ただの夢じゃない

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ただの夢じゃない

 涼しい風に起こされると、私は丘のベンチの上で横になっていた。強く握っていた手を開くと、昨日より一回り大きくて、昨日より強く輝いている鱗が一枚。  顔を上げると、海が朝焼けに染まっていた。綺麗で、なぜだかとても目を奪われた。ずっとこの景色を見ていたかった。あの海は、夢の世界に繋がっているかもしれないと思うととてもロマンチックだった。  幻想的な時間はあっという間に終わり、私は通勤ラッシュを逆流して家に帰った。拾ったのか、夢の中でもらったのか今となっては定かではない鱗は引き出しの中に大切にしまった。せっかく起きているのでそのままセーラー服に着替えて学校へ向かう。  いつもよりスーツの大人が多い通学路を歩く最中、スマホに少し長めの文章を打ち込む。 「久しぶり。昨日たまたまみんなの学校の近くに行ったんだけど、山? っていうか丘みたいなところあるよね? あそこ行ったことある?」  小学校の時の仲良しグループトークに質問してみた。丘の名前は知らないけれど、最寄り駅の名前は分かるから、地図アプリを使えば調べようと思えば自分で調べられる。それでも、彼女たちと話すきっかけが欲しかった。最後のトークは私の投稿で終わっていたから。  電車通学をしているみんなは手持無沙汰だったのか、すぐに既読がついて、みんな学校に着くまでに返信をくれた。 「潮見山のこと? あそこオバケ出るから行かない方がいいよ」 「厳密には山姥ね」 「えー、私が知ってるのは、おじいさんの幽霊だよ。足がないの」 「うちは呻き声出しながら這いずり回ってるおばあさんって聞いたよ」 「こっわーい。ホラーすぎる」  あの丘は潮見山というらしい。私は思ったよりいわくつきの場所で一夜を明かしたのだと知り、だいぶ無茶をしたと一応反省してみる。  夢の中がいくらキラキラしたところで、現実世界は今日も変わらない。授業のグループワークの班決めで余るのもいつものこと。 「どこの班でもいいから夏山のこと入れてやってくれないか」  気まずい空気の中、晒し物のようになるのも仕方ないこと。最終的には優しい子が集まる班が引き受けてくれてほっとした。  帰りのホームルームで、文化祭のクラスの出し物が劇に決まった。演目は奇しくも『人魚姫』だったけれど、私にはあまり関係のないことだった。配役は揉めに揉めた。話し合いは最後には罵り合いに姿を変えていた。私は蚊帳の外だったとはいえ、強い口調での口論は聞いているだけで精神を消耗した。  文化祭が行われるのは二学期のシルバーウィークだけど、教室や体育館などを各部活、各クラス間で調整するため早めに何をやるのか一学期のうちに決定する。去年私のクラスは何をやっていたのかもう覚えていない。あの時も私は人数にカウントされていなかった。  家に帰っても今日も誰もいない。両親のことは決して嫌いではないのに、いない方が落ち着いてしまう自分が嫌いだ。 「流奈がおかしくなったのはあなたに似たからよ」 「子供がまともに育たないのは母親の愛情不足が原因だよ」  毎晩喧嘩する両親の声をもう聞きたくない。  フラッシュバックする両親の喧嘩を振り払うように、必死に昨日の幸せな夢を思い出す。あの綺麗な声の男の子が言っていたこと。 「この鱗があれば、また会えるよ。持ったまま眠れば人魚の世界に来られるから」  今朝、引き出しにしまった鱗を取り出す。縋るように、握り締めて無理矢理眠った。どうか今夜もまた、怖くない夢が見られますように。
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