02.俺を監督にしろ

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02.俺を監督にしろ

 坂口安吾に『居酒屋の聖人』という、私小説ともエッセイとも言える短い文章があります。これは茨城県の取手にある居酒屋での酔っ払いを描写したもの。  「この町では酒屋が居酒屋」とあるので、これは角打ちの店。店の常連は近所の百姓だったりするんだけど、安吾は「百姓の酔態といふものは僕の想像を絶してゐた」と書く。  どういうことかというと、常連たちは酔っ払っても、俺の作る茄子は隣が作る茄子より立派だとか、俺は日本一のジャガイモ作りだ、みたいな自慢話はしないという。  その代わり、近衛(たぶん近衛文麿のこと。昭和19年の話なので)を呼んでこい、俺を総理にしろみたいな感じで、たちまち店の中に総理大臣が3人ばかり出来上がるという。  安吾はこの頃、自信を失って毎日焦るあまり一文字も書けなかった時期。そしておとなしく夕方に酒屋に行く日々を過ごしていた。  安吾もまた酔っ払っては気焔を上げる方だが、この角打ちで飲んでた時期が一生のうちでいちばんおとなしかった時期だと書きます。  無頼派で鳴らした坂口安吾であっても、自信を喪失して一文字も書けない日々が続けば、クヨクヨ居酒屋で飲む気持ちはわかります。  その上、そんな状態の時にすぐそばで酔っ払いが仕事について自慢めいた気焔をあげられれば、そりゃたまらないですね。  よって、安吾はこの文章を「傍若無人に気焔をあげるべきである」と締めます。  居酒屋に限らず、自分の作る茄子の自慢話みたいな仕事自慢を聞かされるよりは、自分を総理大臣にしろと気焔をあげる方が、聞いてる方としては気持ちいいですね。  たとえば野球見ながら、「俺は昔、甲子園の予選で活躍したんだ」と自慢するおじさんより、負けてるチームに向かって「俺を監督にしろ」と野次るおじさんの方が親しみやすいのと同じみたいなものですよ。たぶん。
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