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「お父さん、着いたよ」
「今年も本当に立派ね」
声を掛けられた彼はゆっくりと、本当にゆっくりと顔を上げた。やつれてこけた頬と真っ白になってしまった髪。そして腕や足も骨に皮膚を付けただけのよう。
それでも彼はいつもと同じ角度まで顔を上げ、私が一番美しいとされている部分を見る。
「……わかる。輪郭はもうわからないけれど、桃色に視界が染まっている」
そう言って彼は初めて、私を見て微笑みながら涙を流した。
「相変わらず、綺麗だ」
一筋だけが、頬に伝う。でもそれ以上を溢さないように彼は一度目を閉じ涙を閉じ込めると大きく頷いてまた開き、覇気のない中でも持てるだけの生命力で私と向き合った。
「進行の早い病に罹ってしまって、来年はもうここには来られないかもしれない。だから、まだ辛うじて見えている内にと無理を言って連れて来てもらったんだ」
「僕はもう、君に会うことはできないけれど、どうかこの先も、僕の代わりに妻と娘を、見守っていて欲しい」
「そしてもし生まれ変わりというものがあるのなら、また君の美しい姿を見に来るから、君も元気で、しっかり生きていて欲しい」
話すのも辛そうに息をヒュ―ヒューを何度も吐きながら、言葉を区切りつつ私に語り掛ける。
彼の後ろで車椅子を支えているあの子は声を漏らさないように静かに涙を流し続け、長い時間を彼の横で過ごしてきた女性は彼がどんなに辛そうでも話すことを止めず、涙を一つも流さずにしっかりと目を見開き、強い眼差しで彼を見つめていた。
私は。
私は動かない私の身体を、存在しない血液を、動かす。
在りもしない体温を上げて、渾身の力で自身を、震わす。
今日で全てが終わるような勢いで花びらを、散らす。
突風が吹いたわけでもないのに一気に散り出す桜に周囲はどよめきと歓声を上げ、目の前の女性二人はただひたすらに圧倒された様子で、娘は涙を止めた。急に聞こえた歓声に最初は戸惑っていた彼も、やがて彼に振り注いで肌に張り付いた花びらの感覚に気が付き、ゆっくりと口角を上げる。
「……ありがとう」
あなたと、あなたが愛した命を、私は最後まで見届けます。
いつかあなたにまた会えるように。
そしてその先、もっと先。私が長い命を終えた先では、またあなたと話すことや触れ合うことが許される時を生きられたら。
それが叶うように、私は私を嫌わず、出来れば愛しながら、あなたが愛した命を私は最後まで見届けます。
あなたのくれた約束は、私の生きる大きな意味。
(完)
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