彼女は殺されたのです

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8話 朝食は食堂のサンドイッチを 1 清水 樹里亜  一華はその日の昼は忙しくて、食堂へ行けない代わりに、食堂へ行っていた助手の小林君が買ってきてくれた総菜パンをほおばっていた。  山積みになった年末までには終わらせておきたい仕事と、学生たちのレポートの山。年末特有の書類。そのほかもろもろの紙の束にうんざりする。  だが、これさえ片付けてしまえば、年末年始はゆっくりできるだろう。一華はその紙を一つずつ手にして片付けていたが、頭の片隅には、山森 佳湖の事件が黒ずみのようにへばりついていた。  目では書類の文字を追い、片方の脳でそれを理解しつつも、頭の隅の方で山森 佳湖のことを考えていた。そんな動きをする脳をすごいと思いながら、書類に必要事項を記入していく。  ―清水 樹里亜のような子に誰が助言をすれば、彼女は言うことを聞くだろうか?教師では無理だろう。友達? いや、類を呼ぶであろう。ジュリアのような子の友達は必ず似たものが群がっている。正論を言う子もいるだろうが、その正論を言う子がこの陰湿な計画を立てれるか? 多分。それはないだろう。  では、誰がジュリアの側に居て、ジュリアに事細かく指示をしたのか? ジュリアが最後まで指示通り動かなかったのは、それほどその相手に対して支配されていないとするならば、あまり近しい存在ではないのかもしれない。  適当に距離を置きつつも、だが、ジュリアの側で平然とジュリアを操れたのは誰だ? そして、藤森さんや、新田さんを使って聞き込みをしているのに、誰も、噂の出どころを知らないというほど、うまく溶け込んでいる人は誰だ?  目立たず。かといって、話しをしていても怪しまれず。ジュリアたちのような派手なグループの側に居てもおかしくなくて、人を支配する人。人に指図することが好きな人……誰だ? 誰が、残ってる?―  一華はジュリアを呼び出した。ジュリアは露骨に嫌そうな顔をし、さらに、 「まだやってたんですか? もう、自殺でいいじゃないですか」  と言った。赤茶けた髪がウェーブの所為で大きく揺れる。 「あぁ、それはいい。ただ、ちょっとさぁ、噂の検証? あなたはあなたの案だと言いそうだけど、誰の話を聞いて、元カレと別れるように仕向けたの?」 「……誰っていうか、みんなが言ってたかな。あれでしょ? カップルを勝手に別れさせる方法。ってやつでしょ? ……隠しておくことないけど、あ、別れて元さや戻ったけど、またちょっと険悪なんだけど」  ジュリアはそう言ってから、元カレのアキラについての悪口をつづけた。  ひとしきり悪口を言ったジュリアは清々したのか、一華の方を見た。 「よく考えて。話を聞いていた時、誰がそばに居た? その人は話をしていなかったかもしれない。でも、必ずその輪に居たと思うのよね」 「重要?」 「たぶんね。私は、あなたの記憶力は相当なものだと思ってる。だから、思い出して、必ず居た人を」 「ええ? そんな人、居たかな?」  ジュリアは思い出そうとしている風な恰好をしたが、実際は全くそういう気はなさそうだった。早く帰りたいのだろう、適当に忘れたとか、どうでもいいような空気を出しているのが伝わってきたが、一華はそれすら無視をして続ける。 「じゃぁ、場所は? 教室?」 「そうねぇ……多かったのは、食堂?」  適当に返事をしようとした脳裏に不意に思い出す。 「食堂?」 「そう、食券を買う時並ぶでしょ、あんときかな?」 「そんな雑踏の中でわかる?」 「まぁ、興味ある話だし、いつもの声だし……。そう、いつもの声だった」  一華は頷き思い出すよう促す。  ジュリアは意見にしわを寄せ考える。  ―前の子がむちゃくちゃトロくて、イラついたのよね。暑いのに、冷房も効いてないし、本当なら一限だけで帰れるはずなのに、その日に限って、なんかあって、残らなきゃいけなくなって、仕方なく食堂で並んでた。  「本当に別れたの?」って声に反応したんだっけ。 「本当に、それ上手くいく?」  って聞いた相手の声は覚えてない。でも、あいつと別れたかったから、そこから集中して聞いてた。後ろに並んだ人……― 「あ、ああ。名前知らないけど、この前いたよ。最初にケーサツの部屋に行った人」 「高橋さん? 他には?」  ジュリアは首をひねったが出てこないらしく首を振った。 「……そう。まぁ、いいや。その人たちはどんな話をしてた?」 「どんなって、別れる方法」 「具体的に。どうすれば別れられるって?」 「先生もいるんだ、そういう相手」  一華があんまり必死に聞くのでジュリアが茶化すような姿勢を取ったが、一華は苦笑しただけだった。 「えっとねぇ、まぁ、好きな相手が私にできましたぁ。でも彼氏が邪魔だから、どうにかしたいと。でも、自分から別れ話を言うと、男が別れてくれないかもしれないから、向こうから言わせる。そのために、男が好みそうな女の子を私じゃない誰かに紹介させる。その誰かは、男がわりと信頼している仲間の一番外れに居る奴」 「外れに居る奴とは?」 「親友とかだと、後でぎくしゃくされると、私が悪者になるでしょ? クラスメイトとか、バイト仲間とか、まぁ、知り合いだし、いい奴だし、まぁ、こいつの頼みを聞いても損はないだろうなって思っているような遠いけど、顔見知りよりは近い相手」 「細かいねぇ」 「それがこの作戦のなのよ。そこで手を抜くと、男は察して別れてくれないから」  一華は唸って椅子に体を沈めていく。