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 2011年3月11日に起きた東日本大震災。当時、優貴は千葉県八千代市の自宅で被災した。たまたま仕事が休みだったこともあり、帰宅困難になることもなく、もともと散らかっていた部屋は大した被害はなかった。しかし、福島県郡山市にいる父と姉には連絡が着かず、安否の確認が出来ないでいた。  職場にも連絡が着かなかったため、翌朝、始発で池袋の職場まで数時間かけて向かった。そして次の日から休暇を取る旨を伝えた。現地入りして直接家族の安否を確認するのだ。新幹線は動いていない。高速バスが使えればいいが、ダメなら行けるところまで電車とタクシーを乗り継いで行く。郡山市に乗り入れてもらえなければ、そこから徒歩で向かうつもりだった。  ところが仕事を終えて念のため連絡すると、実家の固定電話につながった。かなり家の中はめちゃめちゃになり、風呂場が壊滅的な状態だが父は怪我もなく、姉夫婦とその娘たちも無事だという。 「とにかく明日、そっちに戻る」 「今、来られても困っから、おめは仕事をしてろ」 「なに言ってんだ、独りじゃ片付けられないだろ?」 「独りじゃね、晴花(はるか)秀晃(ひであき)も手伝いさ来る」  晴花は優貴の姉で秀晃は彼女の伴侶だ。 「姉貴たちだって大変だろ」 「俺は急がねから、手が空いてから来てもらう。どっちにしろ、おめが来ても手がかかるだけだから来んな」  父との話は平行線をたどった。たしかに急いで帰ったところで重荷になる恐れもある。そしてさらに気になる問題があった。  その日の午後3時36分、東京電力福島第一原発の1号機が水素爆発を起こしたのだ。原発がある浜通りと中通りの間には阿武隈山脈がある。これがどれだけ郡山市への影響を軽減してくれるか優貴には判らなかった。状況によっては家族を千葉へ避難させる必要がある。それなら自分はここに留まっているほうが良いだろう。  それから数日後、彼はその判断をすることになった。
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