尾久の栄依子ちゃんシリーズ 本町通りのミルクホール

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「お父さん遅いわね」 長女の豊子が2階から降りてきて 柱のボンボン時計を見た。 10時を回っている。 「ほんとだ、こんな時間だわ 明日は朝9時に軍の偉いさんがみえるのに お父さんたら、陽気がいいもんだから… ちょっと豊子 あんたお父さん迎えに行ってきておくれよ」 「いやよぉ(熱海)でしょ? あすこ嫌い、芸者がいるもの」 熱海、というのは 都電通りの向こうの三業にある 料亭の名前だった。 「違うよ、今日は共栄会の会合じゃないの 1人でふらっと行ったんだから 本町通りのミルクホールだわよ」 「えー!ミルクホール⁈ 私も行く行く!」 栄依子がしゃしゃり出た。 「豊子お姉ちゃん1人じゃ危ないから 私も行くわよう」 「ミカサ」という本町通のミルクホールは モダンなものが好きなワカも、 たまに息抜きに、栄依子や年子を連れて 昼間、紅茶を飲みに行くことがあった。 30代の小綺麗なママが洋髪に結い 明仙の着物に白い割烹着をかけて 1人で切り盛りしている。 元は向島の芸者で 田端の瀬戸物屋の旦那がいる、という噂だった。 昼間は喫茶店 夜は若い女の子(女給)も1人来て お酒を出す。 おワカが行く時は昼間で 子供たちにはココアかホットミルク 機嫌がいい時は、ケーキをとってもいいよ と言ってくれる。 ケーキと言っても、生菓子ではない。 今でいうカップケーキのような焼き菓子で 銀紙のカップから溢れるように膨らんだスポンジの上に ピンクや薄緑の溶かし砂糖がかかって 真っ赤な砂糖漬けのさくらんぼが 半分に切って乗っかっている。 アレを食べさせてもらう時 栄依子は天にも昇る心地がした。
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