ブラックバンク

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 結界、異空間、領域、ゾーン───  この手の空間には色々と呼び名があるわけだが、最も重要視される効果はいわゆるバフであろう。  外界からの遮断を優先した能力の場合もあるとはいえ、男がわたしをここに誘い込んだ上で使用した以上その可能性はまずない。  男は軽く握った拳の甲をわたしに見せると人差し指を弾いて指先をわたしに向ける。  すると指の動きに連動した空気の刃が発射されて、同様に次々と弾く指に指揮された刃がわたしを襲う。 (多少早くなってもたいしたことはないけれど……やっぱりそれだけじゃないか)  4発の刃を発射すると男は素早く指を握り直し矢継早に次の刃を飛ばしてくる。  さながらマシンガンのようだが、この空間の本領はこれだけではない。  ゾワリと背中に感じる悪寒を頼りに気を張ると後方からも同じ刃が発射されたのが確認できたのだ。  最初の4発が真後ろで次の4発が右側から。  どうやら男は刃を飛ばす際の腕の動きは追加攻撃が来る方向と連動しているらしい。  最後の1発は指先を撫でるような動きで放たれたのだが指を弾いたものよりも数が少ないぶん刃が大きい。  その刃もご丁寧に左側からおかわりが発射されており、合計18の刃が一斉にわたしに襲いかかった。 (凌辱モノでマワされるシチュでもこの数は多すぎるぞ。流石に特殊性癖じゃないか)  わたしのことを切り裂こうとする刃の群れを前にしたわたしはくだらないことを浮かべて呟いていた。  普通ならば死を覚悟した人間が見る走馬灯に相当するが── 「なにっ!?」  わたしの場合はそうではないと、驚きを隠せない男の顔が証明していた。  まずは地を這うほどに低く伏せることで刃の交差をかわし、方向を翻して一斉に襲いかかりだすのに合わせて男の方へわたしは駆け寄った。  刃を方向転換させるために男の手が一瞬止まって追撃が遅れたようだがこれこそわたしの狙い通り。  刃たちはすぐ後ろにズタズタと突き刺さっている様子だが遅く、男が追撃を繰り出すよりも早くわたしは彼の目の前にいた。 (こ、この!)  飛び道具が効かないのなら直接斬ってしまおう。  男はそんな態度で切断力のある指先で突いてくるのだが、わたしは軽くかわして彼の顎を肘で穿つ。  首をひねって指先をそらしながら、飛び上がる勢いを載せた肘による一撃。  体格の差を発剄で補った爆撃が男の顎を捉えた。 (モロに入ったわね)  肘から伝わるグニャリとした感触を前にしてわたしは心の中で呟いていた。  おそらく彼の顎は割れているだろう。  重症具合は可哀想だが、痛みを消す慈悲と目当てを探るための実利を兼ね備えた幻魔掌白式による連撃を受けると、男は机を指さしながら気を失った。  この机は彼が空間を開いたときに消えていたものであり即ち彼の気絶とともに元の校長室に戻っていたことを示している。  早速机の上を物色するとご丁寧に積まれた書類の先頭に帳簿は置かれていた。  これを持ってわたしはこの場を後にしよう。  だけどその前に少しだけ寄り道。  あの少年を起こした後、わたしはこの学校を後にした。 「流石に徹夜は身体に毒だわこれ。だけど情報には鮮度が大事だってね」  隠れ家に戻り、そのまま夜通しで原稿を書き綴っていたわたしの手が止まったのは朝の7時を少し過ぎた頃。  今回の取材は裏取りだったので予め下書きを作っておいたのだが、帳簿と照らし合わせながらの修正に時間を取られてしまう。  さて、今回のわたしの記事は、「消えた大量の食料。インターナショナルスクールの怪しい台所事情」という見出しタイトルで猿渡出版の公式サイトに掲載された。  記事を要約すると、補助金を使って入荷した食料を別の福祉事業に横流しすることで、補助金を不正に得るためのスキームが纏められていた。  いきなり言及しても多くの読者には下手な陰謀論と思われかねないのだが、これは元をたどれば灘一族という連中の仕業である。  福祉と言ってもそちらの実態も一般人には夢物語なバイオ実験なので確定の嘘だと判断されないレベルに話を纏めるのが一苦労なのがまた憎らしい。  結局それでも与太話と捉える読者が多いのは悲しいが、だからこそわたしたちの活動が灘の妨害を退けているので痛し痒し。  ムキになったらそれが肯定のサインなのだから。 「あれだけの事をしても半日ネットの一部を騒がせるだけだなんて哀れだね」  寝ぼけ眼のわたしを小馬鹿にするジャクリー少年の言葉通り、今回の記事はその日の晩にはSNSでも話題にされなくなっていた。  前々から温めていた記事なのだが、真相をマイルドにするために崩したつもりの「教育庁が秘密裏に育てている動物兵器」というワードがどうにも嘘くさくなってしまい、人々の記憶に残らなかったようだ。  今回はわたしの記事をネタ扱いとして愛読する常連読者もダメ出ししてきたのでショックが大きい。 「うるさいなあ。たとえ世間の目は向かなくても、こうして証拠を掴まれて記事になったという事実が連中を牽制するから無駄じゃないのさ」 「だから僕は嘘つきが嫌いだよ」 「匿われている身が言ってろ少年」  わたしは大人として顔に出していないつもりだったで強がったのだが彼には見破られていたようだ。  まあ、実際に彼をわたしの元で匿わなければいけない通りに、今回の押し込み取材は灘一族に打撃を与えている。  灘一族がいくら役人を中心に大きな政治的影響力を持っているとはいえ政界にも連中と対立する人間はもちろん存在する。  そういう人間にも今回の記事のソースは届いているので、種が割れたスキームは実際これで早々に潰されることだろう。  それはそれとして……今回の不評はわたしにとって大きなショックだった。
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