明くる朝

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 教室で担任の話を聞いた後は、一人ずつこの学校で過ごした思い出やクラスメイトに向けてのメッセージを発表する流れになった。嗚咽交じりにたどたどしく言葉を繋げる女子の後に、海斗の朗らかな声が教室に響く。その言葉に拍手を送り、再び静まった所で席から立ち、海斗と同じように当たり障りのない挨拶を交わす。たった一言だけだというのに、数十人が自分の声に耳を澄ましているのだと思うと喉のあたりが強張っていく感覚がした。なんとか頭に描いていた言葉を全部言い終えると、拍手に包まれながら席へついた。  全員分の挨拶が終わると、最後に集合写真を撮って解散となった。それでも教室を早々に出ていく人は少数で、みんな卒業アルバムの寄せ書きや連絡先の交換に勤しんでいる。  海斗は部活の集まりがあるらしく、HRが終わるとさっさと別の教室へ行ってしまった。クラスの集まりに顔を出そうかと一瞬頭を過ぎったが、結局面倒だと思う気持ちが優位となり、そのまま教室を出た。  靴を履き替えると、いつもの癖で上履きを下駄箱にしまいそうになった。目線の高さまで持ち上げていた上履きを下ろして鞄の中にある袋を探していると、ふと隣から柔らかい笑い声が聞こえた。  声のする方を振り返ると、そこにはメイが居た。メイは顔を逸らして小さく笑い声をあげたあと、少し気まずそうにこちらへ視線を寄越した。 「ごめん、見ちゃった」 「いや、べつに」  メイはごく自然な態度で話しかけてきた。対照的に、俺久々にメイと言葉を交わすことに自然と体が強張ってしまっていた。前はどうやって喋ってたっけ?なんて本気で疑問に思ってしまうほど上手く言葉が出てこない俺に対し、メイは自然な様子で隣に並んだ。 「今から帰り? クラス会行かないの?」 「行かない。海斗もいないし」 「あー、そっか海斗くんバスケ部の部長だったもんね。そっちの集まりがあるか」 「そっちのクラスは集まりないわけ?」 「んーん、こっちもクラス会やるよ。でも、私はいいや」  明るい声で告げられた意外な答えに、なんとなく横目でメイの顔を見た。メイはまっすぐ前を向いている。久々に隣で見たメイの横顔は、記憶の中の姿よりもずっと大人びて見えた。  するとメイはそのまま環に視線を送り、明るい口調で問いかけた。 「ていうか環さ、私のこと避けてたでしょ」 「え、いや、別にそんな……」 「うそ! だってわざわざ別棟の教室に教科書借りに行ったりしてたじゃん!」  「なんで知ってんだよ!」 「あ、やっぱそうだったんだ。環があっちのクラス行くの珍しいなーって思ってたんだよね」 「引っ掛けたな!?」  ごめん、と言いつつも少しも反省の色がない様子で笑うメイから顔を逸らす。避けていることを察しているとは思ったが、まさか単刀直入に聞いてくる上にカマまでかけてくるとは思わなかった。でも、メイのケラケラと笑う声は小学生の時と変わってなくて、なんとなく安心している自分がいる。  一緒に帰るのはかなり久々なのに、歩くたびに自然と緊張感が解けていくような気がした。話したい言葉が自然と口をついて出て、ふとした間も居心地悪く思わない。なんだ、別に気にすることなんてなかった。付き合うとかそういうのを考えなくたって、メイとは前と同じように話せる。  十字路に差し掛かると、自宅の屋根が見えた。メイの家は俺の家より数軒先にあるから、メイと並んで歩くことはあと数歩の間だけだった。  家の前で足を止めると、メイも同じく立ち止まった。少しの沈黙が流れても、その先の言葉が出てこない。べつにメイをここで引き止める理由はない。けど、まだこの時間を終わらせたくなかった。  互いに別れの挨拶を言い出さないまま視線を遠くに泳がせると、まだ咲く気配のない桜の木が少し遠くに見えた。ぼうっと遠くを眺めていると強い風が俺たちの間を通り抜け、メイの長い髪を強引に持ち上げた。メイは風で乱れた髪を手で直すと、少し間をおいてから口を開いた。 「じゃあ、私も帰るね」  バイバイ、と手を振ってくるりと踵を返したメイの後ろ姿に、「おう」、と短い返事を返しただけで、それ以上は何も言葉が出てこなかった。  メイの後ろ姿が遠ざかる。呆然とその様子を眺めたあと、観念して家のドアへ手をかけた。玄関で靴を脱ぐと見計らったように母さんが「メイちゃん、綺麗になったわね」と話しかけてきた。見てたのかよ、と悪態をつきそうになるが、あんまり変に反発すると余計話を広げられそうだと思い直し、黙ったまま洗面所へ向かう。数歩後ろをついてくる足音に、まだ追求されそうだと内心げんなりした。 「あんた、メイちゃんと帰ってくるなんて珍しいじゃない」  蛇口をひねった水の音に紛れて、母の言葉が飛び込んでくる。なるべくいつも通りを装って「まあ」と短く答えるが、母はなおも詮索を続ける。 「メイちゃんは桜南行くんですって? お兄ちゃんと一緒で頭いいのね」 「お兄ちゃん……ああ、ソラ君」 「そうそう。都内の大きい会社に内定決まったって前に聞いたのよ」  ふーん、と母親の話を聞き流しながら記憶を辿る。確かソラ君はメイと7、8個ほど年が離れていた。あんまり話したことはないけど、いつも穏やかでニコニコ笑ってて、お手本のような「いいお兄ちゃん」だな、と思ったことをなんとなく覚えている。  「あんた、水、水!」という母の言葉に慌ててして蛇口を戻すと、母はどこかニヤニヤしながら「久しぶりにメイちゃんと帰ってこれて浮かれてるんじゃない?」と野次を飛ばした。その言葉を無視して無言で横を通り過ぎると、急ぎ足で自室へ飛び込んだ。  鞄を床に放り投げ、そのままベッドになだれ込む。制服のポケットにしまっていたスマホを取り出すと、いくつも通知が溜まっていた。画面をスクロールしていると、メイからの通知が目に止まる。  メイから連絡がくるなんて、いつぶりだろう。赤く丸がついた通知欄に少し落ち着かない気持ちになる。今すぐ開くかどうか少しの間逡巡したのち、結局は好奇心に負けてすぐにトーク画面を開く。  その画面には他愛もないメッセージが綴られていた。環も同じようにメッセージを返すと、すぐにまた返信が来た。たった数行のやりとりがどんどん積み重なり、少ししたところでメイの「そろそろ出かけてくるね」という申し出によってやり取りに区切りがついた。  通知の鳴らなくなったスマホをベッドに放り投げると、環はそのまま静かに目を閉じた。数年間心に引っかかり続けていた針が抜けて、安堵感が胸に広がる。その感覚が心地よくて、窓から差し込む陽の光がいつもより暖かく感じた。
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