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◇◇◇
今度こそはシュークリームを買うのだと一哉は再び松川へ赴いたが、プルシアンブルーの少女はいなかった。
シュークリームはあくまでも口実で、本当の理由はプルシアンブルーの少女に会いたいがためだったので落胆した。
逃げ出したことを謝りたかった。
少女が許してくれるなら、友達になりたい。
気晴らしに、浜津から聞いた噂のシュークリームを買い込む。
正式にはシューパイというらしく、パイ生地のように層になっている生地が特徴的だ。
「おう、飛鳥!」
複合型のスーパーマーケットの横を通り過ぎると合田がいた。
この地区は市街地から少し離れた郊外に位置するが、その割には栄えている便利な町だ。
合田は買い物に来たらしくマクドナルドのハンバーガーの入った袋を提げている。
「生協のマック行ってきたんだ。今日は母ちゃんが用事あって遅く帰ってくるってよ」
「うわー、マックだ。うまそう! 見て見て。やっとシューパイが買えたよ」
「いたのけ? お前の好きな人」
顔を横に振った。
「しかし、飛鳥の好きな人はなんで松川にいたんだろうな。そういやお前、バレエやってそうな子って言ったっぺよ?」
「あくまでも雰囲気だよ。髪の毛団子にしてたし立ち姿がきれいだったんだ」
鮮やかに、脳裏に甦るリボンの端。
その可憐さと神々しさは天女の羽衣にも劣らない。
プルシアンブルーの少女を想うと柄にもなく次から次へと美しい喩えが浮かぶから不思議だ。
「飛鳥よぉ、バレエ教室さ行ってみたらどうだ?」
突拍子もない提案に一哉は真っ赤な顔で却下する。
偏見だが、一哉にとってバレエ教室といえば女の子が華麗に舞う花園。
がさつな自分には噛み合わない優雅な世界。
そういった場所に『姉のセーラー服を拝借し、流行りのハイパーヨーヨーで懐かしのTV番組ランキングで見かけたスケバン刑事になりきり、ゲームボーイとポケモン、時々バドミントンで過ごす純粋無垢な男子小学生』が乗り込む勇気はない。
「いやいやいや! 恥ずかしいっつーの! それなら姉ちゃんの忘れ物さ届けに来たことにして中学校さ乗り込む方がいいべしたぁ!」
セキュリティの厳しくない時代らしい案である。
「おー、ナイスアイデア。お前頭いいな。なんか福島弁がちらほら混じってっけどハマちゃんから移ったけ?」
合田が手を鳴らして褒めたところで一哉は「いや、しかし」と思い直している様子だ。
「どうかしたか?」
「ゴウダは姉ちゃんより背ぇでけえからよ、もしかしたらあの子もたまたま背が高い小学生っつう可能性があるんだよ」
「あー、そうだよな。ますますわからなくなってきた。思いきってさあ、慧ちゃんって人に同じ学校にそれらしい人がいないか聞いてみろよ?」
「聞いてみっかしょ……」
◇◇◇
基本的に良い人なのは知っているが慧子は悪乗りしやすいタチであるので、冷やかしを受けると思うと気が乗らない。
大概、中学生ならば部活に出ていて帰りが遅い……とはいえ慧子は帰宅部(その代わりバレエのレッスンと声楽教室に通いづめ。彼女は舞台女優を目指している)だったので自宅にいるかもしれない。
合田と鉢合わせたスーパーからさほど離れていない所に橋本家の生け垣が見える。
金持ちなのか、瓦屋根のついた立派な門構えで薄紫のライラックの生け垣が家の周りを囲っているのだ。
ちょうど、ガードの固そうな門構えから少女が出るところだ。
紺色のセーラーカラーが見えたので一哉は早足で踏み出すが、足を止めた。
少女は慧子ではない。
中学校のセーラー服だと思った服は膝丈のワンピースだった。
第一、紺色は紺色でも勝色と呼ぶべき黒みを帯びた中学校のセーラー服とは色調が違う。
紺色に、紫と灰色がかった、知的で硬派なプルシアンブルー。
「あっ!」
一哉が声を上げる前に少女が声を上げる。
あの日、シニヨンに結っていた髪をその日は結い上げていない。
代わりに春の空に似た淡いグレイッシュブルーのカチューシャを付けている。
そして、プルシアンブルーのワンピースも。
少女は物怖じせずに一哉に向かってずんずんと歩を進めた。
女王様の如し堂々たる振る舞い。
間違いなく、プルシアンブルーの少女だった。
お嬢様風の、ストラップのついたエナメルの靴がセーラーカラーのワンピースに似合っている。
「やっと会えた! 探していたんだよ。だって、私に質問したのに答えようとしたら走り出して行ったんだもん」
足を止めると同時に少女はハキハキとした口振りで言った。
責めているニュアンスはない。
探し物を見つけたような、驚きと安堵が入り交じった表情だった。
「ごめん……なんか恥ずかしくなってさ」
一応、正直に答える。
少女は全然と言って首を左右に振る。
「私、男子の友達はいらない主義だけど、あなたとなら仲良くなれそうだと思った。スレてなくて素直そうな面構えだったから。だから、あれ以来ずっとあなたを探してたの」
「そうだったんだ……。本当にごめん」
俺も探してたよ、そう言いたいのを堪えた。
少女に執心していることを悟られることが恥ずかしかった。
「この前の質問に答えるね。桜は好きだよ。でも一番好きなのは蘭の花。派手な洋蘭よりは春蘭や朱鷺草みたいな控えめな蘭が好き」
耳触りの良い、落ち着いた声だ。
桜について聞いたはずが蘭の花の話題に飛躍したので、一哉は藪から棒にと面喰らう。
「桜の話をしたのになんで蘭の話になるの?」
それまで静かな少女の声色が明るさを帯びた。
「私、蘭っていうの」
弾んだ口調で名乗る蘭の口元が微笑む。
「あなたの話を聞かせて?」
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