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「こんばんは」
振り返ると、そこには白いウェディングドレスを着た女が立っていた。
飲み過ぎで変な幻覚でも見ているのかと思ったが、生物の本能によるものか、妙な胸騒ぎと同時に足元から冷たいものが這い上がってくるような感覚に襲われた。
そうだ、今日は6月9日だ。
「この子のお兄ちゃんになってくれませんか?」
女がそう言うと、大きく広がったスカートの中から大きな卵のようなものが転がり出てきた。よく見るとそれは半透明で、卵の中に何かが見える。
昨日、マンションの入り口に居た男だ。卵の中で眠っている男の姿はまるで、母のお腹の中にいる胎児のようだった。
「なってくれますよね?」
女は喋っているのに、その口は一切動いていなかった。
直感した。この世のものでない。絶対に関わってはいけない存在なんだ。 全力で逃げ出そうとした瞬間、強烈な力で足首を引っ張られ、コンクリートの地面に体が叩き付けられた。
女のスカートの中から伸びた長い腕が右足首を掴み、スカートの中へと引きずり込もうとしてくる。
必死に振りほどこうと左足で蹴りつけるが、抵抗は無駄だと示すように足首を握り潰された。
あまりの激痛に声も出せず、逆流した胃の内容物が地面を汚した。
嫌だ、死にたくない!
引きずり込まれないよう、爪が剥がれる痛みに耐えながら必死で地面にしがみつき、助けを求めるために大声で泣き叫んだ。
近隣の住民が何事かと窓から様子を窺おうとした頃には、男の叫び声は聞こえなくなっていた。
同僚の一人が行方不明になった。上司が困惑しながらそう言ってきた時、俺は上司が何を言っているのか分からなかった。
しばらくして会社に警官がやって来た。最後にそいつとあったのが俺だと言われて色々と質問されたけど、何も答える事が出来なかった。
俺も上司も、その行方不明になったという同僚の事を一切知らないのだ。
「最後の質問なんですが、こちらに見覚えはありますか?」
それは、透明な袋に入れられたボロボロの汚い紙切れだった。
俺は正直に知らないと答えると、
「あぁ、そうですよね・・・。」
と、小さく呟いて帰ってしまった。
それ以降、俺や上司のもとに警察が来ることは無かった。
あれはいったい何だったんだろう。
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