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それからも彼らは毎年この季節、私が桃色を散らす頃に変わらず姿を見せる。
私と同じ名前が付けられたという少女は瞬き程度の僅かな時間でもはや毎年別人なのではと思うくらいに成長していき、とある春からは学生服に身を包む姿を朝と夕に見掛けるようにもなった。
最初は一人で私の目の前の道を歩んでいた少女もすぐに友人を連れるようになり、私との姿をなにやら長方形の機械を使って写真に収めたりもしていた。
やがて少女もまた中学校とやらを卒業しこの道を通らなくなったけれど、それでもいつもの時期には両親と共に姿を見せるので、相も変わらないその純粋さと相対して急速に美しく磨かれていく容姿を意識に収めることが今の私の楽しみの一つだ。
この子は花が咲いたように笑う。
その姿を見て不思議と私は単純に嬉しさを感じていて、やはり彼の血を引く子なのだなと納得をしながら成長を見届けている。
そしてある春、彼やあの子の姿を心待ちにしながら桃色を降らせているといつもの方向からいつもの感覚がして、意識を向けるとそこには……二人。
あの子が、いなかった。
流れていない血の気が引いて根元が冷える。
事情は? 聞きたくても私は口を持たない。
そんな私の心情なんてお構いなしに華やぐ周囲の人々。それらを疎ましいと思う感情すら存在せず、私はただ一点にだけ意識を向けていた。
二人は私の根元までやってくる。
そして女性は鞄から少女も持っていたような長方形の機械を取り出すと私に向け、一枚を収めた。
「あの子も一緒に見てから行けば良かったのに。都会がそんなに楽しみなのかしら」
「年頃の子だからね。写真、送ってあげなよ」
「ええ、今送ったところ」
写真を送ったということは生きているということ? 都会、という国に行ったという認識で相違ない?
疑問は届かない。やはりここに立ったままひたすらに生きることしか許されない人生が歯痒い。けれど、それぞれの人生を、ひとつひとつの命に目を向けることができる自分を、最近はそこまで嫌うことはなくなったように思う。
私は私が嫌いだったけれど、彼らを筆頭にここに集う多くの者たちの人生の一部に私の存在が特別なものとして映り残るのも悪いことではないのかもしれないと、三百年掛かってやっと思い始めた。
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