こういう態度をとっても、ジュリアのような子は一度思い出したり、話さなきゃいけない話しがあれば残さずしゃべる。言いごもったり、言わないでおこうということは考えない。話さなくていいことまでも話すだろうと、一華は解っていた。 「その友達に合コンで人が足りないって誘ってもらうのよ。  その相手、今回ので言えば、ヤスのことだけど、ヤスに頼むのに急にアキラの彼女が、アキラを合コンに誘えっておかしいじゃないかって話になるでしょ? だから、そこもしっかりとしておくの。アキラの好みが、山森さんみたいなかわいい子だったから、山森さんのことを本気で好きでいるような相手がいるだろうって。  まぁ、ヤスはすぐ判ったしね。山森さんはさぁ、わざと気づいてないふりしてたんじゃない? あざとい女だよねー、だから、山森さんに振り向いてほしいでしょって。カッコよくしてあげるから、手伝ってほしいって頼んだの。  こっちの言い分は、アキラの浮気癖をどうにかして直したいと。だから、山森さんに夢中になるだろうけど、目の前で盛大にフられるようにしたいから、手伝ってって。そりゃ、ヤスをいくらカッコよくしたところで、山森さんがなびくとは思えないけど、でも、まぁ、ほかの男に頼むより、ずっと好きなんでしょ。とか言ったら動きそうだなぁと思って。  そんで、アキラを合コンに誘って、絶対にあいつは山森さんにちょっかい出すから、そこを阻止すれば、山森さんに感謝されるからって。そん時に、カッコ悪いとだめだからってめっちゃカッコよくしてあげるって言って、だから、感謝してほしいよね。ヤスには。だって、めっちゃカッコよくなったし。  で、合コン好きな、えっと、高木さん? ああ、高橋さん? に、山森さんを誘ってくれって、合コンをやったら、案の定、即電話かけてきた。  で、私は急にフラれてかわいそうな子で、堂々と新しい男と付き合えたわけ」 「……でも、結局別れた?」 「そう。なんか、アキラってうざいのがいるから、浮気してノッてたんだと思う。なんかつまんなくなって。で、元さやに戻ったけど、やっぱり、合わなくて、もう、面倒なのよね、あいつ」  とジュリアは再びアキラの悪口をつづけた。 「さっきの作戦だけど、それを食堂で話していたと?」  一華の抑揚のない言葉にジュリアが言葉に詰まったが、 「というか、……まぁ、そうかな。すごくいい案だし実際上手くいったからね。ちょっと準備に時間がかかるけど、結果別れられたから」 「面倒だとは思わなかったと?」 「ちょーめんどいじゃん。て、思ったし、やる気とかなかったけど、なんか、誰誰もやったら成功したらしいとか、成功して、周りの誰からも責められたりしなかったとか、新しい彼と円満だとか聞くとさぁ、もう、ほんと、アキラを我慢できなくなってたからさぁ、じゃぁやろうかってなって」 「なるほどね……話していた相手は、思い出せないかい?」 「いろんな人と話していた気もする。特別誰かってわけじゃなくて、なんか、そう、うーん、いろんな人と」 「なるほどね。それをたまたま聞いていた。ってことか」 「たぶん。もういい? もうなんか、山森さんはかわいそうだけど、今が大事じゃん?」  というジュリアに一華は頷いた。 「自分の所為で人が死んだかもしれないとかって思わないんですね、彼女は」  助手の小林君の意見に同意しながらも、一華は天井を見上げながら、 「なかなか手の込んだ作戦だよね。どういう人が考えそうって、執念深くて、欲深くなきゃできないよね」 「まさにストーカー気質ですね」  助手の小林君の台詞に一華が姿勢を戻す。 「ストーカーって、本当にいたのかね?」 「犯人のですか?」 「いや、彼女、山森さんがアパートを引っ越した理由となったストーカー」 「……いなかったら、アパートなんて引っ越さないでしょ? 引っ越す理由にならないんじゃないんですか?」 「だよなぁ」 2 高橋 恵  高橋 恵は不満と不安そうな顔を露骨に表して一華の部屋に入ってきた。勧められた椅子に座る。一華はパソコンを操作をしながら、少し待つようにと言った。メグミは、一華を見ながら、部屋を見まわしていた。 ―先生たちの部屋ってどこも本ばかりで面白くないわ―  一華が作業を終え、背伸びをしてからメグミのそばに来ると、それを見越していたのか、助手の小林君がコーヒーを同時に置いた。 「飲む?」 「いいえ」  長居する気はないので。と続けそうになるのを押さえてメグミは首を振った。 「あの、それで、まだ何かありますか? なんか、何度も呼び出されると、疑われているみたいでいやだし、なんか、新田さんとかがいろいろと探ってるみたいで、ほんっとに気分悪いんですけど」  メグミの不満に一華はコーヒーを拭きながら上目遣いで見た。 「人、一人亡くなってるからね」  一華の言葉に一瞬臆しながらも、 「そ、それはそうですけど。でも、自殺なんでしょ? 北山さんが警察がそう思っているようだって。一華先生がやってるのは、両親に対して何を伝えたらいいか解らないからで、あんまり深く言わなくてもいいって」 「北山さんが?」 「頼まれたって言ってましたよ。面倒だなって」  一華は一瞬驚き、首をすくめ、「面倒だったか、悪いことしたなぁ」とつぶやいた。 「あ、まぁ、先生って、ほかの先生と仲悪いから、仕方ないって言ってたっけ」  メグミは攻撃したくて言ったわけではなかったが、一華の態度に少々悪かったと思ったのか、後付けのように言い足した。 「まさにその通り」  一華は苦笑して頭を掻く。  メグミは、―本当にこの先生役立たずだわ。