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プルシアンブルーの少女
――桜の木の下にいるはずなのに――
川縁に咲く桜を見たいだけだった。
プルシアンブルーの少女の頑とした眼差しに見据えられ、立ち尽くすほかなかった。
春を告げる雪柳の香りに包まれているにも関わらず、飛鳥川一哉は全てを純白に埋め尽くす雪の清らかさに当てられた心持ちにさせられた。
◇◇◇
「父ちゃん父ちゃん、信号機が横向きだよ?」
「そりゃそうだよ」
「福島も雪国だって聞いてたんだけどなあ。来年は修学旅行で本間達と福島行くと思ってたのによぉ」
隣でお菓子を頬張る妹の花梨を尻目に一哉はため息をついた。
「カズラぁ、食べないのお?」
まだ、兄の名前を上手く言えない花梨がお菓子を差し出す。
否、兄の口元に押し込む。
一哉はされるがままに花梨の手によってチョコレートを口に押し込まれた。若干溶けている。
普段ならば花梨と同じくらいお菓子に食らい付いているというのに。
無理もなかった。
この春、父親の転勤で福島の学校への転校が決まったので友達と生き別れにさせられた気がして気落ちしていたのだ。
現在、引っ越しの最中で高速道路を下りたところだ。
「本間達が修学旅行来たら会えるかな……」
「バカだな、修学旅行の行き先は会津だろうが。会津と福島は別物だ。ほら見ろ、建物が違うから」
花梨をはさんで座っている姉の清子が毒づいた。
◇◇◇
「よろしくお願いいたします。上のお嬢様も今年中学生でしたか」
「まあ。清子さん、本当に素敵なお嬢様ね。娘とお友達になれると良いですわ」
貴婦人そのものの女性が発した台詞に、あの凶暴な姉のどこがだ……と一哉はげんなりした。
清子の見てくれは眼鏡の似合う清楚な少女。
もうじき4歳になる花梨とは年齢が離れていることもあり、髪を結ってあげたりお菓子を分け与えるなど面倒見の良い優しい姉の姿を見せる。
しかし、車内でのやりとりのとおり一哉に対しては当たりが厳しく、きつい口調で毒づいてくる。
年齢が近いがゆえの気安さと無意識下のやっかみもあるが、清子は筋金入りの男嫌いであった。
新潟に住んでいた頃の清子は詠雪舘女学院大学の附属小学校に通い、中等部はエスカレーター式で進学でき寄宿舎もある。
成績も素行も問題ないの清子は、そのまま中等部へ内部進学しても良かったはずだ。
しかし、まだ幼い娘を引き離すことを忍びなく思うのが親心かもしれない。
両親の判断で清子も福島行きに同行したのである。
清子はというと新居のはす向かいにある橋本家の長女と話し込んでいた。
「サヤコっていうんだ。清楚でかわいい名前。サーヤって呼んでいい?」
「うん、いいよ」
清子ははにかみながら礼儀正しく応じる。
姉の激しい二面性にげんなりしていると「ねえ」と声をかけられた。
橋本家の長女、慧子だった。
いつの間にか清子は先に自宅に入ったらしい。
清子と同い年だが慧子は背が高い。
見たところ清子の頭のてっぺんが慧子の眉の高さにあった。
160センチは超えている。
なおかつ、慧子は顔つきとスタイルが大人びているので中学三年生に間違えられてもおかしくはないだろう。
「一哉君といったよね。あんた何歳? いや、今年何年生と聞いた方がいいか?」
モデルみたいな姿の少女だと一哉は思った。
ジーパンの長い脚を組んで、壁にもたれて問う慧子からは年上の余裕を感じる。
「俺? 五年生になるけど?」
「へえー。蘭と同い年じゃん」
慧子は独り言のように言う。
らん。
花の方か藍色の方かは定かではないが、美しい名前であると同時に漫画のヒロインのような名前だと一哉は思った。
「らん?」
「私の又従妹だよ。隣町に住んでてしょっちゅう私ん家さ来るんだっけえ。あー……だけど蘭は男嫌いで男の友達なんかいらないって断言してたからなぁ。男子に対して苦い思いしたみたいでよ。私から見ても相当な美少女だけど、ありゃあ難攻不落の城だで? まったく」
「難攻不落の城ってRPGゲームみたいだよ……」
「口説き落とすのが難しいってこと。あんたぐらいの男子ならドラクエとかマリオとかゼルダの伝説やってるだろうし、喩えがわかりやすいべした? あんた、蘭のこと気になったみたいだからよ」
図星を指されて一哉は狼狽える。
確かに気になった。
引っ越し先にいる同い年の子供。
しかも女の子だ。
一哉は
「あ、俺ドラクエとゼルダの伝説の音楽好き。マリオカート得意だよ」
と言って取り繕うが「意識するのも無理ないわ」と慧子が同調し出したので意外な反応に安堵した。
「引っ越し先で同い年の異性がいると聞いたら気になるべ。私も遠くから引っ越してきたからなんとなくだけど、その感情に共感できるよ」
「えーと、何て呼べばいい?」
ははっ、と笑う慧子は気さくで人当たりの良い性分なのがうかがえる。
切れ長の、目元のキリッとした美しい顔だが、きつそうな人という印象を抱いたのは否めない。
きつい印象を覆す人懐こい笑顔に、口調のがさつさや馴れ馴れしい態度はさておき、とりあえずこの人は良い人だと一哉は認識する。
「慧ちゃんでいいよ。みんなにそう呼ばれてっから」
「慧ちゃんはどこから来たの?」
「ドイツから。ハンブルクっつう海をはさんで北欧と隣り合ってる大都会の港町」
事細かに説明をされてもドイツの都市ではベルリンとミュンヘンしか知らないので一哉は「外国っすか……」と相槌を打つしかなかった。
ただ、都会の港町と聞いて新潟港を懐かしく思うのも否めない。
クラシカルな洋館と、銀色に輝く高層建築物が立ち並ぶ港町を思い返す一哉に「あ、そうだ」と慧子は言った。
「ゼルダの伝説とドラクエのテーマソング好きなら、蘭と気が合うんでねえかい?」
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