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病める抱擁(染井絹)
是永李京という男は椿屋綺世の幼馴染であり、わたくし染井絹とは高校三年生で同じクラスになり同じ大学に進学した同級生である。
そして複雑な話なのだが彼はわたしのことを断言するほど嫌っており、そんなわたしは彼にたいしてずっと不毛な片想いを抱き続けている。そういった、不健全かつ誰も幸せにならない関係だ。
「泊まっていけばいいのに」
大学三年生になった椿屋くんは、せかせかと帰り支度を進めていくわたしを座ったまま眺めながら言った。
都内に実家がありながら都内で一人暮らしを始めたのにはわけがある。ここは彼の親戚が所有するマンションらしく、進学祝いに四年間貸してもらえることになったらしい。
実家暮らしのわたしはあまり自由度が高くないので、腕時計で八時をまわったのを確認しながら遠慮した。
「いや、帰る」
「あした何限から?」
「二限だけなんだけど、小テストなの」
とは言っても、まだ八時だ。終電まで余裕があるし、まっすぐ帰れば九時前にはおうちに着くだろう。時間とか計画とか先のことを予想するのは苦手だけど、帰宅時間の逆算くらいはできるようになってきた。よく誤るけど。
「満点取れるおまじない、してあげよっか?」
「呪いかけないで」
白いニットを着た天使様はおよそ天使らしくない笑みで「つまんない子」と罵ってきた。
自分が面白くない自覚はあるけど、他人から言われるのは顔を顰めてしまう。だって、ほら、もしかしたら他人から見ると面白いっていう可能性を捨てきれないから。そういう希望を失ったら、わたしはいよいよ生きる意味がない。
コートを羽織ると、近くにあったチェック柄のマフラーを手に取った椿屋くんが立ち上がって「さむいから、巻いていきな」と私の首に巻きつけた。これは椿屋くんの私物である。
「お借りしていいの?」
「いいよ、駅まで送っていく?」
「ありがとう、でもすぐそこだから大丈夫」
ぎゅっと絞められたマフラーからは椿屋くんがよく纏っている淡い椿の匂いがした。そろそろ自分にも移りそうなものなのに、いつまで経っても彼の匂いは彼だけのものだ。
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