老婆

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「面倒な事になった」 黒岩は遠くに小さくなる街の灯りを見ながら、そう思い頭を抱えた。 どんどん岸が遠くなって行く。波の飛沫が顔に当たる。 この船がどこに行くのか? 周りは知らない奴ばかりだ。 黒岩は暗闇の中の周りの人間の顔を確認しようとするが、暗くて良く分からない。小さな船にぎゅうぎゅうに人が乗っている。まるで難民船だ。 きっと皆んな、自分と似たような闇バイトに応募して、個人情報を握られて逃げられなくなった奴らだろう。 こんな小さな漁船にこんなに沢山人が乗っていたんじゃ、高波が来たら沈没してしまいそうだ。 「——さあ、皆さん! あなた達は選ばれた方々です。とても素晴らしい仕事をして頂き、ありがとうございます! その腕を見込んで、是非お頼みしたい仕事があります」 船の先頭に乗った男がそう話し出した。まるで喜劇の進行者のように軽やかに舌を踊らせた。 指示役だろう。今の重苦しい自分の心情と相反するテンションに些か気分の悪さを覚えた。 だがあの男も、雇われたただの現場監督に過ぎないのだろう……。 アイツも、さらに上の、顔も知らない主犯に指示を受けているんだ。 前の仕事は押し入り強盗だった。 なんとか成功したが、あれだけリスクを冒して報酬は1人たった10万だった。 黒岩は無意識に心のままに顔を歪めた。 別に此処で気にする事も無い。皆同じようなもんだろう。 惨めな負け犬。ドブネズミ以下だ。 もうやりたくなかったが、個人情報を握られている為に、無下に断れなかった。田舎の両親は自分は真面目に大学に通い、来年には卒業して、どこかの平凡な一般企業にでも務めると思ってる。地元に帰って役場にでも勤めてくれたら、安泰御の字って感じだ。だが、息子はもう既に犯罪者なのだ……。 大学で知り合ったバカな友人に教えられたギャンブルにのめり込み、消費者金融で金を借り出して、気付けば借金は100万円近くなっていた。 別にヤミ金などではないが、それでも利子は付く。ギャンブルで返すには万馬券でも当てるしか無い。このままでは、大学も辞めなくてはならなくなり、少ない給料から、仕送りまでしている親にバレたら勘当ものだろう。 それで、たまたま高収入バイトを探していて、SNSを通して紹介されたのが、押し入り強盗だった。 押し入る数時間前まで何をさせられるか、誰とやるかも聞かされず、拉致されるように車に乗せられて、指示を受けてどっかの田舎の資産家の老婆が住むという家に押し入った——。 「はい! 取り合えず皆さん。コレを聞いてくださぁーい」 指示役の男が、今までのクソの様な出来事を振り返る黒岩の回想を遮る様に言い、手に持つスマホをスピーカーモードにした。 スマホから主犯らしき男の声が流れ出す。 「どうも皆さん。お忙しい中、この度はお集まり頂きありがとうござます。早速ですが、今回の仕事ですが、ある仏像を盗んで来て欲しいのです。今から行く連谷島(むらじゃじま)の村の神社に祀られている仏像を盗って来て欲しいのです」 男の声は指示役にも増して軽やかで、爽やかで、どこか知的な雰囲気を感じた。金持ちや権力者を想像させる。 「報酬は? 俺たちはまだ報酬を聞いてないが?」 誰かがぶっきらぼうな声で言った。 ——男達と主犯の質疑応答が始る。 「一晩で100万出します。1人100万です。良い話でしょ?」 その言葉に 100万っ!? と、沈んでいた黒岩の心がぱっと明るくなる。 100万あれば借金を返済しても、幾らかはお釣りがくる!! 「明日の早朝迎えに来ます。その時に、仏像と引き換えに1人100万ずつお渡しします。別に仏像は金庫にしまってある訳でもない無いし、お寺に祀られている小さなものです。それを持って来るだけの簡単な仕事に、100万は好条件でしょう?」 「その仏像はそんなに価値があるのか? この船に20人近いメンバーが居るぞ? 単純計算で総額2000万じゃねーか?」 