第10話 左の世界と神格体 -2-

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「今日はお開きにしようか」  荒野に残る影はない。温暖と寒冷の抗争は既に終わっていて城壁の上に残る理由はなく、チャロの一言で解散することになった。 「んじゃ先にいくぜェ」  と言って、ケノトミアは石の塀に足をかけて街に向かって城壁を飛び降りた。 「はっ!?」 「えっ!?」  俺とエイレネはすぐに塀に駆け寄ってケノトミアの姿を探す。  ケノトミアと思われる金色の頭をした影は家屋の上を転々として街の奥へと消えていく。 「じゃあボク達もいくよ~♪」 「へっ――きゃああっ!?」  チャロからティマタを受け取ったかと思えば、未だにケノトミアの姿を目で追っているエイレネを抱き抱えて飛び降りる。  エイレネの断末魔がずっと響き渡っている。やがて消える頃、俺はバッと振り返った。 「お望みとあらば飛び降りようか?」 「いやっ、いい!」  即答で否定する俺に笑みを零すチャロ。  エイレネはちょっと分からないが、神格体がとんでもない身体能力をしていて城壁から飛び降りても大丈夫なのは理解した。だが俺はあんなのに抱えられて移動する度胸は無い。 「さっきエイシオに頼んで君と二人にしてもらうようにしたんだ。話したいことがまだあるようだったから」 「……助かる」  そんなやり取りがされていたのは気づかなかった。位置的には俺の右はエイレネだけで左に四人。俺がエイシオとチャロのやり取りに気づかなかったからエイレネも気づいていないだろう。  俺が礼を言うとチャロは塀に肘を置いて荒野を見つめる。俺はその隣に立ち、朝と夜の境界線がある空を見た。 「カフェで話していたこと以外に聞きたいことはあるかい? あんまり長くなるとそちらのお嬢さんに怪しまれてしまうかもしれないからゼスト――温暖の神格体に引き継いでおくよ」  聞きたいこと。一番気になっていることはカフェで話したエイレネの(ゾイ)を以てしても抗争はなくならないことだが、他にもある。  中立玉座の間でプロイとニクタに呼ばれたプロティフィアの発言を思い出す。 「プロティフィアが中立玉座の間で、俺達がミスメリイの復活に尽力すると言っていた。ミスメリイが昼の神格体だということは知っているが、それ以外の情報がない」  それは俺達が創生者(そうせいしゃ)からの使者であること。そして俺達が昼の神格体ミスメリイの復活に尽力すると言っていたこと。  創生者というのはそのまま桐生イトのことと受け取っていいだろう。それはいいが、昼の神格体がミスメリイという名前であること以外何も知らないのだ。  チャロは俺に視線を移して頷くと再度荒野を見つめる。 「さっき五十年続く小さい抗争で神格体が死んだことはないと言ったのは覚えているかな」 「あぁ、覚えている」 「その内の最初の四十年。神格体が死ななかったのはミスメリイ様のおかげなんだ」  抽象的な説明に理解が及ばず、俺は次の言葉を待つ。 「強大な力を持つ(プロイ)(ニクタ)を唯一止めることができた存在なんだ。まだ空が三色だった頃の話——十年前に目を覚まさなくなってしまった」 「それはどういう理由が―—」 「おしまい。ははっ、気になるだろうけど温暖の神格体に引き継いでおくから聞いてみて」 「……意地悪か?」 「そういうことにしておくよ」  さて、とチャロは気を取り直すと共に俺と相対する。その表情はカフェの時と同じ精悍な顔立ちで、これから話すことが大切なことだと感じ取った。 「僕は平和の神格体の(ゾイ)があっても抗争は無くならないと言った。それはおそらく間違いない」  包み隠さず核心を突いた言葉。それはエイレネの前で説明するのをやめたものだ。  俺は心に芽生えていた否定する気持ちを抑える。 「人間の奥底にある生殖本能は揺るがない。それと同じように僕達——神格体の奥底にある対比嫌悪も揺るがない」  チャロは両手の平を上に向け、それぞれ陽の気を出して説明する。 「人間は理性でそれを隠しているが、神格体の理性は(かせ)(もろ)い。生まれながらに対比嫌悪している上にそれを抑える制限がほぼ無い」  右手の陽の気がメラメラと音を立て膨張し、息を呑んだ。それは神格体の対比嫌悪が今にも暴走してしまいそうな状況を表している。 「挙句に僕達は力を持っていた。そして、世界がそれを許す環境で生きている。だから分かるんだ、例え禁止されても何かの形として火種を残す」 「……憶測じゃないか」 「もちろん憶測だよ。じゃあ、君の言う平和を脅かす事象の禁止は憶測じゃないのかい?」 「——ッ」 「平和の神格体は今まで(いく)つの世界で(ゾイ)を使い、どこまで禁止した? まさか(ゾイ)を使ったことがないなんて言うんじゃないだろうね」  ここで言い負けたらダメだ。俺はエイレネと共に世界を平和にして、一緒に背負うと決めた。  言い負けたらその決心でさえ本物かと問われているようで、体が震えてしまう。 「——君達の言う平和とはなんだい?」  何か言い返せ。エイレネの気持ちを考えろ。エイレネならなんと言う? エイレネならなんと返す? エイレネなら、どう平和を表現する? 「抗争の無い世界? 誰も死なない世界? 誰も悲しむことのない世界? では存在意義の証明をする為に戦う僕達は悪だろうか。老い、人生を全うして死を迎える人間は悪だろうか。誰かを嫌うことは、否定することは悪だろうか」 「やめろ」 「やめるものか。その薄っぺらい平和とやらで、僕達の聖戦(せいせん)が邪魔されるなんて我慢できるはずがない」 「やめろッ」  言い負けたらダメだ、何か言い返せ。そう思っている時点で俺の気持ちは破綻している。  体に力が入らなくなった。後退(あとずさ)りしようとした足が(ほつ)れてひんやりと冷たい石の上に尻餅をつく。目の前の神格体があまりにも恐ろしい人外に見えて目を逸らした。 「君の好きな憶測の話をしよう」  神格体は言う。 「平和の(ゾイ)が働けば、対比する神格体は総じて自害する。そして後から生まれてくるはずだった対比する神格体は」  次第に歩き出した神格体の足音が次第に遠のき、顔をあげると塀の上に立っていた。 「果たして神格体(僕達)と人間、どちらが多くの命を奪うのか。——楽しみだね」  風を切る音が聞こえた後、塀の上に姿は無かった。  俺は落ち着きを取り戻す胸を抑えながら石の塀に背中を預ける。 「……はは、ははは」  笑うことしかできなかった。平和、平和と口にしておいて、平和の意味を口にすることができない。  俺の口から出ていた平和など戯言(ざれごと)だったのだ。ただエイレネの思想が美しいと思ったから感化され、同じことを口にするだけの馬鹿だった。  じゃあ、俺がエイレネと一緒に背負うというのも虚言だったのか。  そう思うと、胸が酷く痛んだ。
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