よくこれで教師とかしてられる。まぁ、なんか研究ではすごいのかもしれないけど―軽く馬鹿にしたような顔を見せた。一華は気づいたが、それを指摘せずにいた。  メグミのようなタイプは、自分の意見を他人が言ったことにして、他人を悪役に祭り立てるタイプだ。「北山 玖理子が言っていた」。というのも事実だろうが、感情はメグミのものだ。 「山森さんの両親にさぁ、言うことがないのよ」 「まぁ、山森さんて、顔のわりに目立つところなかったし」 「そう。ほんとそう。まぁ、期日内に提出してくれてたら、真面目な良い子。ってだけで、それ以外ないですか? とか聞かれたら、無いですなんて言えなくてさぁ。まぁ、二、三、エピソードがあればと思って、うわさ好きでしょ、新田さん」 「そうですね、彼女、よく噂話とか聞きに来ますね」 「その点、清水さんとかは噂とか信じなさそうだよね」 「清水さん? あぁ、あの派手な、大学生にもなって不良っぽい? そうですね、まったくそういうのに興味ない代わりに、キャバ嬢なんじゃないの? って思うような感じですよね……あ、でも、一度聞いてきたなぁ」 「聞いてきた? あの清水さんが? どんな話に興味を持つわけ? あの清水さんが、」 「それが」メグミは思い出し笑いをして、「男と別れる方法です」と得意そうに言った。 「男と別れる方法?」 「ええ。、彼と縁を切りたいけど、自分から別れ話を切り出すと、彼にひどい女だと言いふらされるから、向こうからフるように仕向ける方法です」 「そんなうまいこと行くわけ?」 「いってるんですって」 「いやいや、相手も馬鹿じゃないでしょ、」 「それが、きっちりと周りを埋めていけば、自分が仕掛けたとは当事者は思わないんですって」 「そう?」 「そうです。今回の清水さんの場合ですけど。  彼の好みの子を紹介する。その過程で、その女の子には付き合っている人、もしくは、その子のことが好きな相手に、清水さんの彼が好意を寄せているから、何とかしたいと言う。  二人、清水さんとえっと、A君としますけど、そのA君との話し合いで、公に清水さんの彼は振られるようにしなきゃいけないので、合コンを開きます」 「合コンで、その清水さんの彼と、その女の子が意気投合したら?」 「そこは気にしません。だって、清水さんは別れたいんですから、」 「いやいや、そのA君はよ? A君はどうなるのよ? A君自体も、そこは考えるんじゃない?」 「そこは、A君がカッコよくなって、その彼女を引き留めさえすれば問題ないって。大体、普通の女の子なら、あの浮気性で、馬鹿な彼なんてすぐに嫌になるからって。それに、カッコよくなれば、その彼女だけじゃなくてモテるからっていうんですよ。男って単純だから、女の子にもてるって聞くとノるんですよ」 「なるほどね。でも、じゃぁ、なんで清水さんは別れないのかね? そもそも、そんな面倒なことをせずに別れたらいいのにね」 「そんなこと知りませんよ。清水さんに聞いてくださいよ」 「確かに。いや、だって、まだ、成功するとか思えなくてさ」  メグミは一華の態度にムッとした。―なんだってこの人はを馬鹿にするのだろう? 頭悪いわね、成功するって言ってるのに―意地になり、高揚していくのを感じながら、 「そもそも、清水さんが別れたいって思っているってことは、相手も嫌になってるんですよ。だから、清水さんが言ったとおりに、合コンで山森さんに猛アタックしてたんですよ」 「山森さん? ……意外な名前」 「そうですか?」 「……だって、あなた、二度と誘わないって言ってなかった?」 「あ、……あぁ。頼まれたんですよ。清水さんに、この方法を試すからって」 「なるほど……てことは、あなたは清水さんの作戦を知ったうえで、山森さんを誘ったと。そこで、清水さんの元カレと引き合わせたと、」 「……え? まさか、清水さんの元カレに殺されたんですか?」  メグミは跳ね上がるほど驚いたが、それ以上に一華も驚いたように目を見開いた。 「なんで、そう思うの?」  一華は自分を落ち着かせるようにコーヒーを飲み、冷静に言った。 「だって、山森さん、めっちゃわざとらしかったんですよ。元カレの気を引くために、好きな人がいるからとか、興味ないですとかって」 「それは、A君のこと?」 「……そうとは、思えませんでしたね。解散になって、その人が来たけど、「あぁ、ありがとう。てか、なんでいるの?」ていうのが、恋人とか、好きな人が来てくれたような感じじゃなくて、顔見知りがいて助かったわ。ぐらいの、なんか、テンション低くて。  だから、元カレが、「俺と三日付き合って、俺のこと好きにさせるから」とか言い出して、「あぁ、そうだ」って、清水さんに電話かけたんですよ。「別れるぞ」って。「もう関わるな」って。だから、私はあの時、山森さんが元カレにそう言って清水さんと別れさせるために、それを言わすための芝居だと思ったんですけどね、わざとやってるなぁって」 「本当に芝居をしていたのかしらね?」 「え?」  メグミの熱が一気に引いたのを感じた。 「本当に、芝居をしていたと思う?」  メグミは黙って一華の目を見ていた。目をそらしたいのに、そらせない。心を見透かされているようで、急に背中が冷たくて、嫌な汗がにじんできている気がした。 「……わ、わかりません。そういう、男好きだと思っていたから……でも、嫌、がって、いたと思います。なんか、想像と違う態度って、白けたんです。私」 「じゃぁ、山森さんは本気で嫌がっていたんだ。清水さんの元カレのことを。