ブラックバンク

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 相手が子供では多少の罪悪感もあるが、わたしはとっさに拳を握りしめていた。  扇子を握り込んだ状態で振り下ろされる拳が彼の眉間を捉えてゴツンと音を立てる。 「な!?」  拳を振り上げた瞬間、少年は「そんなことをしても無駄」とでも言いたそうな顔をしていた。  たしかに彼が使う瞬間移動能力は視覚に頼ったサイキックではないかもしれない。  だが人間が目から得ている情報は単なる映像ではなく、そこにわたしが付け入る隙がある。  目を潰されるかもしれないという本能的な恐怖に怯まないようにするのには厳しい訓練か頭のネジが緩んでいると言われるであろう資質のいずれかが必要であり、そして仮にその条件を満たしていても、実際に目元を攻撃されても影響がないのが更に一握り。  つまり少年は眉間を殴られても影響を受けない稀有な人間ではなかった。  左手に伝わっていた瞬間移動の予兆が収まり、包丁の柄はわたしの指に絡まる。  呻く少年の様子を見るに、もう瞬間移動でモノを飛ばして攻撃する余力もなさそうだ。 「さてと」  包丁を遠くまで滑らせて左手を空けたわたしは少年によりかかると、胸を押し当てて彼の耳元で囁いた。 「抵抗はこれくらいにして、ノートを何処に隠したか教えてくれないかな?」 「く……この期に及んで僕のことをベタベタと触るだなんて……そんなことをしてもに無駄なのがわからないのか? ワンパターンな自意識過剰女め!」 「自分からそういうことを言うくらいにはお姉さんのことを意識してたワケ?」 「そんなワケないだろう。このバイタ」 「誰が淫売のクソ女だって? ガイジンの中坊にしては難しい日本語を知っているモンだね」 「知ってたら悪いか。そういう態度で僕をガイジン呼ばわりする時点でアンタはやっぱり汚い大人だよ。お前なんて先生に殺されてしまえ」 「だったらもうノートのことなんてどうでもいいさ。とりあえずキミはここでリタイアしてもらおうか。あの世でその先生とやらが返り討ちにあうところを見ていなよ」  尋問は平行線。  身体を再び起こしたわたしは扇子を左手に持ち変えると、空いた右手で少年の顔を掴んだ。  掌の中心を眉間に合わせて呼吸を整える。  吸い込んだ酸素がわたしの中を駆け巡って丹田に集まった気が爆発し、それが胸から肩を通って掌まで伝わっていく。  顔面への秘打には幻覚、催眠などの効果があるのだがこの技はそれらの一つ。  自白剤を注射したのとほぼ同じ状態を引き起こす幻魔掌白式をわたしは放った。  あと少し気を送れば少年はべらべらと口を割る。  そう思っていた矢先に、件の先生らしき存在が妨害してきた。  幻魔掌のために気を高めていたからこそ敏感に察することのできた他人の気。  迫りくる空気の刃は少年の首を捉える。 (勿体ないが……下手なことを喋らせぬように、ジャクリーもろとも仕留めてくれる) (この感じ……素手じゃ危ない!?)  掌を少年から離したわたしは刃を抜くように左手に握っていた扇子を右手で引き抜き、少年の首筋を捉えていた攻撃を弾き飛ばした。  ちょうど右手には気が溜まっていたのもあり、気で強化された扇子はそれを弾いたわけだが、それでも危うく押し負けて切断されそうなほどに扇子には切れ込みが走る。  おそらくこの空気の刃を飛ばしてきた相手は少年もろともにわたしを仕留めるつもりだったのだと感じ取るのには充分な痕跡であろう。 (アレを防ぐとは並の使い手ではないようだな。どこに誰かは知らぬがこの距離では埒が明かん。どうせ狙いはこのノートだ。ここで決着をつけるよりは迎え撃つのが得策か)  トンと足踏みをする音が不意に響き、おそらくあれはわたしを誘うためにわざと立てた音なのだろう。  中断された少年への尋問を終えてからでも良いかもしれないが、ここは誘いに乗るべきだと直感し、わたしは音の鳴った方に駆け寄った。  目を凝らすと薄っすらと線が引かれているのが見える。  さきほどの術者がわたしを誘うために用意した何らかの術の痕跡であろう。 「さてと。何が待っているのやら」  あからさまな罠だが、罠に乗らなければ情報は手に入らない。  見て記憶した内容だけでも記事は書けるとはいえ、手元にソースがなければそれは言いがかりと大差がない。  傷ついた扇子と無傷の扇子。  二つを見比べて手持ちの道具を確認しつつ、わたしは敵の誘いに導かれた。
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