第十一話 光に触れ side:紫貴

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  『……お前なぁ、どうでもよくはねえだろ? お前の親父はウチ(・・)のトップ中のトップだぞ。死んでも捕まっても均衡が崩れる。何よりお前(・・)の親父だろうが。見舞いぐらい行ってやれ』  深夜二時にそんな『どうでもいいこと』を連絡してきたのは百々目だ。  彼以外、俺にこんなどうでもいい……仕事以外の用件で連絡してくる馬鹿はいない。俺に憂さ晴らし(・・・・・)で半殺しにされるからだ。  しかし、この男だけは別だ。こいつは半殺しにされようが三十分後にはどうでもいい電話をかけてくるやつだし、電話を無視すると家に押しかけてくるやつだ。だから、俺は渋々、百々目からの連絡は、出るようにしている。だが……。 (今回も本当に『どうでもいい』……)  身内の入院なのだから見舞いに行く、それがまともな人間なのだろう、とは、知識としては理解できる。  しかし、俺たちはマフィアだ。  まともな神経でいる必要はまったくない。むしろまともな神経など邪魔でしかない。つまり、この百々目の電話はすべて無駄の極みである。 『日比谷。おい、聞いてんのか?』  返事をしてやるのも億劫だったので、ため息を返すと、彼は喉の奥で笑った。 『相変わらず生意気だな。日比谷、……ついでに、お前も少しは休め。相変わらず何もない部屋にいんだろ、どうせ。いい加減趣味をつくれ。あと、彼女。というか一回結婚しとけ。ドンが死ぬ前に嫁の顔を見せてやれ。まだ若いんだから、離婚の一つや二つ……』  どうでもよすぎる。俺は何も言わずに、電話を切った。  暇なのか、百々目はすぐかけ直してきたが、無視した。 「はぁ……」  彼の言うとおり、俺は家に何かを置くことはない。家などすぐに変わるのだし、単なる寝るだけのスペースに過ぎない。なのに、あいつは物を買えと言う。趣味を持てと言う。女を抱けと言う。仕事以外の世界を持てと、しつこい。 (いつまで保護者気取りなんだ、あいつは……)  窓枠に腰掛けて、夜景を見る。  今日もニューヨークの夜景は目にうるさい。つまり、それだけの人間が仕事をしているのだから、そこには金がある。金があるということは、そこに俺の仕事は無数にあるということだ。  そして仕事を全うすることが、唯一にして絶対の、『息子』としての役割だ。 (父親、……)  見舞いになど行けば怒鳴られる。見舞いに行かず仕事をしたら褒められる。俺たちの関係はそういうものだ。  家族、としては間違っているかもしれないが、仲良し家族なんてものにどれほどの価値があるのか。俺は彼のことは上司として尊敬しているし、あの男の後を継ぐことに不満はない。  しかし、百々目は電話をかけ続けてきやがる。 (しつこいな、本当に……)  渋々電話を取ると、開口一番『要するにだ』、と言い出す。 『跡継ぎとしてドンの入院中に何をすべきか、指示を仰いで来い』  俺は心底嫌気が差したが、口を開く。 「お前が行け。何故わざわざ俺が出向く必要がある」 『入院先は東京だ。つまり日本。俺が入ろうとすると手間が多すぎるだろ』 「ァア? 日本?」 『ドン、久しぶりに雷おこしが食いたかったんだと。で、入院先を東京にした。つまり、俺は行けねえ。で、他の奴らは日本語が微妙だ。要するにお前が行け』 「くたばれ」  殺してやりたいほどだるかったが、結局、怒鳴られるために日本に行くことになった。  そうして十年ほど会っていなかった父親の顔は、『こんな顔だったか』と思う程度に記憶に残っていなかった。  その年老いた男は俺を見ても怒鳴らず(かと言ってもちろんハグなども「Come stai(元気か)」などの挨拶もなかったが)淡々と仕事の引き継ぎを行った。引き継がれた仕事は、量はさほどではないが、交渉が多く、面倒くさそうではあった。が、マア、どうとでもなるだろう。 「……」 「……」  だから部屋に入って、五分で話すことがなくなった。  帰れ、とも、出てけ、とも言われなかったので、俺は席に座ったまま、指示を待つ気持ちのまま、男の顔を見ていた。 (……死相が出ている)  男は来年にも死にそうだ。  だが、来年までは死ななそうだった。  そして、やはり話すことはなかった。  俺は男の顔を見ていて、男も俺の顔を見ていた。そして俺たちの部下は気まずそうに俺たちを見ていた。 「......Hai intenzione di sposarti?(……結婚の予定はないのか)」 「......Ma insomm(は?)......」  男はため息をついてから、帰れと顎で示した。だから部下を連れて、帰路につこうとしたが、ここで問題が起きた。  マフィアがゾロゾロ歩いて無視してもらえるほど、日本は治安が悪くないのだ。つまり、滞在先のホテルに警察が来て、部下はスルーしたくせに、俺だけ引っ張った(・・・・・)のである。  もちろん、何もしていないのにとごねてもよかった。しかしそうして帰国してから、ブチブチ呼び出されるのも面倒だった。だから部下には俺の荷物を持って先に帰国するように指示をした。そして、三日、警察で事情聴取を受けた。罪状などない、やったことといえば入国して、ゾロゾロ歩いただけ。それで三日だ。が、……これが外れものの宿命でもある。  警察を出てから、部下が無事に帰国したことを確認し、それから改めて自分の航空券とった。直前に取ったから相場の倍以上の値段で、しかも、ファーストでなくプレミアムエコノミーなどという中途半端な席のみしか残っていない。  だが、もう、どうでもいい。俺は疲れていた。中央列を買い占めて空港に向かった。 (アァ、だるい……本当にどうでもいい仕事だったな……)  早く帰国して仕事に戻りたい、それしか考えていなかった。
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