そして、A君の助けはありがたいけれど、たいして彼女には刺さらなかったと」  メグミはやっと一華の目から逃れるように大きく頷いた。 「でも、(計画を)やったのは清水さんですからね」  メグミは難を逃れようとでもしているかのような、あえぐように言った。 「(計画を)知ってて手伝ったけどね」  メグミから具の音を聞くと、一華は肩を落とし、背もたれに深くもたれかかり、 「それはもう、大したことではないのよ。正直、そこで清水さんたちの関係がどうなろうと、山森さんが本当に男好きで、ただ、好みが元カレではなかっただけだろうとね」  一華は背もたれから起き上がり、前のめりになって、静かに、低い落ち着いた声で、 「その計画は、あなたが考えたの? それとも、ほかの誰かの考え?」  と言った―。  その声はメグミの喉に張り付き、メグミはのどの渇きで喉元を押さえた。助手の小林君がコーヒーを置いてくれなければ、声を発することもできないかもしれないくらいの喉の痛みだ。 「それが、……何年か前の新聞が出てきて」 「新聞? 何年も前の? なんで?」 「図書室で誰からが見ていたのを、そのままにしていたんだと思うんです」 「図書室……よく行くの?」 「いいえ、普段は……行きません」 「なんで行ったの?」  メグミは思い出そうとするが、よく解らないが、図書室に居たと言った。  かび臭い書物が置いてある独特の匂いがして、はっと我に返ったかのように図書室に居た。  人の姿はあったのに静かすぎて、メグミは受験の苦労を思い出すので図書室に履きたくなかったのだが、どうしてここにいるのだろう? と出ていこうとした時、 「あ、この事件知ってる」  と誰かが言った。誰だったか覚えていないが、他人が知っていることで自分が知らないのは嫌だった。まるで、自分が低レベルにされた気がするのだ。  メグミはこの事件と言われた事件が載っている新聞を見た。日にちはうろ覚えだが、二、三年前の新聞だった。図書館管理らしく、一部をきちんと閉じている重い棒がついている。  記事自体はそれほど大きくはなかった。―別れ話のもつれか?―という文字が興味をそそられた。まだ恋人というものに触れたことのないメグミにとって、別れ話などという甘美なものに憧れがあった。  恋自体に淡い希望を抱き、順調に付き合っている甘い時間に思いを馳せ、取り乱すほどの別れ話の甘美な時間。それがメグミの恋愛観だった。すべては、別れを経験するためだけに存在するような恋愛観のメグミにとって、痴情のもつれは最高に刺激的なものだったのだ。  ―身勝手な言い分。 〇月〇日、某市某駅前のコンビニ前で男性が女に包丁のようなもので刺されたと通報があり、警察が駆け付け女の身柄を取り押さえた。被害者A男さん(32歳)は容疑者元交際相手のA美(27歳)に腹部を刺され病院に搬送されたが、一命をとりとめた。  A男さんとA美は三年前から不倫の関係にあり、この数週間の間に、A美の浮気が発覚し、別れ話をしているさなか、A男さんに女がいることを知ったA美が逆上し殺すつもりで刺したと自供。  二人の関係は三年前の社内での飲み会の帰り、酒に酔ったA美さんの誘いでホテルに言ったところから始まった。A男さんが既婚者であることを知っての不倫である。その後、A男さんは、当時の妻に不倫がばれ離婚、二人は結婚するはずだったが、一か月前頃からA美が浮気を重ねていた。それがばれ、二人は別れ話をするようになったが、その話し合いの最中、A男にも新たな女性がいることを知り、自分ばかりを責めるA男が許せなかった。と自供しているという。  警察では、殺人未遂として―  という記事だった。  メグミはまるで記憶がなかった。それほど小さな記事でもないし、今の自分が恋焦がれている泥沼の別れ際だ。なぜ気にしていなかったのだろう? まだ、高校生で、かわいらしい恋愛にしか興味がなかったからだろう。と納得した。 「これって、ひどいのよ」  メグミはそう言った人の方を見たが、逆光で目を細めたので、誰かはっきりと見えなかった。 「これね、登場人物がこの二人だけじゃないのよ」  細い指が記事をなぞる。  なぜ知っているのだろう? と顔を上げようとするメグミのタイミングを見ているのか、声の主は、 「黒幕がいるのよね。誰だと思う?」  そう言って、紙に ーA男 怪我した人 A 美 刺した人 B男 A美の浮気相手 B美 A男の新たな彼女―  と書いた。  メグミはその紙を見つめ、 「黒幕? B美? あ、待って、奥さんがいたわよね? その人? ここには載ってないけど」  というと、声の主はくすくすと笑い、 「いいところをつくわね。関係を言うとね、A男が好きな女性C子がいるの。これは、元奥さんではないわよ。ここに姿を見せていない黒幕。  C子があるとき思うの。どうやったら、無傷で彼を手に入れられるか。  無傷っていうのは、自分が悪者にならない。ってことよ。  そこで考えたのが、二人が勝手に別れ、そのあとの面倒なことも無事済んだところに、登場すること」  声の方を見ようとするタイミングで、きれいな声が話をつづけるので、引き込まれていく。 「C子はまず、B男に近づく。A美が困っているらしいって。別れたいのに、A男は別れてくれないらしいって。  もちろん、それは嘘なんだけどね。  A美にも、A男が最近あなたがつまらないって言ってたけど、ケンカした? とかって言っておく。最初は、喧嘩なんかしてないって言ってても、「また彼がひどいこと言ってたけど、大丈夫なの? それも、男友達じゃなく、私によ。親友である私に言ってくるから、大丈夫なの? 本当に?」