ある日、森の中…

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ある日、森の中…

 ある日、森の中、熊に出会った。  この場合、「くま」にさん付けすると歌い出す人がいるかもしれないけど。今回はそういう類いの話ではなく、至ってシリアスなお話だ。  私が森で出会った熊は「くまさん」などと呼べるはずもない、現実感のある熊だった。だけど不思議なことにその熊は現実の熊ではなかった。まず、色からして違う。全体的には黄白色で、ところどころ塗り忘れか絵の具が足りなかったかのように白かった。そして、ただのしるしのように目のあたりが黒く塗られていた。そんな熊は私が知る限り、現実の世界には存在しなかった。  故に、熊と遭遇した恐怖は感じなかった。ただ、得体の知れないものに出会ってしまったという、言葉では言い表せない恐怖があった。  黄白色の熊は言った。「おじょうさん、おにげなさい」  その一言で恐怖感はどこかへすっ飛んで消えた。私はスタコラサッサと逃げた。熊の言葉を信じるなら、何か別の恐怖が迫っているのかもしれなかったから。  ところが黄白色の熊は、逃げる私のあとをついてきて、皆様がお察しのとおりに「おじょうさん、おまちなさい」と言った。私はてっきり自分が落とした白い貝殻の小さなイヤリングを拾ってくれたのだろうと思い、後ろを振り返った。  すると、黄白色の熊はこう言った。 「あなたのイヤリングが、5メートルほど先に落ちています。足元に注視してください」  それは熊が、私の気を逸らすために言った罠であり、私が私として聞いた最後の言葉となった。  動物の皮を剥ぎ、防腐・防虫の薬剤処理をしたうえで、中に詰めものをして外形を復原し乾燥仕上げさせたものが、いわゆる剥製だ。私が森で出会った熊は、その〝詰めもの〟だったのだ。なんらかの原因で熊の皮は剥がれたのだろう。いや? もしかしたら自ら剥いだのかもしれない。そこまでして人間になりたかったのだろうか。  いまや醜く膨れ上がった図体の私。かつては熊だったその詰めものの意識下の、ほんの片隅にいる私。  ある日、森の中、私は四足で歩いていた。その道の先で「私」は、白い貝殻の小さなイヤリングを見つけた。でも、私はそれを拾ってはくれなかった。  ラララ ラララララー  ラララ ラララララー (ラララじゃ済まないって!)
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