「実はその仏像に市場価値はそこまでないですが。——中国の文化大革命って知ってます?」 「いや?」 「簡単に言うと過去の文化を壊して、新しい中国を作ろうとした革命です。その時に、沢山の美術品なども破壊されました。古い仏像なんかもそうです。だから、中国には古代中国由来の物が今はほとんどありません。21世紀になり国の形も多少代わり自由経済が導入されると、中国の中でも日本の高度成長期にあたる時代がやって来て、投資業などで個人的成功を収めた成金達が出て来ました。彼らは金で欲しい物は全て手に入れました。でも手に入らない物もあります。祖国の、国として文化的な骨格です。嘗ての大人達が破壊した中華民族のアイデンティティの復興です。だから慈善事業のように、海外に散らばった、いまだ残る古代中国の美術品を買い漁るようになりました。勿論投資としてやっている中国人もおりますが、愛国心として買う人間は、自分が欲しいと思えば金に糸目は付けません。連谷島の(むらじ)と言うのは、大和王朝で渡来系の人間に与えられた姓です。この島を最初に治めた人物も、大陸からの渡来人の末裔だったと聞きます。島に渡った時に、持って来たのが、これからあなた達が盗みに行く仏像です。連家の先祖が、大陸から日本に渡る時に、連家の守り神として持って来た物であると伝わっています。無名の彫り師の掘った文化的価値しかない仏像ですが、由来がはっきりしているので、こういうものを喉から手が出る程中国人は欲しがります」 「由来がはっきりしてるんだったら、盗んでも直ぐに足がつくじゃねーか?」 「盗んだ人間が捕まる事があっても、盗んだと知らなかったと買い主が言い張れば返還義務は無いです。正規で金を払い購入してるので。問題ないです」 「なるほどな」 「ちなにみ、島なので持ち逃げなんて出来ないと思いますが、そんな事は考えないようにお願いします。持って逃げた所で、流通のパイプが無ければ意味がないです。先に行ったように、無名の彫り師が掘った、国内では、ただの古い仏像に過ぎません。国内の骨董屋に売っても出所を言えませんから、出所不明では鑑定も出来ずに報酬の100万よりずっと下回る額で買い叩かれるでしょうし、警察からの情報が入っていれば、そこで捕まりますし。警察から逃げれても、裏切り者として私共も制裁を加えざるえなくなります。あなた達やご親族の個人情報も、しっかりこちらで抑えてある事もお忘れなく」 「分かった」 「ありがとうござます。——と言う訳で、ちゃちゃっと仏像を取って来て下さい。宜しくお願いします。そろそろ、電波が届かなくなると思います。島内では携帯は使えないので宜しくお願いします」 そう言うと、スマホの通話は切れた。 「——という訳だ。一応、使う事はないと思うが武器と、島の地図を渡す。島の地図は大事だから無くすなよ? 連谷島の奥に小さな村が存在している。そこが連谷村だ。そこの、寺に仏像はある」 ——闇の中、島の小さな港に接岸し、そこから上陸した。 本当に小さく、船が2艘岸に上がられているが、それで船置き場の半分は埋まってしまっている。 「明日の朝、陽の出前までに盗って、此処に来てくれ。向かいに来る」 「此処は港だろ? 朝には漁師が来るだろ?」 「問題ない。此処はもうずっと使われてない。元々自然の小さな湾を利用して作った物だが、車が入れない為に不便すぎて大昔にあの船の持ち主が死んだのを機に廃棄された。岸に上がっている船を後で見てみろ? ボロボロだから」 「なるほど」 「じゃあ。明日な?」 「あんたは、どうするんだ? また往復して此処まで迎えに来るのか? そっちも大変だな?」 「いや往復はしない。沖に出てそこで寝て待つ。揺れるが、この程度の波なら問題無い。揺り籠たいなもんだ」 「そうか」 「——まあ、頑張れよ!」 そう指示役は言うと手を振り、笑顔で船をバックさせて、向きを変えて沖へ出ていった。
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