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◇◇◇
瓦屋根のついた門を出るなり、見覚えのある学生服にドキリとした。
同じ制服を来た別人かもしれないと一瞬は躊躇うも、制帽の下から覗くさらさらの前髪と大きな瞳に蘭は確信する。
「あっ!」
驚きと安堵と喜びの入り交じった感情は、声となって表れた。
あの子だ!
桜の下で出会った、澄んだ瞳の美しいあの子。
迷わず歩を進める。
自ずと歩幅が広くなる。
善は急げ!
蘭の黒い瞳は少年をとらえる。
「やっと会えた! 探していたんだよ。だって、私に質問したのに答えようとしたら走り出して行ったんだもん」
足を止めると同時に蘭の唇が動き出す。
ハキハキとした口振りだ。
自分でも、一度しか会ったことのない少年に対して饒舌に話せたことを不思議に思う。
顔を赤らめている少年は恥ずかしそうだ。それでもハッキリと耳に届く声で話す。
「ごめん……なんか恥ずかしくなってさ」
よかった、誠実な子だ。
悪態をつかないし、素直に謝るし理由も話す。
そして純真な子。
恥ずかしそうな姿が、なんか、かわいいな。
少年の素直さに蘭はホッとした。
怒っていないと伝える為に、蘭は全然と言って首を左右に振る。
「私、男子の友達はいらない主義だけど、あなたとなら仲良くなれそうだと思った。スレてなくて素直そうな面構えだったから」
頬を染めて蘭を見つめる純真な少年を、蘭は瞼に刻んでおかねばとしっかりと見据える。
蘭は冬のイメージだ、雪が似合うと慧子と留美から言われたことがあるが、この子はどの季節が似合うだろう思い巡らせる。
初夏。
緑煌めき、風薫る季節が似合う。
桜の下で見届けた走り去る少年の姿は、木々の隙間を駆け抜ける風の如し。
いや、紺色に艶めく羽を煌めかせて空を自由に飛び交う燕か、翡翠色の光を放ちながら水辺を翔るカワセミかもしれない。
待って、と叫んで少年を呼び止めることもできたはずだが、軽い身のこなしでひらりと車止めを飛び越える少年に圧倒された。
見えなくなるまで、蘭は少年の姿を目で追った。
「だから、あれ以来ずっとあなたを探してたの」
蘭の、精一杯の告白だ。
声楽教室とフルート教室の帰りにも、蘭は少年を探した。
時間の許す限り、松川の桜並木へ出向いた。
隣の小学校区に住んでいるのは確かであるから母が生協で買い物をすると知ればついて行くなど、隣の校区へ用事ができれば周囲を見渡して探した。
「そうだったんだ……。本当にごめん」
少年は謝る以外に何かを伝えたそうにしているが、きっと恥ずかしくて言い出せないのかもしれない。
会えたら話したいことを、蘭は話すことにした。
「この前の質問に答えるね。桜は好きだよ。でも一番好きなのは蘭の花。派手な洋蘭よりは春蘭や朱鷺草みたいな控えめな蘭が好き」
少年の目が蘭を見つめる。キョトンとした顔だ。
瞳は黒いのに、どこか明るい。
鼻、高いんだ。
横顔、きれいなんだろうな。
「桜の話をしたのになんで蘭の話になるの?」
「私、蘭っていうの」
春を言祝ぐ清らかな花の名。
歌うような、かわいらしい響きの名を気に入っている。
あなたの名前、好きなもの、全て知りたい。
友達に、なってくれますか?
「あなたの話を聞かせて?」
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