プルシアンブルーの少女

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◇◇◇  まだ桜が咲いている。  週末の宴会ごっこには、桜は間に合うか?  宴会ごっこの下見だと口実をつけ、一哉は松川の川縁(かわべり)に沿って歩くことにした。  運動神経は良い方で、春を迎える毎に学校の遠足で角田(かくだ)山を登っていたからか長距離を歩くのは苦ではない。  福島って桜は多いけど雪割草(ゆきわりそう)はないよなぁ。  あの山には雪割草があるのかな……と一哉は信夫(しのぶ)山を見た。  新しく住み着いた町、森合地区から東側に見える三峯(みつみね)の低い山が信夫山だ。  その手前には、一盃森(いっぱいもり)という名の小さな山。  浜津からは一盃森には狐伝説があると聞いている。  街育ちとはいえど、今までの生活で山に(ゆかり)がなかったわけではない。  新潟市街地から(まき)方面まで抜ければ、日本海に沿って角田山と国上(くがみ)山、弥彦(やひこ)山を(のぞ)む。  それらの山々には、色とりどりの雪割草が花開く。  アニメでは学校の裏山として街中に山がある情景を見ていたが、現実に街中に山が鎮座するなど(はなは)だ珍しい話であろう。  合田と浜津と桜を見に歩いた際に通りすぎた隣町の小学校から、更に東側にある隣の小学校区まで差し掛かり、学習センターの手前にまで行き着く。  学習センターの手前には野球場らしき運動場と、芝生の生えた広大な河川敷がある。  橋で途切れている箇所(かしょ)はあるが、松川沿いには桜並木が東西にずっと続いていた。  ソメイヨシノに混じり、白い小さな山桜と八重の(ゆき)(やなぎ)もある。  木瓜(ぼけ)の花の蛍光色を帯びた朱赤色は鮮やかでありながら愛らしく、アンティークの着物から飛び出してきた(たたず)まいだ。  女々しいと言われるので公言はしないが、花を見るのは好きだ。  帰りに隣の小学校前の菓子店で噂のシュークリームも買っていこう。  そう意気込んで土手を上った一哉は足を止めざるを得なかった。  桜の木の下に少女がいた。  膝丈のかっちりとしたワンピースを着ており、何をするわけでもなく桜の木の下に佇んでいる。  辺りを包み込むは雪柳の香り。  制服調のワンピースは一見して紺色だが、紫と灰色味を帯びたその色は少女の肌の白さを引き立てる。  この色の名はプルシアンブルー。  小難しい名前を知っていたのは、持っているコミック用のアルコールマーカーの中で最も気に入っている色だったからだ。  数ある青の中でも渋めの、硬派で貴族的な青。  色白で真っ黒い髪の毛の者はクラスにも複数いるが、少女の肌はただ白いだけではない。  乳白色にうっすらと(べに)()いた、もうすぐ花開こうとする百合の蕾のような可憐(かれん)な色をしていた。  桜の色。  萌木(もえぎ)の色。  春の空。  プルシアンブルー。  この上ない、色彩の美しさを目の当たりにした。  桜の花々の隙間から差し込む陽光を背景に、少女は一哉を()るように見据(みす)える。  警戒心の混じった(いぶか)しげな顔に気の強そうな眼差(まなざ)しが、誰だと無言で問いかける。  気の強そうな眼差しとはいえ、威圧的な強さではない。  ならぬことはならぬ、を地で歩みかねない頑とした強さを宿す眼差しだ。  もしも、目の前にジャンヌ・ダルク。または戊辰(ぼしん)戦争で薩長を相手に勇猛(ゆうもう)果敢(かかん)に闘った娘子(じょうし)(たい)がいるならば同じ目をしているに違いない、一哉はそう思った。  しばらく少女と対峙(たいじ)を続け、根負けしたのは一哉だった。 「あのぉ~……」  躊躇(ためら)いがちに少女に声をかけたその時、一迅(いちじん)の風とともに少女のシニヨンを飾るリボンがなびく。  春の空を写したかの(ごと)し淡いグレイッシュブルーのリボン。  シニヨンの下に長めに垂らしたリボンの先が硬派な少女に可憐さを添えた。 「桜、好きなの?」  何てことのない質問だが、少女の切れ長の瞳から(けわ)しさが(やわ)らいだのが見て取れた。  引き結んでいた唇が、かすかに動く。  紅い唇が、微笑む。 ◇◇◇  一哉はシュークリームを買うのも忘れて駆け出した。  顔つきの整った子ならば見たことはあるが、先ほどの少女の美しさは群を抜いていた。  全身から(にじ)み出る、雪の如し高潔さは十つの少年に(まぶ)しすぎた。  凛々しさと気高さを(あわ)せ持つ少女など、未だかつて会ったことがない。  桜を見に来ただけなのに、少女と対峙(たいじ)する短い時間は全てを純白に埋め尽くす真白(ましろ)なる雪を見たような心持ち。  少女と話したかったのに走り出してしまった。  今ならば、走り出した理由がわかる。  照れくさかったのだ。 ――俺、またあの子に会いたい――  少女の険のある目の光が和らぎ、ほんのりと笑みを見せたと同時に己れの心臓が高鳴ったその時、一哉は「そうなんだ、じゃ」と返すと心臓の高鳴りを合図とばかりに駆け出した。  少女の美しさに見惚れたことを、目に見えない気高さ、高潔さを感じ取り、恋を覚えたことを少女に知られたくなかった。  逃げ出したのに、会いたい。  なんて身勝手な願望か。我ながら呆れた。  桜吹雪に佇む、高潔なる雪の女王。  プルシアンブルーの衣を(まと)いし、幼く気高き可憐な女王。  幼き女王の(かす)かな笑みは、白銀の雪原が黎明(れいめい)の光に照らされ朱鷺(とき)色に染まりゆく様を目の当たりにした際の高揚感を思い出させる。 ――少年は、プルシアンブルーの少女に恋をした――
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