と煽っておくの。  A美は不安になってきて、A男に事の真相を聞こうとするときに、B男がA美にやさしく、「なんか困ってない? 相談乗るけど」って近づくの。  B男はA男のわりと近い友達だから、「最近A男が私の悪口言ってない?」って聞くのよ。A男に直接聞くのは怖いからね、まずは、段階として聞くって、女のセオリーでしょ? B男は、言葉を濁す。聞いてないとか、聞いてるより、言葉を濁される方が信ぴょう性って高いでしょ?  A美がだんだんA男を信用できなくなるように、C子が毎日不安要素を植えるの。でも、ずっとじゃなく、一日のうちに一回だけ。結構それが、真実味があるのよ。そのうえで、二人が一緒のところを見ると、少し哀れんだような眼をして見せるっていう芝居を打つのよ。  A美は、だんだんA男と居ることがしんどくなってきて、話しを聞いてくれるB男に気を許し始めて、浮気に発展するの。  それをC子がA男に、A美が具合悪いって帰ったけど、大丈夫だった? って、聞くの。もちろん、二人が浮気して部屋に帰っていると知っててね。でも、実際、A美は、具合悪いんで早退しますって帰っているんで、間違ってはいないわけよね。  で、もちろん、大修羅場」  メグミがのどを鳴らした。  想像ができた。彼女の家のドアを開ければ、玄関にA美とB男の靴があって、服が徐々に脱ぎ捨てられていて、二人の吐息が聞こえてくるのだ。足を忍ばせているA男の耳に。 「そして、二人は別れ話をするのだけど、A美は一回の過ちだと、平謝りするけど、A男は許さない。だんだんぎくしゃくしてくるころ、C子が、B美をA男に会わせる。もちろん、B美はA男に好意を寄せているから、B美は、疲れているA男にこれ見よがしにやさしく接して、あと少しで付き合えそうだってころに、C子がA美に、B美がA男にちょっかい出している。と教える。  A美は平謝りさせられたうえ、自分ばかりを責めていたA男の不貞を許せなくて、盛大にけんかをする。そして、事件が起こる」 メグミがのどを鳴らして、「その後は?」と聞くと、 「A男とA美は別れた。B男は、A美の物騒な性格に恐れをなして逃げる。B美も、A美に襲われるかもしれないから、二人から手を引く。  A美は刑務所に入ったけれど、出てきたら、A男を襲うかもしれないし、まだ許す気はないって、言ってた。  A男は、社会的にも信頼を失い、家族も失い、恋人も失った。そこへ、C子が、今まで通りに接する。急にやさしくしたりせず、今まで通り。それがA男にはありがたく感じられて、A男とC子は無事に付き合うようになるけれど、A男とA美が付き合っていたほど、A男は面白くなくて、転勤を理由に自然消滅させた」 「……ずいぶん詳しいんですね」 「こういう三文小説みたいなの好きだから、ちょっと調べちゃったの」  メグミはようやく顔を上げた。そこに居たのは、いつも側に居る友達で、顔を上げたメグミの顔に驚いた。  ―この子じゃない―  と辺りを見渡すが、先ほど話していた声の主は消えていた。 「珍しいわね、メグが図書室に居るなんて」  と言われ、急に恥ずかしさが込みあがり、「違う、なんか、ぼうっとしてた」と大した嘘でもないことを言って足早に出た。  それ以降、あの記事が気になり、自分なりに調べた。この一件がメグミにとって、この上ない極上の作品だった。 ―素敵ではないか! 好きな相手を自分が悪者にならずに、手を汚さずに手に入れる方法なんて―  メグミは急に、愛の伝道師になった気がした。もし、別れたい人がいれば、これを授ければいいのだ。自分が知らない以上、ほかの生徒が知っているわけないのだ。こんな小さな記事を、誰が覚えているものか。  今回の事件と、似たような過去の事件を誰かが高橋 恵に伝授した。それをメグミが清水 樹里亜に伝授した。だから事件が起こったというなら、カコの事件を教えたものが事の一連の首謀者ではないか? ただの偶然か?   一華は叔父に過去の事件を調べるようにメールを打った。   3 藤森 真琴  急に寒さが増してきた。  町のイルミネーションが気合を入れ、N.Yの有名なツリーの点灯式が行われたとニュースでやっていた。ますますクリスマスムードが高まて行く。  学生たちも、冬休みの計画に大忙しだったり、期日間近の提出物に追われてやはり忙しい時期だと実感する。  一華もようやく年末に向けての段取りが計画的に進み始め、学生の論文の添削優先を決めたり、年明けの授業工程の準備を助手の小林君に伝えたりしていた。とにかく、気ぜわしいが楽しいこの時期を一華は難しい顔をして過ごしていた。  一華が難しい顔をしているのはいつものことなので、もはや助手たちは何も聞かない。一華は段取りを組み立てたり、計画書を作ることが本当に苦手なのだ。ただただ、だらだらと研究している方がいいのだ。  出土してきた石からクリーニングをして異物を取り出す。それだけの一日で幸せなのだ。だが、学生を受け持っているとそういうわけにはいかない。それが苦痛なのだ。  では、教壇に立つことを辞めればいいのだが、そうすると生活にも支障をきたすし、何より、好きに研究もできない。だから、仕方なく、大人として仕事をしているだけだった。  部屋の中がふと暗くなり、一華が空を見上げた。かなり大きな雪雲が空を通過している。雪にはならないだろうし、雨も降らないだろうが、外はかなり寒そうだ。  一華は一限目の授業の後、放課後に人と会う予定が入っている。それまでの時間、計画書を終えようと目を通していた。  ドアが叩かれ、こちらの返事を待たずに戸を開けて藤森 真琴が顔をのぞかせた。 