その庭には桜がない(3)

1/3
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

その庭には桜がない(3)

 葬式の準備が粛々と進む中、僕は屋敷の縁側に座り込んで、庭を眺めていた。  季節はまたもや春。毎年のように倫三郎おじさんと過ごしていた時期に、そのおじさんが亡くなるだなんて、とんだ皮肉だった。  ――相変わらず手入れの行き届いている庭だが、やはり桜の木は一本もなかった。  おじさんは最後に「さくら」と言い残した。あれは、一体どんな意味だったのだろうか?  その答えは、庭に存在しない桜の木と同じように、僕の目には映らなかった。 「ここにいたのね」 「……おばあちゃん」  いつの間にやらおばあちゃんが傍に来ていて、僕の横に「どっこいしょ」と言いながら腰を掛けた。  おばあちゃんも、もう七十代だ。今のところ健康だけど、いつかはお迎えが来てしまう。そしてそれは、決して遠くはないのだ。  そう考えると、途端に何もかもが怖くなってしまった。 「おばあちゃん……長生きしてね」 「ふふん、ひ孫の顔を見るまでは死ねないわねぇ。あなたが頑張ってくれないと、間に合わないわよ?」 「あはは。……頑張ってみるよ」  そんな、冗談とも本気とも付かない言葉を交わしながら、一緒に庭を眺める。  ――そうだ。祖母ならば、おじさんの最後の言葉の意味も分かるかもしれない。ふと、そんなことを思い立つ。 「ねぇ、おばあちゃん。倫三郎おじさんは、最後に『さくら』って言い残したんだ。おばあちゃんは、その意味が分かる? おじさん、桜は嫌いだって言ってたのに、なんで」 「……ああ、そうなのね。それが、叔父さんの最後の言葉だったのね」  僕の問いかけに、祖母が眩しそうな表情をしながら空を仰いだ。  どうやら、何か知っているらしい。 「倫三郎叔父さんにはね、昔、恋人がいたの。その人の名前が『桜』さん」 「『いた』ってことは、その人は……?」 「ああ、死に別れたって訳じゃないわよ? もうちょっと、複雑というか」  どこか歯切れが悪そうにしながら、祖母は話を続けた。 「叔父さんは戦争に行く前に、桜さんと婚約していたの。当時では珍しい大恋愛でね――でも、桜さんは結局、他の男性と結婚したのよ」 「ええっ!? な、なんで?」 「倫三郎叔父さんが、終戦から二年くらい行方知れずだった話は知っているわね? それで、遺品なんかも手違いで届いちゃって、家族はみんな、叔父さんは戦死したと思い込んだのよ」 「そ、そんな……」  確かに、太平洋戦争のことを調べた時に、似たような話を聞いたことがあった。  何か月、下手をすると何年も経ってから、ようやく日本に帰ってこられた兵隊の話は、数多く目にした。もちろん、帰ってこられなかった人々の話も。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!