第8話 左の世界と神格体 -1-

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「ごちそうさま♪」 「ごちそうさまァ!」  それから一度も話すことはなく飯を食べ終えた。俺とエイレネが話せる心情じゃないことを理解してくれたのか、二人も黙々と食べていた。  食べ終わって気づく。俺達は普通に飯を食べていたが、金銭を持っていない。それはエイレネも同じだろう。 「あ、ボク達の奢りだからそんな心配そうな顔しなくていいよ。じゃ、ケノトミアお会計よろしく~♪」 「ボク達ってのどこいったんだァ!?」  表情を見て察してくれたのかそう言って二人は会計しにテーブルから離れる。 「なぁ、エイレ――」  声をかけよう、と名前を呼んだところでガタンと何かが衝突する音が響く。  視線を向けるとトラブルがあったのか、髪と上半身が濡れている男が中年男性の胸倉を掴んで怒鳴っている。  よく見ると胸倉を掴む男は顔が真っ赤で、それは怒りに顔を赤くしているというより酒に酔って赤くなっている様子。  しばらく怒号が響き、男が拳を振り上げた途端、俺の隣にいた平和を愛する神格体は一目散に走り出した。 「——『平和の盾(アスパイダ・エイリーン)』!」  エイレネが手を(かざ)して詠唱すると、酔っ払いと中年男性の間に透明でありながら薄緑のグラデーションがかかっている丸い壁が現れ、酔っ払いの拳を受け止める。  これがライナリーヴァの言っていたエイレネの(ゾイ)。詠唱しているがシールドを展開する限り間違いないだろう。  初めて見たが、酔っ払いが痛がっている様子を見るとかなりの強度みたいだ。 「て、テメェ! 何すんだ!」  怒りの矛先がエイレネに向いたことに気づいて俺も走って寄る。酔っぱらっている様子を見ると暴力を止めたエイレネにさえ手を上げそうな様子だ。 「平和の神格体である私の前で暴力は許しません! 激怒する事情は分かりませんがまずは話し合いをしてください!」 「へ、平和の神格体っ!?」  神格体だと聞いて怖気づいたのか、酔っ払いはモブに相応しい舌打ちの後に気を付けろ、と言い残して去っていった。  気を付けろ、と言うからには中年男性に非があったのでは? と思ったのは内緒だ。 「大丈夫ですか?」 「あぁ……ありがとう、お嬢さん」  尻餅をついていた中年男性に屈んで手を差し伸べるエイレネ。中年男性はその手をとって立ち上がった。 「何かあったのか?」 「実は――」  どちらが悪いのか気になっていた俺がトラブルの実情を聞くと中年男性は事の顛末(てんまつ)を話した。  まとめると酔っぱらっていた男性が椅子を引いて立ち上がった時にその椅子に足を引っかけ、転ぶ際に肘打ちをかました挙句に手に持っていた酒を頭からぶちまけたらしい。  後ろを見ずに立ち上がる男性が悪い気がするが、わざとじゃなくても肘打ちに酒を吹っ掛けるのは――胸倉を掴まれても文句は言えないのかもしれない。 「あれ? どうしたの?」  すると会計を終えたエイシオとケノトミアがやってきて、軽く説明すると二人は肘打ちと酒吹っ掛けに笑っていた。 「こ、これからは気を付けましょう!」  エイレネも(ツー)コンボはまずいと感じているのか戸惑いながらも中年男性を注意する始末。 「……どうかしたのか?」  俺は零して空になった木製ジョッキの中を見つめる中年男性に聞く。 「あぁ、いや。実はなけなしの金で買った最後の酒だったんだ」 「まぁ、それは運が悪かったな」 「数日後に『夜の勢力(ニクタソシア)』に行かなければならないから、有名な店の酒を一度は飲んでみたいと思って毎日苦しい思いをして働いては節約して、ようやく飲めると思ったのにな……」  なんだ? 急に語り始めたぞ。まさか、強請(ねだ)っているのか? 「『朝の勢力(プロイソシア)』といえば『朝の酒と喧騒』——今日が最後のチャンスだったのに。日々の辛さをかき消してくれる、唯一の機会だったのに」 「……」  ここまであからさまな強請りに発展するとは。あまりにあからさますぎて後ろで待機するエイシオが自分の太腿(ふともも)を叩いて笑いを堪えている。 「そんな大切なお酒だったんですね……アイッ!?」 「感化されるなポンコツ」  俺は良心の塊でありポンコツのエイレネの頭にチョップをかまして溜息を吐く。 「残念だが俺達は金を持っていない。強請るなら他を当たってくれ」  金を持っていても奢ることはしなかったが、金を持っていない以上どうしようもない。むしろ断りやすくて助かるくらいだ。  断って立ち去ろうとする俺の腕をエイレネが掴んだ。 「お金がなければ稼げばいいんですよ!」 「……おい、本当にやめ――」 「すみませーん! お酒一杯買いたいのですが体で払えないでしょうか?」 「その言い方もやめろ! 労働で払えるか聞け!」  ぱたぱたとカウンターに走っていったエイレネが店長らしき男としばらく話して戻ってくる。 「一時間のお皿洗いで一杯らしいです! つまり二人でやれば三十分で終わりますよ!」 「勝手に俺を含むんじゃ……はぁ」  このお人好しポンコツ神格体がこうなったら無駄だと感じ取った俺は溜息を吐いて中年男性に振り返る。 「だそうだから、三十分待てば酒が飲めるけどどうする?」 「お、おぉぉ……ありがとう、ありがとう」  中年男性は手を合わせてすりすりしながら感謝を述べる。 「それならボク達も手伝うよ! 四人でやれば十五分で終わるからね♪」 「わあ! ありがとうございますエイシオちゃん♪」 「ん~! その語尾に音符がついてそうな呼び方いいね♪」  笑顔で手を合わせた後、仲良く手を繋いで厨房へと向かっていく二人を前に、 「……お()ェさん、大変なんだなァ」 「……どうも」  巻き込まれた俺とケノトミアはとぼとぼ歩いて皿洗いへと向かった。
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