「しつれーしまぁす。今ぁ、大丈夫ですか?」  マコトの顔は嬉々として輝いていた。たぶん、いい噂話でもあったのだろう。どうしても言いたくて急いできたらしく息が弾み、顔が赤い。こんなに寒い日だというのに―。  一華はマコトを中に入れ、マコトはにこやかな顔をして、 「聞いてびっくりですよ」  と言った。  昔、子供のころによく見ていた時代劇の、岡っ引きの子分が、親分に報告する際も同じように前置きをしたのを思い出す。だがそれは言うほど大事(おおごと)なことではないのだが、それでもドラマはそれを境に話が進むのだ。  親分の脳にひらめきを与え、子分のいちを親分は百にする。だから、子分は親分に勝てないのだ。という比較の場面だ。  などとぼんやりとマコトを見ながら思っている一華に、ドラマと違ってマコトは重要なことを言ったのだ。 「山森さんが買っていたのは、おそろいのモノのようです。物までは解らないけど。前に言いませんでしたっけ? 高校の時の友達。って紹介されたって子たちが、何買いに行くのか気になって、ちょっと見てたら、おそろいのモノを持っていたいとか言ってたって。  でも、相手がドクロとか好きだったら、どうするんでしょうかね」  マコトがくすりと笑った。  あまりにも―山森の行動が―幼稚だと言わんばかりの笑い方に一華はちらりと見たが、すぐに 「例えば、そういうおそろいのモノを持っていたとして、今時の若い子はそれをどどうするの? 持ち歩くの? それとも家に置いておくの?」 「人それぞれじゃないですか? てか、なんか所有物化されている気がするから、私は嫌だな」  マコトは言った。  マコトには、おそろいの服。おそろいの持ち物。おそろいのアクセサリーは、恋人たちの互いの束縛とネームプレートにしか見えない。と思っているようだった。まるで主従関係でもあるかのような認識で、嫌悪を抱いているのが解る。  だが、一華もそれには同意するところもあるので否定はしないが、他人を笑う気はない。 「何を持っていたんでしょうかね? もし、私が持たなくてはいけなかったら、目立たないものがいいですね。恥ずかしいし、そんなものをつけていたら、持っていたら、噂になりますしね」 「そうね……噂ね。いなかった? 山森さんと同じものを持っている子って、」 「……まぁ、みんな持っていそうなキャラクターとかは居ますけど、ただ、それはただの被りで、お揃いってわけじゃないですし、お揃いなんか、偶然なのか。まぁ、市販品だから、持ってても不思議じゃないなぁってのは、清水さんが同じ筆箱持っていたぐりかな」 「筆箱?」 「そう、今、流行っている変なキャラクターの奴です。私は、持ちたくないけど」  と言って、キャラクターの特徴を説明してくれた。一華も、あのキャラクターのどこに魅力を感じるのか不明だったが、まぁ、人の好みだし。と返事をしておいた。 「あぁ、後、山森さん、好きなのかどうかわからないけど、花柄のモノとか持ってましたね。手帳とか、メモ帳とか、なんか、花いっぱいのやつ。あの顔で、そこまで花持たれていると、乙女すぎて笑っちゃいますよね」  マコトは首をすくめた。  その行動には、いい「女」が花を持ち歩くことに対して抵抗しているような、マコトの中の大人は「花」よりもモノトーンと言ったものなのかもしれないが、それこそ「人それぞれだ」と一華は同じように首をすくめただけにした。  マコトのようなものには同調はしても否定はしてはいけない。否定をするとたちまち話さなくなる。同調しているうちは、聞きもしないことまでしゃべるだろう。 「変わってるなぁと言えば、一冊だけ、地味な表紙のノート持ってましたね。基本は大学ノートですよ。よくあるやつですけど、一冊だけ、赤茶色っていうか、無地の奴です。そういうメーカのじゃなくて、どういうのかな? とにかく、うわぁ、おばさん。て思っちゃった。中は単純に幼児栄養学のノートで、選んだのはページ数が多いからってことだったけど、なんか、ねぇって感じでした」  マコトは再び首をすくめた。  一華はふむと唸り、マコトの目を見つめ、 「藤森さん。あなたは山森さんのことをよく見てるんだね」  というと、マコトはにこやかだった顔を硬直させて口を閉じた。 4 北山 玖理子  北山 玖理子が来たのは授業が終わったであろう3時前だった。  さすが、冬至に向かう時期らしく、日の暮れが近いのもあって、すっかり辺りが冷えてき始めたころだった。  一華は電話をしていたが、クリコの入室を許可し、椅子に座っているように合図を送った。 「だから、ちがうつってんだろ、バカか? あぁ、そう。それだよ。ったく役に立たねぇなぁ。そんなわけだから、やっといてよ」  一華は携帯を耳から外し、画面を見て舌打ちをしてから、 「いやぁ、すまなかった」  と椅子に座った。 「あの?」  クリコが心配しているような顔をして、眉をひそめている。 「ああ、ちょっとね。……もうさぁ、解ると思わないかね? 今日はシチューを作るから、牛乳を買ってきといてと言ったら、少なくても中ぐらいのやつ買うだろう? なんで、一人用の、あの小さいを買うのか? って聞くかね? あれでもいいけど、牛乳たっぷりじゃないと、シチューじゃないとか言っておいて、足りる足りるとかって思うかね? 大きいの買っとけって言ったら、重いだのなんだのって、お前が食べたいって言ったんだろってね。まぁ、いいや。そんなこと言っても仕方ないが、」 「先生も、苦労してるんですね。恋愛って難しいですよね」 「あ? あぁ。