ブラックバンク

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 自由を奪われた少年からわたしはそのままノートを奪おうと手を伸ばした。  このまま腕もバンザイの状態から動かせないので容易。  そう思っていたのだが少年は瞬間移動で最後の抵抗を見せた。  彼の手の中にあったノートは突然虚空に消え去ってしまう。  瞬間移動でモノを引き寄せることができるのならば、逆にモノを弾き飛ばすことも出来るようだ。  わたしも瞬間移動能力者のことは話に聞いていたが、自分ではなく何かを移動させることに特化した相手は初対面。  これは一本取られたか。 「残念だったね、お姉さん」 「結論をつけるのには早いんじゃないか? 少年」  ノートを死守したことで勝ち誇った顔をする少年に対して、わたしは力づくで拘束を引きちぎりながら身体を押し倒して煽り返した。  胸と胸が重なって、わたしのモノが柔らかく潰れることで少し隙間が出来る。  多少重いだろうが、そんなことはさきほど拘束した時点からなので今更だ。  さきほどまでとの違いは念力の板ではなく柔肌だけで押さえているので肌が密着していることと、それにより少年にわたしの体温や身体の感触が強く伝わることだろうか。  思春期の男子が若い女性に密着されれば思うところくらいあろう。  予想通りに胸を高鳴らせて頬を赤らめるようなら可愛げがあるのだが、少年の反応は違っていた。 「もしかして色じかけのつもり?」 「そういうキミはお姉さんに寄りかかられて興奮しちゃったのかな。だったら年相応でかわいいじゃないか」 「まさか。むしろ大人の汚さを目の当たりにしたよ。そういうヤツを僕は嫌悪する。吐き気がするね」  実際に血管を触って脈を取ってみるわけだが、身体をさらに押し付けても脈拍は増える様子はない。  どうやら嘘ではないようだ。  大人の汚さなんて持ち出したのと彼がサイキッカーなのを鑑みると、子供ながらに色々と苦労があったのが見受けられる。  たしかにわたしにも覚えがある。  だからこそ今のわたしがあるわけだし。 「そんなに大人が嫌だったらなんで大人の言いなりになっているのさ。瞬間移動なんて便利な力があれば大人の言いなりになることはないよ」 「汚い大人は嫌いだけど全員がそうだとは言わないさ」 「その例外が先生ってわけか。フフフ」 「だったら何?」 「先生なんてキミみたいな子を言いなりにするのにはピッタリな役柄だなって」  先生どころか親族の大半が信用できないわたしとしては、彼が言う先生に彼の能力が都合よく利用されているのは想像に難くない。  だが少年が指摘されて顔を真っ赤にするのも予想通り。  わたしも彼と同じ立場ならば同じ反応をしただろうし。 「もしかして僕と先生の仲を乱して、さっきのノートを僕から貰おうってつもりかい? 鳥肌が立つ上にさっきから押さえつけられているせいかそろそろ重くて苦しい。ゲロ吐きそうだし汚れたくなかったら退きなよ」 「そんなつもりはないって。ただの勘ぐりだよ。だけどさっきのノートを出してほしいのはキミの想像通りだからゲロが出るならご自由に。吐いてもノートを出す気がないのなら、キミのことを絞め殺してから先に行かせてもらうからね」 「脅しにしても本当に殺すわけが──」  少年はわたしの言葉を口だけの脅しだと軽く見ただろうが、ここでわたしはあえて強くて彼の首を締め付けた。  殺すは言い過ぎにしても絞め落とすくらいは当然のチョークを受けた少年は口が開かなくなる。  脳内の酸素がなくなって白目を剥く彼の顔は一歩間違えばそのまま死んでしまいそうで、うっかり殺したらわたしも少しは心が痛い。  だが痛いのはあくまで少し。  こういうときほど跳ねっ返りになっても本質はあの頃と大きく変わらないのだと自己嫌悪してしまうくらいだ。 (苦しい。し、しぬ。助けて、先生……)  もがく少年は床に触れる右手をバタバタさせており、おそらくタップの仕草だろう。  当然だ。  こんな子供のうちから拷問されたら自死を選ぶ精神性を身に着けていたらあの頃のわたしよりも手遅れだ。  少し可愛そうなのでチョークを緩めて、気道を塞いで苦しめるよりも血管を塞いで失神させることにシフト。  苦しさの質が変わったことで血相を変えたのだろう。  少年は無我夢中になって抵抗を見せる。  彼のサイキックによって引き寄せられる給食室にあった調理器具たち。  ボールや泡立て、バットなどの金物に、菜箸やしゃもじといった木製器具。  これらは速度も遅く当たっても痛いで済むが、問題は大トリとも言える包丁がその中に混じっていること。  これだけはわたしの柔肌など掠めただけで裂ける勢いなので無視できない。  身体を起こし、腰に仕込んでいた扇子を取り出したわたしはバサリとそれを開く。  飛来する包丁の切っ先に対して面が直角になるように調整して、それを扇子で受け止めた。  勢いのあまり手から扇子が弾かれそうな衝撃をこらえると、包丁は見事に根本まで扇子に刺さって柄の厚みで刃が止まる。  わたしは鞘から引き抜くかのように包丁を扇子から左手で引き抜くと峰を少年の喉に当てた。 「今のはちょっと危なかったよ。だけどこれでお終いさ」 「だったら一思いに僕の喉を裂けばいいのに。子供だからと勝手に甘く見て躊躇するからこうなる」  ずるりという滑るような感覚がわたしの手の中を駆け巡った。  おそらくこの包丁を奪ってわたしを刺すつもりだろう。  さきほど身体を起こしたことで少年の右腕はフリーになっていたし、なんならさきほどみたいに投擲してもいい。  他にも包丁を見つけていて同時攻撃を仕掛ける可能性だってある。  このままでは彼が思うように、わたしは包丁で串刺しになってしまうだろう。
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