第十話 不自由を願い

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 クリスマス戦線が落ち着いたのは、十二月三十一日だった。つまり、全く落ち着かないまま、今年が終わった。  特設で出していた洋菓子も、ウィリアムさんのスコーンも好評だったため、自分の担当の売上も目標の二倍と好成績だ。来年も引き続いて日本で販売ができそうだし、私もバイヤーを続けられそうだ。それは本当に良かった。しかし日常はめでたしめでたしでは終わらない。  クリスマスが終われば一月のお正月、二月のバレンタイン、三月のホワイトデーとイベントは続くことだ。そしてバイヤーの私としてはさらに新しい取引先の開拓を行いたいタイミング。特にバレンタインは世界中のチョコ職人が技を振るう機会だ。色々めぐりたいところはある。  しかし、しかしだ。 「ごほっ……うう……」  誠に残念なことに私はこのタイミングでインフルエンザにかかってしまったのである。 「熱が……何度あるんだろ、げほっ……目がかすむ……」  それも性質が悪い風邪にもかかったらしく、インフルエンザの薬を飲んでも、症状が収まらない。 (……ウゥ……でも、ここで、無理はできないな……他の人にも迷惑かけるし……)  私は色々やりたかったことを諦めて、年始はためていた代休と有給の消化をすることにした。みんな忙しいところを休むのは申し訳なかったが、マネージャーには気にしなくていいと言われたので、大人しく一週間休んだ。  そうしてなんとか体調が整った休み明け、出勤するやいなやマネージャーから声をかけられた。 「市村さん、体調は?」 「もう大丈夫です。すいません、皆様に迷惑を……」 「そんなことは気にしなくていい。仕事の話をしよう」  マネージャーのこういうところは、私は結構嫌いではない。私が頷くと、彼はタブレットを取り出した。 「イタリアに出張に行ってほしい。市村さん、イタリア語は話せましたか?」 「フランス語でなんとかならないですよね……イタリアには行ったこともないです」 「そっか。現地に知り合いもいない?」  ――イタリアは、紫貴のふるさと。  まばたきをして首をふる。 「……いないですね。どんな仕事ですか?」 「大きめのチョコレートコンペティションがあって、たまたま招待チケットが一枚手に入ったんだ。先方がヨーロッパチョコレート担当がいいって言っていて、そうすると市村さんでしょう?」 「ええ、たしかにチョコは私、好きですし……」 「でもイタリア語わからないと厳しいかな、病み上がりだし……」 「行きます! イタリア行きたいです!」  答えてから、自分でもハッとした。   (私、行きたいんだ、イタリア……)  そうして、言ったらスッキリした。私はマネージャーにもう一度「行かせてください」と頼んだ。彼は仕事の話しかしない人なので、もちろん理由なんか聞くことなく「じゃあ、日程詰めよう」と話を進めてくれた。  そうして、あれよあれという間に、二月の頭に私はイタリアに飛んでいた。そして、イタリアに降り立った瞬間、あまりの寒さに私はとんぼ返りしたくなった。 (さっ……むい! 寒い、寒い、寒い! オフシーズンのヨーロッパの寒さは何なの、本当に!)  飛行機の中で気がついていたけれど、空港から出た瞬間に明確にわかった。 「絶対に今年一番の寒波よ、これ……」  ニュースで寒波が来ることは知っていたけど、想定より規模が大きい。 「はぁ……寒波、か……」  私はマフラーを巻き直してから、タクシーに乗り、滞在先のホテルに向かう。 (……なんだろう)  ――胸が妙に騒ぐ。 (これは、視線? 誰かに見られているような……疲れてるのかな……マア……ともかく仕事、仕事……)  スケジュール帳を開き、今後の予定を確認する。予定はぎっしり。疲れている暇なんてない。けれど、やはり、妙な感覚がした。 (……変だな?)  それが、イタリア滞在の始まりだった。 (第十話 不自由に足り 了)
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