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「アイリーン=ロークレール公爵令嬢! 君との婚約を破棄する!」
高らかに宣言するエドマンド王子に、アイリーンは内心でため息をついた。
(思ったより、行動が早かったですわね)
現状、王位継承権を持つ王子は二人いる。
いや、いたというべきか。
もう一人の王位継承権を持つ王子は、すでにこの国を出たとの情報をアイリーンも得ている。
最近樹立されたばかりの新興国の末姫と恋仲になり、国を捨てて彼女の元に向かったのだという。
側妃の子でありながら、エドマンドより優秀であったため、彼を次期国王にと望む者も少なくはなかった。
そのため、エドマンドの後ろ楯を必要とした正妃により、アイリーンとの婚約が結ばれたのだった。
だが、王位継承権を持つ王子が自分一人になったと知ったエドマンドはアイリーンとの婚約を破棄するつもりなのだ。
理由は明白で、以前より噂のあった伯爵令嬢を新たな婚約者に据えるためだ。
「私には一切の非はございません。何ゆえ、破棄を?」
「君は、私の伴侶として相応しくない。それで十分だろう」
そのような理由で、この場に集まった貴族達が納得するとでも思っているのだろうか。
いや、王位を継げるのが自分一人になり、多少の無理は通るとでも思ったのだろう。
(愚かですわね)
扇子の陰で、アイリーンはうっすらと笑った。
「分かりました。その婚約破棄を受け入れます」
「そうか。では……」
「二度と、その顔も見たくはありませんしね」
そう言うと、アイリーンはぱちんっと音を立てて扇子を閉じた。
い並ぶ貴族達が、はっとした表情を浮かべる。
だが、エドマンドは貴族達の様子に気づいてはいないようだった。
一瞬、アイリーンに言われた言葉を理解できないようだったが、すぐに顔を真っ赤にして身体を震わせた。
「この私にそのような口を聞いて、許されると思っているのか」
「何の瑕疵もない相手を一方的に婚約破棄するような無能に、どのような態度を取れと?」
「衛兵! この者を捕らえよ!」
エドマンドの言葉に、衛兵達が駆け寄ってくる。
だが、誰も動こうとはしない。
「何をしている! この者を捕らえよ! この私を侮辱したのだぞ!」
アイリーンが、ぱんっと扇子を手のひらに打ち付けた。
「その者を捕らえなさい」
「はっ!」
アイリーンの言葉に従い、衛兵達がエドマンドを捕らえる。
「な、何をしているのか、お前達は分かっているのか! 反逆罪で死刑だぞ!!」
「いいえ、彼らは新しい主の命に従っているだけですわ」
衛兵に押さえつけられたエドマンドに、アイリーンはにっこりと笑ってみせた。
「新しい、主……?」
「エドマンド王子。この国の王位継承権を持つ者は、何人いるのかご存知ですか?」
「二人だが、あいつはすでにこの国を出ただろう。私以外に、王位を継ぐ者はいない」
「いいえ、彼以外にもう一人」
ふふっとアイリーンは笑って言った。
「この私、アイリーンにも王位継承権はございます」
アイリーンの母親は先王の娘であり、その子供であるアイリーンには現王家の血が流れている。
ロークレール公爵家もまた、王家とは近しい血筋である。
正妃がエドマンドと婚約させたのは、後ろ楯としてだけではなく、アイリーンの子供に将来地位を脅かされる事を恐れての事であった。
「だが、お前は女だろう!」
「この国では、女も爵位を継げるのですよ。ご存知ありませんか?」
「それは、跡を継ぐのにふさわしい男児がいない場合だ! 女は男児を産むまでの繋ぎにすぎない!」
やれやれ、とアイリーンは呆れたようにため息をついた。
やはり、エドマンドにこの国は任せられない。
「お間違えのないように。〈ふさわしい〉男児がいない場合、ですわ」
い並ぶ貴族達をよく見れば分かっただろう。
爵位を持つ者の三分の一は女性である。
では、彼女達の家には男児が産まれなかったのかといえば、答えは否である。
男児が産まれても、爵位を継ぐのに〈ふさわしくない〉と思われれば、女性が継ぐのがこの国では一般的なのだ。
(そのような事も知らなかったとは……)
確かに、エドマンドの取り巻きは全て男性優位の家のものばかりではあったが。
だが、知ろうとすれば簡単に分かった事だ。
いや、この国の王になる者として、貴族達の動向は常に把握しておくべき事なのだ。
また、他国の情勢においてもだ。
もう一人の王位継承権を持つ者が向かった国は、新興国とはいえ、高い武力と財力を誇っている。
嘘か真かは分からぬが、〈竜の加護〉を持つとさえ言われている。
だが、エドマンドと正妃は、その国に言いがかりとしか言えないような書状を送っていた。
独立したばかりの新興国を見下していたのだろう。
もし、万が一の事が起こった場合、全てを失うのはこちらの方であるというのに。
王位継承権を持つ王子を旗印にすれば、この国を取り返すという大義名分も立つ。
裕福でも勇猛でもないこの国は、古来より外交や策謀により、今の平和を保ってきていたのだ。
女が爵位を継げるのも、そのためだ。
より優秀な者を。
より有能な者を。
そうでなければ、この国は生き延びる事がかなわないからだ。
そのような事も分からぬエドマンドは、やはり王になるべきではない。
アイリーンは、貴族達を振り返った。
「今この時より、私アイリーンが次期国王である。異論のある者は、申してみよ!」
さっと貴族達が臣下の礼をとる。
「アイリーン様に忠誠を誓います!」
真っ先に声をあげたのは、兄二人より〈ふさわしい〉とされ爵位を継いだばかりの公爵家の女性である。
「な……」
エドマンドはあんぐりと口を開けているが、とうに根回しは済んでいるのだ。
立場を保留していた貴族達も、先程のエドマンドとアイリーンのやり取りを目の当たりにし、心を決めたらしい。
「ち、父上は、陛下は……」
エドマンドの声が震えている。
「陛下も、全てご承知ですわ」
決断を下した国王は、ひどくやつれていた。
我が子は確かにかわいいが、この国を守る者として、正しい判断を下さなければならない。
「それでも、私は王子だ。何ゆえ、このような事を……」
「貴方は、王に相応しくない。それで十分でしょう?」
エドマンドの母親である正妃は国外の生家に戻され、その国の監視を受ける事が決まっている。
エドマンドは良からぬ気を起こさぬように、ただ一人塔に死ぬまで幽閉される手筈だ。
エドマンドと恋仲と噂だった伯爵令嬢は、身分剥奪の上国外追放となった。
子を宿していなかった事が、彼女の命を救った。
(もし、子供がいたら腹を引き裂かなければいけなかったでしょうね……)
妃としての役目は、もう一人の王子の母親である側妃が担う事になっている。
新興国に向かった王子は、この国からの親書を携えている。
かの国と友好的な関係を結べれば、この国も今より栄えるはずだ。
全て、アイリーンの書いた筋書きどうりに進んだ。
「連れていきなさい」
「ま、待て! 待ってくれ、アイリーン!」
エドマンドが衛兵達に引きずるようにして、連れていかれた。
(やはり、エドマンドが事を起こすのを待っていて正解でしたわね)
扇子を広げ、その陰でアイリーンはうっすらと笑った。
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