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ーー2019・6
金髪の老婆の遺体を引き取りにやってきたのは中性的な人物であった。連絡をつけた職員によると老婆の一人息子らしい。息子もまた髪を同じ色に染めており、雨に降られたのだろう。生気の薄い輪郭に金色が張り付いていた。
「こちらにを署名をお願いします」
今日の男の仕事は亡骸を引き渡すことであった。
昨今、遺体の引き取りを拒否する身内は少なくない。ことに何年も会っていない親子間では大抵わだかまりを抱え、こちらの息子も例に漏れず。
ただ、彼は八十も過ぎた母親が色恋沙汰で命を失ったと聞かされても驚いた様子はなかった。
「署名?」
引き渡しに伴う書類の記入を求められた息子は急に視線を泳がせ、その淡々と母親の死を受け入れた印象を崩す。
「サインしないといけませんか?」
「え?」
「サインしないといけないか、聞いたんですけど」
「あ、あぁ、はい。規則ですので。担当の職員より前もってご連絡しているはずですが」
「あ、あぁ、はい」
この期に及んで何故こんな事でごね出すのかーー男は困惑した。すると息子はそんな男の隠せない動揺を読み取り、ペンを握る。大胆な髪色にしておきながら、人の顔色を窺う臆病な一面をみせてきた。
「確認ですけど、この人の今の名字は?」
「あーーえっと柊、柊さんですね」
「柊……そうですか。旦那さんは?」
「もう亡くなってますね」
「そうですか」
旦那側の親類が教職につくお堅い連中でね、男の耳に同僚の声が甦る。同僚も男もいちいち感情移入していたらきりがないと承知しており、金髪親子へも同情はしない。
それにしても「柊 貴雄」と書くだけで随分な時間が要する。しかも空欄の配分を謝り、雄の字が枠内に収まっていないではないか。あげく、自分の名など見飽きているだろうに金髪息子は暫くアンバランスな文字を見下ろす。
痺れを切らした男は次の空欄を指摘する。
「あとこちらにお母様のお名前を記入してください」
「貴重な子と書いて貴子です」
これまでのやりとりで息子が変わり者であるのは察せられるものの、母の名を九九みたく復唱する姿は迷子の少年である。遊園地やスーパーなどで親とはぐれた彼等と似ていた。
本人も後から自覚し、襟足を気まずそうに掻く。湿った毛先がうなじへ張り付き、うっとおしいと引き剥がせば滴が飛ぶ。
男にはそれが涙のように見えた。
「今日はおかしな天気ですね、降ったり止んだり。あの、すいません。雨降ってるので暫くここに居ていいですか? 傘を持ってきていなくて」
「それはいいですけど。お構いはできませんが宜しいですか?」
「えぇ、いいです」
「……僕の傘を差し上げましょうか?」
男は咄嗟に提案し、手続きが終わったのに居座られては困るという理由を慌てて作った。それから遠慮される前に言葉を足す。
「夕方以降の降水確率はゼロなんで、僕は構いません。コンビニで買った傘なんで使った後は捨てていいです」
「助かります。ありがとうございます」
「それでは書類を提出しながら持ってきますね。少しお待ち下さい」
すんなり承知されると、それはそれで男を戸惑わせる。ではどんな反応を息子に期待してしまったかは考えてはいけない気がし、男はひとまず席を立つ。
部屋をで、男は室内が甘い香りで充満していたのに気付く。香りの出所は言わずもがな、あの息子である。息子に感づかれないよう、男がそっと振り返る。
息子は窓辺へ移動し、降り止んだ空を見上げていた。
男も仕草につられ側の窓を仰ぐ。
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