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突然言われた一言に体の自由を奪われ、僕は朝比奈さんの横顔をただ見つめるしかできなかった。
彼女はパックから一つ卵を取り出して、こつんとテーブルの上に軽くぶつけた。
「香取くんって時々、知らないことがあっても知ったかぶりをするよね」
ぱかっと。
透明なボウルの上で、卵が割れる。
「今まで何度かそう感じたことがあったんだけど、わたしの思い違いかもしれないから、一度ちゃんと確かめようと思った。それで今朝、実験をしてみたの」
「実験?」
「電車の中でした、卵焼きの話」
二つ目の卵が割れた。調味料と、それから少量の水を加えられた卵液が、朝比奈さんの操る菜箸によってかき混ぜられる。
「香取くんは、卵焼きを作ったことがないのに作り慣れているふりをして、わたしに話を合わせていた」
「どうして、そう思ったんだ」
僕の質問に、朝比奈さんはコンロのつまみをひねりながら淡々と答えた。
「一番わかりやすかったのは、はちみつ」
火花が散り、コンロに青い炎が灯る。
「はちみつ?」
「『卵焼きの味付けをどうしているか』というわたしの質問に対して、香取くんは『普通に』と答えた。そこでわたしはいくつか定番の調味料を挙げて、その中に『はちみつ』を混ぜたの。
はちみつは確かに卵焼きに使われる調味料の一つではあるけど、誰もが使う定番というわけではない。だから、香取くんがもし卵焼きを作り慣れているなら、あそこで『はちみつ』に違和感を示さないのは不自然」
何も、言い返せなかった。
今日だけじゃない。
普段からそうなんだ、僕は。
知らないことを知らないっていうのが怖いっていうか、きまり悪いっていうか。さっき友達にカラオケに誘われた時だって、知らない曲名が出ても、適当に話を合わせた。
僕のこの癖は相手が誰であっても出るものだけれど、朝比奈さんと話す時には特に強く現れる。少しでも好感度を上げたくて、自分の弱いところを知られたくなくて、うまいこと誤魔化してきた、つもりだった。
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