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身代わりに差し出すは
娘がいじめに遭っていると泣きながら打ち明けてきたので、すぐに学校へと直談判へ向かう。
首謀者であるらしき少女、娘の同級生はすでに母親と校長室で待機していた。革張りの高そうなソファーにも座らず、茶も飲まずに。
申し訳ございません、と低い声で少女の母親が謝る。
しかし、首謀者である少女は私の方をキッと睨んで「どうしてママが謝るのよ、こいつもこいつの子供も、いっしょじゃない!ママが苦しめられたんだから!」と憤りを含んだ声で言う。
娘の話では、クラス委員である少女が娘を吊し上げるために「直して欲しいところ」を同級生に書かせて出させたり、グループラインで娘のスケジュール管理をしよう、そうじゃないとみんなが迷惑するからと大声で提案したりなど善意を被った悪意を思わせる、ジメジメと陰鬱なやり方だった。
もちろん、同級生の全てが娘を嫌っているわけではなく、逆らえる空気ではなかったからだそうだとのことである。
同席した担任の話ではあるものの、私の中では信ぴょう性にかける何かがあった。
でも、母親の顔を、記憶にこびりついた、こちらを怯えるように見る目つきを見て私はふたりを糾弾する気になれなかったのだった。
戻ってきた。
忘れていて、いや、必死に忘れようとしたけれど戻ってきたんだ。
少女がぎりっという音を目元で発しそうな目つきで、私を睨む。
「あんたがママを壊した。あんたがママを苦しめた。次はあんたの娘にやってやるって、ずっと決めてた。ママがビクビクしながら暮らしていて、どんなに辛かったか、どんなに悲しかったか思い知らせてやる!」
飛び掛かろうとする少女を、担任と、校長先生が取り押さえて、母親は「やめて!」と少女を抱きしめた。
私は騒ぎに乗じて、無言で我が家へと引き返す。
リビングで私服に着替えず、制服で泣いていた娘はどうだったのかと私に訊ねる。
私は返す言葉もなく、黙って夕食の支度に取り掛かった。
私がいけないんだ、私のせいだ。
少女の母親はかつて、私が会社から追い出した新人だった。気に入らなかった。
自分より好かれて、話題の中心になっている、彼女の存在が。
だから、私はあの頃......不惑をむかえた分別のつく年頃にも関わらず、同期や上司を巻き込んで、同じことを……。
同じことを、あの少女が娘に対してしてきたことと同じことを、毎日のように繰り返した。
根回しもして、指導のひとつですと言って、押し通して。
結果、その結果、彼女は自分から仕事を辞めてしまい、その後は誰も知らない。
私を含め、加害者であったサイドは泣き寝入りするだろうという予想通りの流れに不安が払拭されて、ほっとしたからか仕事に打ち込むことができた。
最盛期には彼女の周囲にいる人間のほとんどが私に従って、それはそれで優越感を味わうこともできて、甘い汁を吸い切っていたんだと思う。
どんな見返りがふりかかってくるかも、知らないで。知ろうとしないで。
「ねえママ、何か言ってよ!」
すがるように叫ぶ娘に対して、私は手を差し伸べることができない。
いや、したくない。
やり過ごしたい、なかったことにしたい。
私に、私自身に「戻ってくる」のは勘弁して欲しい。
うるさいわね、と自分でも驚くほど冷たい声を娘に向ける。
「あなたにも原因があるんでしょ?ちゃんとしてよ、もう赤ちゃんじゃないんだから」
背中を向けたまま、私は、娘を突き放した。
助かりたい。その一心で。
ひどい、と娘はいっそう大きい泣き声を発しだす。
リビングが湿っぽく、嫌な空気に満たされそうで息苦しくなってきた。
「やめなさいよ、そんなに泣いても解決するわけじゃないってわかっているでしょう?自分でもどこが悪いかよく考えなさい、学校にはちゃんと行くのよ。体裁が悪いから」
そうよ、私の代わりに全部あなたが受ければ済むことなんだから。
関わるもんか、あんなそっくりな、生き写しみたいな娘は美人で煩わしい。
若さも、行動力も、私にないものをあの頃の母親みたいに全部もっていて、腹立たしい。
娘に対する罪悪感は少しも、かけらほども心に浮かんでこない。
だって、逃げたいじゃない。
誰かを身代わりにしても。
それがたとえ、娘だとしても。
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