まぁ、そうね」 「ファイトですっ」  クリコはその見た目によらずな態度をし、一華を驚かせると、はっとして顔を赤らめ、 「最近、……山森さんのことを思い出すと、彼女、よく、ファイトですって、応援してくれてたなぁって居ないんだなぁって」  ぐずっと鼻を鳴らして久理子は俯く。  一華はボックスティッシュを差し出す。 「それで、何かわかった?」 「あ、あぁ。そうですね。でも……山森さんて、本当に、そんなに目立つような人じゃなかったんですね。他の先生も、真面目で、おとなしい子。って印象でしたね」 「生徒たちと同じかぁ。……それじゃぁ、親御さんになんて言ったらいいのか」 「すごく優しい子でしたよ。気が効くし、料理もそこそこ上手でした」 「家に泊ったことがあったって言ってたね?」 「ええ。まさか、私だけだったとは思いませんでしたけど」 「部屋って、女の子らしいピンクのお部屋?」 「お部屋って(苦笑)。いいえ、シンプルでしたね。1Kで、ベッドと、こたつがあって、片付けられてましたね。ピアスとか、そういったものもなくて、つまらない部屋って思いました」 「いがいだなぁ」  クリコは大きく頷いた。 「もっと、化粧品とか、装飾品とかありそうなのになぁって」 「片づけていたのかもね」  クリコはすぅっと黙り、考え込んでから、 「そうかもしれませんね。人を呼ぶのに高価なもの置いとけませんものね」  と笑った。 「事件が起こる数日前、起こってからの数日間、何か変わったことなかった?」  クリコは首を傾げる。 「事件前は解るんですけど、事件後ですか?」 「ストーカーはさぁ、その人が欲しいけど、その人がいなくなったら、その対象者のが欲しくなると思うのよね。だから、彼女の家へ行くとか、もしくは、一番近くにいたであろう、あなたの近くに来て、彼女からもらったものとか、何か盗られてない?」  クリコはさっとカバンの方を見た。 「そう、それかわいいなぁと思ってたんだよ。それピアスでしょ? それを、なんていうの? そんな袋に入れてキーホルダーにするの、かわいいなぁと思ってたのよ」 「あ……これは……。山森さんがくれたんです。私、ピアスはしないって決めてるんです。就職するとき邪魔だから。でも、かわいいから、いつかつけたくなった時につけてくれって。これ、破ったらピアスとして使えるからって」 「へぇ、ビニールに入ってるんだね。どこで買ったんだろうかねぇ」  クリコは首を傾げた。  一華はカバンのキーホルダーをしげしげとみていた。プラスチックの子袋の中に花のピアスが入っている。振ればころころと音はするので、中に液体は入っていないようだ。よくこれを作ったものだと感心する。と言い、一華はクリコの顔を見た。 「じゃぁ、これを大事にしておかなとね。ストーカーが、これを破って盗るかもしれないからね」  クリコは顔を引きつられて頷いた。 「まぁ、一応、気を付けといたほうがいい。解決するまでは」  と一華は優しく微笑んだ。 「ところで、山森さんは、花が好きだったのかな? それとも花柄が好きだったのかな?」 「花、ですか?」 「そう、フラワーの花」  クリコは首を傾げ、考えたが、 「どうでしょう……あまり気づきませんでしたが」 「手帳とか、小物とかに花柄とか、」 「…………いいえ、持ってましたっけ? それって重要ですか?」  一華は頭を掻き、再び、クリコのカバンを指さしてから、 「いや、花のピアスでしょ? 見た限りでは、あなたに花柄のモノを持っている形跡がないから、プレゼントをしたという山森さんの好みかと思って」  クリコはカバンのキーホルダーを見下ろし、眉をひそめたが、 「たぶん、女に渡すプレゼントとしては無難。だったからじゃないですかね?」 「あぁ、なるほどね。よく解らないのだが、友達同士でそういう高価なものを送り合うのかい? それは、百円ショップで買えるようなものじゃないでしょ? まぁ、友達同士にプレゼントを渡す予算がいくらなのか解らないけど」 「……普通じゃないですか? 千円とか二千円とかぐらいなら。あ、後、これ誕生日にもらったんです」 「誕生日?」 「ええ、11月24日が私の誕生日で、一か月前イブとかって言ってましたね……彼女」  クリコが固く口をつぐみ俯いた。目が潤んできたので泣くのを我慢しているようだった。  誰かの先生を呼ぶ放送が聞こえる。一華とクリコは同時に時計を見た。四時前。外はかなり暗い。部屋の電気はたぶん助手の小林君が点けていたのだろう。  一華はブラインドを下ろした。「ますます寒くなるね」と言いながら。 「そうだ、少し知恵をいただきたいのだが、時間はあるかい?」  一華に言われクリコは笑顔で頷いた。 「よかった。他の子はどうしても子供の考えで困る」 「まぁ……少しは先生に近いですから、私」 「あ、気にしていたことをすまない」 「大丈夫です。慣れてます」  「そ」と一華は短く返事をした。 「山森さんの好きな人はどんな人だろうと考えたのさ。彼女がバイトを増やしてまで何かをプレゼントしようとしたか、あるいは、もう渡したのか解らないが、とにかく、一時的にお金が必要になったわけだ。  そこまでする相手ってのはどんな人だと思う?   私が思うにね、学生同士だと、まぁ、バイト始めようかな程度で全然大丈夫なプレゼントを選ぶと思うわけよ」  一華の言葉にクリコも同意するように大きく頷き、 「そうすると、年上の人でしょうかね?」 「もしかすると、不倫していたかな?」  一華の言葉にクリコは目を丸くした。そんなことは思っていなかった。ような顔だ。 