01.桜のなかりせば

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01.桜のなかりせば

 「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」との在原業平の和歌があります。伊勢物語に出てきて、古今和歌集にも入った和歌です。  「もし世の中に桜がなかったならば、春先の人々はもっとのどかな心で過ごせたのに」との意味。この頃、ソメイヨシノはありませんが、現代にも通じる心情かもしれません。  春先になると、人々は「桜はいつ咲くんだろう」と落ち着かなくなるし、桜が咲けば今度は「桜はいつ散るんだろう」と落ち着かなくなる。だから世の中に桜がなければ、と逆説的に人々の落ち着かない心を詠んだもの。  今の時代も、人々は桜が開く前から落ち着かないですね。桜が咲けば花見に押し寄せ、いつまで花見ができるだろうとヤキモキします。1000年以上前から日本人が桜に対して心が騒ぐのは変わらない。  わたしは近所に咲いた桜を眺めるくらいですが、桜が咲く前からいつ咲くのかと気になるし、桜が咲けば雨が降れば桜が散ってしまわないかとハラハラしてしまう。桜がなければ、たしかにもっとのどかに過ごせそうです。  わたしが桜の花の下に集まっての飲食する花見をしないのは、お酒が飲めないのもありますが、人々の騒々しさが苦手という理由もある。桜の花を見るのなら静かに見上げたい。  さて、この「世の中にたえて桜のなかりせば」の歌、伊勢物語の中では昔、惟喬親王(これたかのみこ)に仕える右馬頭(うまのかみ)が桜の下で読んだ歌。この右馬頭は在原業平がモデルと言われています。  惟喬親王は「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき」と返します。散るからこそ桜は素晴らしい、無常の世で永遠に続くものはないからね、と。  桜は必ず散るからこそ、人々もその一瞬をとどめておこうと浮き足立つのかもしれません。今年の桜も今のうちに楽しみましょう。
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