ラストオーダーは午前二時

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 閑静な住宅街の細い道からさらに細くなった脇道にそれ、一方通行の標識を横目に五十メートルほど坂をのぼり、カーブに差しかかった場所にその食堂はある。  レモン色の小さな正方形ののれんが三連に連なった右端の一枚に、丸い文字で「たまご食堂」と書かれている。  たまご食堂がオープンしたのが三年前で、僕がこの店を知ったのは去年の秋頃だ。                 昼間は温かかったのに、夜になると嘘みたいに寒くなり、出かける前、厚手のジャケットを選ばなかったことを後悔しながら、普段はほとんどない残業と後輩のフォロー、さらには彼女にフラれるという踏んだり蹴ったりな一日を終え、心身共に疲れた体を必死に前に進めるようにして坂道を登っていた。  今日だけで何度目になるか分からないため息を吐きながら、数メートル先のぼんやりとした灯りを見るともなく見ながら登っていると、たまご食堂と書かれたのれんに目が止まった。こんなところにこんな店、いつからあったのか。毎日通っている道なのに、今まで全く気が付かなかった。  肩で息をしながら店の前で立ち止まり、こんな時間まで開いているのかと不思議に思い、ドアの端に書かれている営業時間を見て目を疑った。  クローズ、午前二時半、ラストオーダー、午前二時。思わず腕時計に目をやった。今は、午後十一時を過ぎたところだ。正直、お腹は減っている。それ以上に、好奇心には勝てなかった。  引き戸を開け、店内をぐるりと見回す。客席はカウンターのみ。狭いながらも落ち着きのある雰囲気だった。 「いらっしゃいませ」  カウンターの向こうから、女性が笑顔で出迎えてくれた。どうぞと席に通され、温かいお茶を出してくれた。水ではなくお茶を出されると、「おっ」となる。もちろん、いい意味でのそれだ。  お茶を一口飲み、ふぅっと息をついてから、メニューを探す。けれど、テーブルの上にも、壁のどこにも貼られていない。カウンターの向こうに声をかけようとして、腰を浮かせて覗いてみた。するとすでに、調理を始めている。思わず首を傾げた。料理を注文した覚えはないし、店内に客は僕ひとりだ。声をかけるのをためらっていると、僕の視線に気付いてこちらに振り向いた。だからと言って、注文を聞くわけでもなく、にこっと微笑むと、またすぐに手元に集中している。  いつだったかテレビで見た、頑固おやじのラーメン店ではないけれど、ルールは全て店側にあるといったような、ここもまた、そんなふうな店なのだろうかと、とりあえずは店側に委ねることにした。  言い合いをするには、今日はとにかく疲れている。 
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