96人が本棚に入れています
本棚に追加
それはまるで、そうしてくれという社長からの願いに聞こえた。
「柚原さん、この資料、合ってますか?」
「うん?……あぁ、大丈夫。いいよ」
「ありがとうございます。ではこれで先方に提出しますね」
ぺこ、と頭を下げて、上条は俺に礼を言った。
まもなく定時になる。
そしたら、上条とともに社長宅へ向かい、俺は返事を返さないといけないわけで……
まだわからない、は通じない。ハッキリと、上条と付き合いたいと言わなければ、来週から上条は俺の隣からいなくなる。
きっともう、同じ会社であっても会えることはほとんどなくなる………。
そんなことを考えていたら頭痛がしてきた。
いや、マジで………気持ち悪い。
俺は、デスクで頭を抱えた。
やがて、終業を知らせるチャイムが鳴って事務所内はざわめき始める。
「じゃあ柚原さん、お疲れさ……って、柚原さん!?」
「えっ」
目の前に座る加古川が立ち上がりこちらをみたとき、俺の名前を呼んだ。隣からは上条の視線を感じる。
え?ちょっと待て。俺、なんかもしかして、変?
山笠部長の声が聞こえたところで、俺は意識が途切れた。
ドサッと倒れた自分の音にも、まったく気づかずに。
*****
……あーくそ。なんでこんなめんどくさいことになったんだ。
大体、意味がわからん。なんで社長はあんなに上条に対して過保護すぎるんだ。23歳の男だぞ?女ならまだしも、男なら自分でなんでもできるようにならなきゃダメだろ。……あ、でも上条は仕事は文句無しに出来てるな……逆に、なんでだ。
俺のこと好きとか、抱いてほしいとか、それも意味わからん。上条なんて、俺と違ってモテる外見も中身も持ってんだから、普通にかわいい彼女とか作ればいいだろ。なんで俺なんだよ。
上条が理解不能なことを言うから、俺は今、こんなに乱されてる。
「……柚原さん!」
「…………あ……上条?」
「!よ、かったぁ………気づきました?」
目を開けると、白い天井が見えた。ここは?ベッドの上?
俺が頭が追い付かずにいると、上条は、仮眠室のベッドです、と言った。
「病院、行きますか?頭どうです?」
「……いや、大丈夫。え、俺、倒れたの?」
「はい。つい先程、部長が運んでくれて。外せない来客がきてたので今しがた戻っていきましたが……」
「……そ、そうか」
「ほんとに今、まだ数分くらいしか経ってませんけど、どうします?司馬に病院まで送ってもらおうかと………」
病院?そんなとこより行かなきゃいけないとこがあるんだろ?
俺は、気づいたらパシッと上条の腕をつかんでいた。上条は少し驚いたように、寝転ぶ俺を見下ろしてきた。
「………上条さん?」
「……社長の、前で………お前に返事しないと」
「!……いや、今日はいいですよ。そんなことよりやっぱり病院行きましょう。まだやってるから」
「ダメだ。……ハッキリ、させないと、……お前、いなくなるんだろ」
「ーーーえ……?」
上条は、なんのことだ?という顔をしている。そうか、俺が断ったら異動という話までは聞いてないのか。
上条のぴくっと揺れる腕を、俺は自分の胸元に引き寄せるように引っ張った。
「柚原さんっ?」
「……ふざけんなよ、お前……。勝手に俺の隣に来て、勝手に告白してきて、勝手に触ってきて……で、最後は勝手にいなくなるのか」
「?いなくなる、ってどういうことですか?俺は」
「今日、昼休みに社長に呼ばれたよ。まだ考えたいって言ったら拒否された。付き合う一択じゃなければ、もう俺をお前の教育係から外すって」
「え!?」
上条はかなり動揺した様子だ。本当に知らなかったのか。
というか俺は……なんでこうして上条を引き留めるようなことをしているんだろう……。こいつの告白を拒否すれば、全部なかったことにして、穏やかな前の生活が手に入るのに。
「ふ……」
「柚原さん、」
「なんだかな……よくわかんねぇけど、お前が俺の隣からいなくなるって、考えたら……寂しいな」
「………あの、」
「好きとか嫌いとかさ……正直まだ全然わかんねぇんだわ。だって俺、男好きになったことねぇし。誰かから告られたこともないし……。展開急すぎてついていけてない」
上条は、腕を俺につかまれたまま前屈みになって、俺の話を聞いていた。
ちらっと見るといつもの無表情で。……だからお前さ、読みにくい顔してんじゃねぇよ。
「柚原さん、……父のことは俺が止めますから。まだ時間が必要なら、待ちます。とにかく今日は、病院行きましょう」
「………そうするかな」
俺がそうぼそっと呟いたら、上条は少しほっとしたような顔をした。
そして、「じゃあ司馬のタクシーで送りますね」と言い、俺から腕を離そうとした。
ーーそれを、俺は。
グイッと自分の元へ引き寄せて、止めた。
「………っ!?ゆずは………っ、ん!」
ーーなんでた?なんでだろう。
最後までしてないけど、ベッドの中でそんな真似事したから?
俺は、上条の後頭部に手を回し、自分の唇に合わせるように上条の顔を引き付けて、キスをした。
あんなことしてしまったから、このままこいつを手放すのが惜しくなったのか。
「……ん、は……っ、ゆ、柚原さ」
「………っ」
「……びょ、病院………」
上条の瞳に熱がこもる。俺は何度か唇を合わせ続けた。上条は、逃げなかったが、動揺しているのか少し身体が震えていた。
やがて、顔を離し、一呼吸置いた。
「病院、行くよ」
「…………はい」
「金曜日だから、そのあと、ちょっと遅くなるけど、約束通り社長にも会う」
「!え……いや、でも」
俺がそういうと、上条は不安げな顔をした。
……なんだ、そういう顔もできるのか。
俺は身体を起こし、ベッドから起き上がって、そんな部下の頭をぽん、と撫でた。
最初のコメントを投稿しよう!