ったまま眠れば人魚の世界に来られるから」  体が消える直前、ソーマの優しい声を聞いた。 「またね、流奈」
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