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煙草を吸って煙を吐いた後の表情と言い、ウィスキーを煽って吐息を漏らした後の表情と言い、まるでいっちゃった感がある。その色っぽさと言ったらない。昭和にはまだあったと思い起こさせる、妖艶な美女とは正に彼女の為にある言葉。
それにつけてもあのいっちゃった感じは、尋常でない、何か曰くありげな深い闇がなければ流露しない表情だ。
俺はバーに入るなり彼女が目に留まり、気になって彼女のカウンター席から三つ隔たった、一番端の止まり木に座り、ちびちびやりながらちらちら彼女を観察していたのだ。
客は彼女と俺以外では男が4人。テーブル席とカウンター席に2人ずつ。いずれも仲間同士腰抜けらしく指をくわえている状態。
彼女は俺ら男を歯牙にもかけないといった風、取り付く島もないのだ。
「ふん、男なんてみんなクソクソ」と時より彼女はつぶやく。で、マスターも近寄り難く俺とこそこそ彼女の噂をしたいらしく俺のいる方の隅っこに陣取って俺の為にシェイクしている。
俺は機転を利かして言った。
「マスター、カクテルを彼女に」
えっと思わずマスターは小さく叫んだが、直ぐにニヤっとして頷き、やがて出来上がったカクテルをグラスに注ぐと、彼女の所へドキドキもんで持って行った。
「どうぞ、あちらのお客様からです」
彼女はそう言われるや否や俺を睥睨した。その途端、俺は射竦められると同時にその表情に痺れてしまった。
すると、彼女はニヤリとして言った。
「どういう積もり?」
それがまたグッと来る表情だったので俺は痺れたままこれを潮にふらっと立ち上がると、何か懐かしい物に惹きつけられるように近づいて行って彼女の横に座った。アルコールにも彼女にもすっかり酔ってたから俺は全く以て大胆だった。で、元来、歯の浮くようなお世辞を平気で言える男が大嫌いな質だからシラフでは照れてしまい、とても言えないセリフを吐いた。
「君が無類に素敵だから」
「ふふ、お上手なんだから」
「いや、これは口先でも何でもなくて…」
「じゃあ本気?」
「ああ…」
俺が我知らず生唾をゴクリと呑み込むと、彼女はカクテルのグラスに手をつけた。
その呑む仕草は女でありながら渋味を感じさせた。かと言って年増でもなく化粧が地味でもなく若くて唇が真っ赤っかなのだが、その真紅の口紅がよく似合い非常に大人っぽく人間臭くて色香に満ち溢れているのだ。この無機質な人間味のない軽薄なペラペラのへらへらした人間だらけの現代へ昭和からタイムマシンでやって来たような女としての重みを感じさせる美女だ。
そう言う俺は初老に成り立ての矢沢永吉みたいな苦み走ったオヤジ。彼女は見事な富士額を露わにしたロングヘアがまた素敵で、そのまろやかなおでこが聡明さを雄弁に物語っている。
「あたしピンと来たの」
「どういう風に?」
「この男違うわって」
俺は脂下がるやら照れ笑いするやらでドヤ顔になった。
「それともそう期待しただけかしら」
「いや、自分で言うのも何だが、今時の男とは違うよ」
「そうさらりと言って退けるってスゴいわ。確かにあなたは違うわ」
「君も違うから違いが分かるんだね」
「そう、あたしは違いの分かる女。ふふ」時より漏らす笑みがまた素敵だ。その麗しい目には恋愛の萌芽が宿っていた。
その数日後、観光で京都を訪れた俺と彼女は、つまり付き合い出した御両人は、やや盛りを過ぎた祇園の夜桜の通りを歩いていた。夜が深まり人通りが疎らで情趣も深まる中、彼女が突然言った。
「あたし桜が嫌いだわ」
「えっ、どうして?」
「んーん」と彼女は塵芥を振り払うように首を振った。「只、忌まわしい過去を思い出しただけ」
彼女の話によると、祇園ではないが、夜桜の通りを彼氏と歩いていたら二人組の男に冷やかされ脅され揚げ句の果てに彼氏が彼女を見捨て逃げて行った所為で彼女はレイプされたと言うのだ。而もそんな悪夢が一年越しに二度あったと言うのだ。成る程、桜の花びらが纏わり付きながらやられたことが想像されるし、桜に対して厭な気になるのも無理はない。何しろ二人組の男とは別組だから四人にやられた訳だしな。全く酷いもんだ…ピル呑んでるから大丈夫と彼女は平気を装うが、彼氏も別々、つまり二人の彼氏に裏切られた訳で、そりゃあ男なんてみんなクソクソとつぶやきたくもなるわなあ、そうバーで呑んでた所、俺と出会ったという次第だ。
「じゃあ俺を試す為に敢えてここを選んだわけ?」
「そういうこと」この時、彼女の鋭い目が挑戦的にギラッと光った気がした。「あなたが違うかどうか確かめたくて…」
俺はドキンとし、まるで罠に嵌められたと勘付いて焦る男のように早鐘を打ち出した。普通話せないことを敢えて洗いざらい話す気になったのは矢張り俺を見込んでのことか、思い切ったもんだな。そう言えば、あの時もタイトなニットのワンピースを着ていたが、今日は一段とスカートの丈が短く太腿のみならず胸の膨らみもお尻の膨らみも腰のくびれも破格にセクシー。そのボディコンシャスな放胆さは現代的、否、バブル期的で実に良い。ほんまにチャレンジャーやなあと関西風に戯けてみたが、確かに彼女と歩いていると、いい女過ぎるだけに彼女のみならず自分にも危険が降り掛かるかもしれん。と思いながらも俺はこれ以上、他の男に穢されないよう断然、彼女を守る気になった。しかし、結局、二人組の男は現れなかった。
「あなたが違うから現れなかったのね」
そう言ってにんまりする彼女。左頬に出来る片笑窪がチャームポイント。その笑顔が素敵過ぎて俺はでれっとしてしまい、照れてすんなり肯定しづらかった。だから照れ隠しするべく普段常備しているポケット用のブランデーの瓶を取り出すと、グイッと一口呑んだ勢いで頷くのが精一杯だった。が、やることはやる俺は祇園のホテルに帰ってから甘く蕩けるような美声を悩ましく響かせる彼女と思う存分、契り合うのだった。
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