悪夢

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悪夢

「ダメ!お父様、お止め下さい!」 私は、 自分の声で目覚めた。 あぁ、またいつもの夢… あの“事件”が起きたのは、 私がまだ5歳の時のこと。 それに、 その現場に居たわけでもないのだから、 覚えているはずもないのに、 なぜか、夢に見る… 「鸕野(うの)、またあの夢を見たの? うなされていたわ。」 と、 姉の大田皇女(おおたのひめみこ)が 心配そうに言った。 「ええ、怖かった。 お姉さまと一緒に寝てもいい?」 「いいわよ、いらっしゃい。」 姉の大田皇女は、優しい。 姉の温もりに包まれて、 やっと安心して眠りにつけた。 私たち姉妹は、 天皇(当時はまだ即位前だったが)の 娘でありながら、 罪人のようにひっそりと暮らしていた。 父の中大兄皇子は、野心家だった。 大王家(天皇家)は、 蘇我氏と手を携えることにより、 他の豪族の上に立つ“大王家”となったのだが、 中大兄皇子にとっては、 もはや(蘇我氏は大きくなりすぎた)と、 感じていたのではないだろうか。 蘇我氏も大きくなりすぎたが故に、 内部分裂が起き始めていた。 それを利用して蘇我氏の力を削ぎ、 自分(天皇)に力を集中させ親政を行う。 それを、目指していたのだと思う。 まず、起きたのは 乙巳の変(いっしのへん)だった。 中臣鎌足らと手を組み、 蘇我本家の入鹿(いるか)と蝦夷(えみし)を滅ぼした。 その時は、 私(鸕野讚良皇女)の祖父、 倉山田石川麻呂は、 中大兄皇子の側についたので、 改新政府では、 右大臣に任命された。 ところが、 乙巳の変からわずか4年後に、 異母弟の蘇我日向(そがの ひむか)の讒言により、 祖父は家族と共に山田寺で自害した。 それを聞いた母、 遠智娘(おちのいらつめ)は嘆き悲しみ、 後を追うように亡くなってしまった。 私たち姉妹は、 祖父と母を亡くし、 家も失ってしまったのだ。 その当時、 家は祖母から母、そして娘へと、 女が継いでいく、 そこへ男が通ってくる “妻問婚”だった。 子どもは、 母とその兄弟、祖母が守り育てる。 母を亡くした私たち姉妹は、 母の妹、姪娘(めいのいらつめ)の元で、 肩を寄せ合ってひっそりと生きる以外になかった。 その、祖父が自害したのが、 私が5歳の時だった。 その後も父、中大兄皇子は、 蘇我の内部対立を巧みに活用し、 蘇我氏の力を少しづつ削ぎ落としていった。 それでも、 平安時代の初期までは、 蘇我氏の流れを汲む石川氏から 公卿を輩出してはいたが、 天皇家における蘇我氏の血を継ぐ者は、 氷高皇女(元正天皇)を最後に途絶えてしまった。 きっと私も赤子の頃には、 父に抱かれたり、 父母仲睦まじくいて 私たち姉妹を愛でてくれていたこともあったのだろう。 だが、悲しいことに、 その記憶はなく、 まだ幼かった私にとって、 父は親わしい人というより、 近づきがたく、 怖い人でしかなかった。
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