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第9話 プロトタイプ・コスモス
それからエイレネが訪ねてくるのに時間はかからなかった。
エイレネ曰く、施設にいる全員の自己紹介が終わったことでイトから詳しい話があるらしい。エイレネに連れられてイトの元へと向かっている。
階段を上り、廊下を歩くのを繰り返す。エイレネは大きなオートドアの前で立ち止まり、振り返った。
「この先のバルコニーでマスターが待っています。これから先の遠い未来のお話をされると思います」
エイレネの表情は色々なものが混じって歪んでいる。その内訳は何かは分からない。
「良い御返事を頂けることを期待しています!」
そう言うとエイレネは深く頭を下げて走り去っていった。
「遠い未来の話、か」
そう呟いて俺は歩を進める。
「元の世界でさえ、遠い未来なんて無かったのになあ」
それから三つほど続いた大きなオートドアを通り抜け、数分歩く。そこにはイトが立っていて、こちらを見据えていた。
「待っていたよ。歩きながら、遠い未来の話をしよう」
イトの元へ辿り着くと、視線で隣を歩くよう促される。俺は隣に立ち、イトの歩みに合わせて歩き出した。
「彼らと話して、少しは信じてもらえたかな。個性的だから大変だっただろうけれど」
「人間じゃないのは分かった。本当に小説の世界なんだな」
「私を含めず、七人。全員小説の登場人物だ」
「それは少ないか?」
「うん、とても少ない。全編ならこれの数百倍はいるだろうから」
「そんなに長いのか」
この言いぶりだと全ての言葉が神格体として存在しているわけじゃないことが分かる。ただ完全に把握できているわけでもないのだろう。
「イトの書いた小説を読ませてくれないか? そうした方がもっと早く世界について理解できる」
イトの足が一瞬止まったかと思えば再度動き出す。
「小説は、無い。今からその理由と未来のことを話すよ」
それからイトは足を止めることなく、淡々と話し始めた。
俺は頭の中で話を整理する。
この物語は、数ある世界の全てを平和にする旅の物語。
言葉が神格化し、擬人化したことによって全世界で争いが起こり、人類の存続が危ぶまれている。その危機を回避する為、平和の神格体であるエイレネと共に一つずつ世界を旅し、平和にすることで物語は完結する。
簡潔にまとめればそんなところだ。
「なら、小説通りの物語を辿れば目的は達成するんじゃないのか」
小説が無いとはいえ、大まかな物語は覚えているはずだ。その通りに行動すれば少なからず物語の終わりに向かう。
するとイトは小さく笑って言う。
「八十が神格体達と話すのは物語通りだろうか」
「——」
その発言の真意を汲み取る。
確かに――全てが小説の物語通りに進むというのなら、地球から来た俺と会話ができていること自体が既におかしい。
「顕現した神格体は一つも違わない。だけど、そのどれもが自我を持っている」
「小説通り、じゃないんだな」
イトは小さく頷き、続けて口を開く。
「本来なら創作の域に留まっている物語が現実として存在してしまっている原因。それは全ての神格体の頂点にして、この物語の最後の敵——」
気づけば目的地に辿り着いていたようで、最後のオートドアが開くと同時にイトは振り返った。
「——"創造"の神格体、ディミオルギア。奴の力が、全ての物語を狂わせている」
イトの背後——城の一部のような白いブロックで作られた、洋風のバルコニーの先。
そこには言葉の通り、何も存在しない。ただただ遥か先まで続く黒に塗り染められた世界が、そこに広がっていた。
「ここはかつてディミオルギアに滅ぼされた世界。色も物質も生命すらも存在することを許されず、際限なく続く虚構。終わってしまった世界に、私達は存在している」
「——っ」
これは――あの時と同じ感覚だ。目の前で大きい隕石が衝突しようとしているのを、これから襲い来る絶命の瞬間を待つ感覚。
それほど、この世界に希望を見い出せなかった。
「我々はプロトタイプ・コスモス――。存在する全ての世界に平和を齎す為、ディミオルギアを倒し、元の世界を望む者——」
まるで突風が吹いたかのような威圧感に息を呑む。
はっきりと自覚する。これは小説の世界などという甘えた考えは捨てなければならない。この世界に存在している以上、ここは現実だ。
「世界があるべき姿に戻る為、九重八十——君の力を貸してほしい」
そうして差し伸べられた手を前に、俺は悩む。
本来なら俺に遠い未来など無かった。あの日、あの瞬間——隕石の衝突により数多くの命が失われたように、俺の存在も消え失せるはずだった。
しかし俺は生き延びた。無くなるはずだった遠い未来の線がかろうじて繋がっていた。
その繋がっていた線を無駄にする意味はない。
「——」
俺はもう一度歩を進めるべきだろう。
イトの手を握る。固く、これから先の未来を共に形成していく為に。
「——よろしく、九重八十」
——この時、桐生イトが目を据えて笑っていた理由を、俺はまだ知る由も無かった。
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