「そんなことしそうにはないですけど」 「……でも、人の彼氏を略奪するんでしょ? ありえない話じゃないと思うんだよね。そうすると、スト―カーという線よりもその彼の奥さんか、恋人からの報復ともとれるよね。  彼の携帯から、会いたいから今すぐ来て。なんて呼び出されたら、喜んでいったと思うのよね。その人にプレゼントしたおそろいのを身に着けてね」  一華の言葉にクリコは考え込んだ。 「そうなのかも……しれませんね。  ストーカーも、あ、引っ越しの原因を作ったストーカーですけど、も、もしかすると、そういう相手なのかも。自分が飽きて、勝手に逃げているとかかも。  あ、もしかしたら、いえ、それはないかな」  一華が続けるように促すが、クリコは言い渋りながら、「憶測ですよ。私の、勝手な。というか、想像というか、ドラマの見過ぎというか、くだらない発想ですけど」と前置きを十分にとって、 「山森さんがストーカーなんじゃないかって。引っ越したのは、その相手の近くに引っ越したかったのかなって、」 「……そういう動向を見せていた?」  クリコは大きく首を振る。 「でも、そういう人って、案外、周りの人からはしっかりしているように見えたとか、真面目そうだったとかよく言うじゃないですか。  まぁ、ほかの人より、一緒にいたけれど、もしかしたら、私は、アリバイ工作として一緒に居たのかも……。  図書室に一緒に行ったけど、勉強課題は別なので同じ机で勉強していたわけじゃないし。でも、何していた? って人に聞かれたら、一緒に図書室に居ましたって、私言いますよ。ええ、言います。  彼女……が、ストーカーなのかも? もしかしたら、ストーカーしていた相手から拒絶されて、……、自殺?」 「……自殺は、ありえないって言ってなかった?」 「……ええ、無いです。でも……拒絶されたら、」 「その、彼女が好意を寄せていた、彼女がストーキングしていた相手から殺されたということは?」 「……あり得ますけど、うーん、」  クリコは唸り首をひねった。 「まぁ、いいことだよ。いろいろと可能性を考えるっていうのは。一個に固執することも大事だが、解らない以上視野を広げるにはいいと思う」  一華は頷き、「彼女がストーカーだったら、呼び出す側なら、カメラのない場所へ行くのもありかもしれない」とぼそぼそと言いながら腕を組んで思考に入った。  助手の小林君が、帰るよう促したので、クリコは呆れるように首をすくめて出ていった。  夕方の校舎は足音が響く。クリコは今、階段付近に差し掛かり、立ち止まった。たぶん携帯か何かを確認しているのだろう。そして、階段を下りて行った。足音は徐々に遠ざかっていった―。 5 帰宅  一華は家に帰った―。というか、二階の叔父の事務所に入った。  相変わらず、妙な匂いのする部屋である。においの原因はよく解らない。客の残り香か、叔父、啓介の体臭かよく解らないが、まったく嫌いではないので、上着をソファーの背もたれにかけて、一華は椅子に座った。  事務机が三つずつ向かい合って並んでいる。まさに会社っぽい配列だ。奥が一華の机だ。学校の資料も乗っているが、今は、啓介が持って帰ってきたであろう資料を手にする。 「三年前だ」 「三年ねぇ」 「横恋慕をするにあたっての下準備が長い。動機は男を好きになったからだと言っていたが、結局は、破滅していく女を見るのが好きだと。その女が気に入らなかったと言ってるけどな。  自分では手を汚さず、女の方にイケメンを当てがい、不仲にさせる。そこへ、男に同情する女を用意する。ここが曲者なんだよ。男とその女がいい仲になったとたんに、その女の悪口が広がる。別れさせるために男を準備しただのなんだのとな。そうして、女不信になった男に、さばさばとした友達を装って近づく。  すべてに気づいたもともとの女と、利用された女が、殴りこんできて、警察沙汰。   誰が聞いても、そもそも浮気した女が悪いわけだし、悪評を信じて女と別れる男の軽さもどうかと思われる。というのが結末だが、そこに、そのラスボスが出てくるあたりがエグイ」  啓介はカップ焼きそばを混ぜながら一華に近づき、それを混ぜ続けながら説明した。 「町田(まちだ) 里香(りか)は結構根に持つタイプのようだぞ。子供のころ、誰々に何をされたというメモを残している。親自体が、里香の性格が恐ろしくて二十歳になった時、200万円渡して自立するよう促した。ただ、そこは親で、どういえば出ていくか計算していて、「二十歳になれば好きな人もできるだろうし、実家暮らしだと、門限とかあってしんどいと聞くから、自立したければ、200万円を資金に自立してもいい。でも、家にいるなら、家にお金を入れなさい」で、里香は出ていくが、里香の方が上手なのは言わずもがな。さすがに全額ではなかったが、親の通帳とハンコを持って出ていった。結果、300万円を元手に自立した」 「ずるがしこい」 「ああ。そして、自分が考えた通りに人が動くのが好きで、学生の頃は演劇部の演出をしていたそうだ。役者じゃなくて、演出家。自分の思い通りに動かないと、激高したそうで、面倒な人だと言われていたそうだ」 「なかなか性格がキツかったわけね?」 「キツイていうレベルじゃないようだぞ。平手打ちは平気でするし、物は投げる、棒で叩くは当たり前だったそうだ」 「女子高生がする行動とは思えないねぇ」 「いや、大学生だ」  一華が啓介を見た。 「町田 里香は、今、27歳だ」  
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