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3.会議
営業部は週に一回全体ミーティングを行う。
一課と二課合わせて30人。それだけの人数が会議室に入るとさすがにぎちぎちだ。
もともとある椅子では足りず、仕方なく私たち営業事務の女性社員は自席の椅子を持ち込み、会議室の壁側にいつも通り陣取った。
正直、資料準備などは私たちの仕事だが、後の会議は私たちが出席していなくても問題ない気はしている。が、これも決まりだ。
「じゃあ、始めようか」
営業部部長の湊さんが号令をかける。と、そのときだった。
「すみませーん。一点いいでしょうか」
居並ぶ営業部員の中からふいっと手が挙がった。
「なんだ? 緑川」
部長が眉をひそめる。湊部長は緑川をちょっと苦手にしているようで、いつも緑川と話すときはこんな顔になる。
「会議始まる前がいいと思いまして」
「なんだ。前置きはいいから言ってみろ」
促され、緑川はその場に立ち上がり、そして言った。
「あのー、僕、今度の花見、欠席しますんで」
「・・・・・・・」
え? 今、こいつ何言った?
全員の顔に同じ疑問が浮かんだ。もちろん私の顔にも浮かんでいたに違いない。
「は、花見?」
湊部長の声が裏返る。その部長に緑川は余裕たっぷりの顔で頷いてみせた。
「その日は公休日です。別に問題はないですよね?」
「いや……。というかなぜ今それを……」
「誰に言ったらいいかわからなかったんで。ここなら部署全員揃いますし」
「まあ、それはそうかもしれんが。さすがに今じゃ……」
「とにかく花見は欠席します」
湊部長の発言を緑川が遮る。湊部長は、理解に苦しむ、といった顔をしつつ反論した。
「しかし花見は全員参加が原則だからな」
「それ、就業規則にありましたっけ? 確認しましたけどそんな文言、どこにもありませんでしたよ」
「ちょっと、緑川くん! 花見は全員参加! これは部署発足当時から決まってることなの。それをあなた、勝手に……」
「それって誰が決めたんですか? 社長ですか?」
割って入った如月さんに緑川が淡々と問う。問われて如月さんも目を白黒させた。
「それは……。でも私が入社した当時からそうだったの。いわば伝統よ」
「そんな伝統のために朝から場所取りして、おにぎり握って、酒とおつまみ用意して、車で運んで……を一人の社員に丸投げなんですか?」
すぱん、と緑川の声が空間を切る。みんな一様に唖然としてからそろそろと私を見た。慌てて私は立ち上がった。
「あ、いえ! その! 私は嫌だ、とかそういう……」
「ため息ついてたじゃないですか。織田さん。仕事だし仕方ないって。でもおかしいですよね。織田さんが握ったおにぎり代、会社からは経費で落ちませんよね。全部織田さんの善意ですよね。一企業が社員の善意に胡坐をかいてるって問題じゃないでしょうか。そもそもサービス残業なんて悪しき習慣をなくそう!としているこのご時世に、社員の時間を不当に奪う行事ってナンセンス過ぎませんか」
すらすらすら、とよどみなく緑川が言い切る。
一気に静まり返った会議室の空気を破ったのは湊部長だった。
「……織田さん」
「はい!」
名前を呼ばれると思っていなくて思わずぴょん、とその場で跳ねてしまいながら返事をすると、部長はじいいっと私を見つめて言った。
「去年の君のおにぎりは、本当にうまかった」
「え? あ、はい……」
一体、なにを言いだしたんだろう。
動揺した私に湊部長はため息をついてから、こほん、と咳払いをした。
「織田さんがあまりにいつもしっかりやってくれているから、ついつい楽しみにしてしまったが……あれだけのおにぎりを握るのにどれだけかかるんだろう。私には想像がつかない。如月さんはどう?」
問われて如月さんも眉を寄せる。
「確かに、三十人に一人二個のおにぎりとなると六十個。私だと多分二時間はかかります。今まで軽く考えていたけれど、さすがにこれは酷でしたね。ごめんなさいね、織田さん」
「え、あ、いや、そんな……」
とぎまぎしている私に如月さんはちょっと笑ってから部署の皆を見回した。
「こうしましょう。次の社内のお花見はそれぞれ持ち寄りにする。一定の金額までは経費として会社に申告し、精算する。これなら平等でしょう。ただ、参加については……」
そこでふと如月さんは言葉を途切れさせ、少し困ったような顔で笑って続けた。
「できれば参加してほしいって思うわ。仕事じゃできない話もああいう場ではできるから」
そう言った如月さんがほんのり頬を染める。その様子で私は思いだした。
今は退職して自分の会社を作られたが、如月さんの旦那さんが元営業部社員だったことを。
そういえば、去年の花見で如月さんは言っていた。桜を見るとなんか昔を思い出して気持ちが若やぐのよね、と。
もしかしたらなれそめは花見、だったのかもしれない。
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