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side 上条蒼也
俺は父、上条光介を尊敬している。
今の俺と同じくらいのときにはもうすでに社員数十名の会社の社長になっていたというし、会社はその後20年以上かけて大きく成長した。
物心ついた頃から俺は金銭的に困ったことは一切なかった。学校の送迎は専属タクシーだったし、家に帰ればお手伝いさんもいた。
恵まれている、と自覚していた。父と、その父を支える母に感謝していた。
ーーだが、ある日突然、そんな幸福は奪われた。
母が交通事故で亡くなった。俺は小学6年生で、数日後に卒業式を控えていた。卒業式は当然、出ることはできなかった。
父が、上条光介が、人目も憚らずあんなにも泣いて悲しむ姿を見たのは初めてだった。今でも決して忘れない。脳裏にあの時の父の姿が焼き付いている。
それまで俺の教育などは母や周囲の人間に任せきり、仕事一筋だった父は、その日を境に変わった。
俺には常に自分の目の届く範囲にいるよう命じられた。自由は自宅の自室の中だけ。欲しいものを買いに行くことも、外食することも、友人と遊び歩くなんて論外だった。
その代わり『欲しい』と言ったモノはなんでも与えられた。おもちゃも、ゲームも、本や服や靴や装飾品……モノならほぼすべて手に入った。
勿論、衣食住に困ることはなかった。
俺は、思春期や反抗期を、ほぼすべて広いけど狭い、自分の部屋で過ごした。
一度だけ。
中学3年の卒業式の日の夜。
父はたまたま出張かなにかで家に帰らないと言っていて、俺はその日の夜、人生で初めて家出をした。
ーーいや、正確には家出とは言えないか。だって、専属運転手の司馬に頼み込んで、夕食のあと数時間だけ、夜のドライブに連れ出してもらっただけだから。
ドライブして、人気のない場所で車を止めて、そのへんにあった自販機で司馬があたたかいココアを買ってくれて、一緒に飲んだ。
俺至上一番の家出だった。
あのとき俺は、司馬には感謝の気持ちをありったけ伝えたが、よく考えるときっと司馬だけの協力ではなかった。
普段俺の世話をしてくれるお手伝いさん、警備担当の社員の協力がなければ、厳重なセキュリティの家を出ることすらできなかったから。
俺はその後、高校、大学に進学する。
そこでも父の過保護がおさまることはなかった。俺はそんな生活が息苦しくなると、その度に、母が亡くなった日をそこで泣く父の姿を思い出した。
就職活動をすることは許されなかった。
父の会社に入る。そして父について回る。
俺はそう父から命令を受けたとき、父の子供として最初の反抗をした。
『父の会社には面接から受けて、受かれば研修も他の新入社員同様受けます。そして働きを見て頂いた上で、配属は会社の要である営業部を希望します。間違っても、入社早々、父の側近などにはなりません』
ーーーそして、俺は。
希望通り、営業部に正式配属された。
それが、父のコネであると周りから言われたとしても、そこで俺が結果を出せばいい話だ。俺は、父にも、社員にも、俺の実力として仕事ができるところを見せつけたかった。
そして、父にも。
もう、俺はひとりでもやっていけるというところを、一秒でも早く認めてもらいたかった。
その日がくるまでは、父のやりたいように俺は束縛されても構わない。
でも必ず近い将来、俺は父から物理的にも精神的にも自立してみせる。
22歳。
大学卒業の春、俺、上条蒼也はそう誓った。
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