僕 2

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僕 2

 受験生の僕は夏休みだと言っても夏期講習に行くわけでもなく、部屋の片付けをしたあとは特にやる事もなく夏休みの宿題をやったり、受験勉強をしたりして過ごした。塾で時間を拘束されるのが嫌でタブレット学習を選んだ僕は夏期講習もタブレットで済むため言ってしまえば外出する必要がない。ちなみにタブレットに志望校と定期テストの結果を入力すると合格ラインが出るのだけど僕の判定は今のところAだ。  毎朝、家族で朝食をとり義父と母は出社する。食器を洗うのは義兄の仕事で僕は本当に手伝い程度しか出来ないためこの夏休みに教えてもらおうと思ったら〈受験生だから駄目〉と禁止されてしまった。それでも一日中勉強をしているわけではないため何かしたくて義兄に頼み込み洗濯の手伝いだけは勝ち取った。と言うより料理はちゃんと覚えた方がいいため教えるなら基本からちゃんと教えるからと言われ、食器を洗うのはお皿を割って指を怪我したら大変だからと禁止されただけなのだけど。ちょっと過保護だと思うと反論したものの3対1では勝てなかった。  と言う事で義父と母が出社すると兄が家事をし終わるのを待ち洗濯の仕方を教わる日々。ちなみに掃除は自分の部屋は自分で。共有部分は基本的には義父と母の担当だ。2人暮らしをしていたせいで義父も家事はちゃんとできるのでこの家で家事スキルが1番低いのは僕なのだ。  洗濯なんて簡単、と思っていた僕だけどはじめは上手くできずに義兄にダメ出しされてばかりだった。  タオルはしっかり伸ばしてから干す。  ハンガーは首元から入れない。  干す時は均等に干す。  言われなくてもできそうな事なのに言われてもなかなか上手くできない。  僕が干すとタオルは歪な形で乾いているし、ハンガーは無理やり入れようとして首元を伸ばしてしまう。  そして、僕が干したタオルや小物類は必ずどちらかに傾いている。 「俺だってはじめはそうだったよ」  義兄はそうやって慰めてくれるけれど、義兄が家事をやり始めたのは早くて小学生、遅くても中学生の頃からで今現在中学3年の僕よりも早い時期だったはずだ。義兄に褒められたいと言うのもあったけれど、小さい義兄に負けたくないと思い〈洗濯の干し方〉を検索してみるものの早く乾く方法が多く結局は実践しかないと開き直った。 「渉、上手に干せるようになったじゃん」  義兄に褒められたのは夏休みも半ば、彼が僕のことを呼び捨てで呼んでくれるようになった頃だった。 「本当?」  嬉しくて聞き返した僕の頭をグリグリしながら「本当だよ」と答えてくれたのだけど、その手で父を思い出してしまい泣いてしまったのは緊張の糸が切れたからだろうか。 「あ、ごめん。  嫌だった?」  義兄が焦って手を離したのが淋しかった。 「違う。そうじゃなくて、父さんが」  そこでら言葉が止まってしまう。  これはしていい話なのだろうか? 「父さん?親父が何かした?」  義父のせいにされそうでますます焦って慌てて首を横に振る。 「お父さんじゃなくて、僕の前の父さんが最後に会った時に頭グリグリしてくれて」  ちゃんと伝えようと思うのに、感情が先立ってしまい上手く説明ができない。 「鍵くれて、もう会えないのかって淋しくて」  思いつくままに話すから支離滅裂なのかもしれないけれど、なんとかちゃんと伝えたくて言葉を続ける。 「いつでも来ていいって言ったけど、僕にはもうお義父さんがいるから」  辿々しい僕の言葉を汲み取って義兄がクスリと笑う。 「親父とお父さんに悪いと思った?」  そう言われて返事の代わりに頷いて見せる。 「馬鹿だなぁ。渉のお父さんはお父さんのままだし、親父だって渉のお父さんだよ。お父さんに会いたいなら会いに行けばいいし、遠慮する事ないし、なんなら紹介して欲しいくらいだよ」  そう言ってもう一度頭をグリグリしてくる。すっかり小さい子扱いだ。 「でも…」 「あのね、渉。会いたい人には会える時に会っておかないと駄目だよ?  いなくなってから会いたいと思ってもどうする事もできないからね」  義兄の笑顔が淋しそうなのは気のせいじゃない。きっと亡くなったお母さんを思い出しているのだろう。 「お父さんに会いたかったら会えばいいし、電話したら喜んでくれるかもしれないよ」  そう言って話を締めくくる。僕は何を言っていいかわからなかったけれど、兄の手が優しくてまた泣けてきてしまった。  きっと気付かないうちに僕なりに頑張ってきたせいで、緊張して張り詰めていたものが切れてしまったのだろう。  知らない場所で母以外他人だった人たちとの生活。母だって義父や義兄との生活が始まるにあたって変化したから今までの母とは違う。母であって母ではないのだ。  今の生活に不満があるわけじゃない。ただ、母と祖父母との生活に慣れ過ぎていて新しい生活に慣れるのに必死だったんだ。  祖父母の家にいた頃はその環境に甘え、手伝いだって自分の洗濯を片付けるとか、食事の配膳を手伝うとかそんなことしかしてなかった。祖母が専業主婦だった事と、僕が甘やかされていたせいもあるだろう。それが急に自分のことは自分で+家の手伝いをするようになったため気付かないうちに頑張り過ぎていたのかもしれない。 「そんなに頑張らなくて大丈夫だから。ここで話しにくかったらお父さんに電話してもいいし、お祖父さんやお祖母さんにだって連絡してあげなね」  泣き止まない僕を見かねて僕を抱きしめ背中をポンポンしてくれる。本当に小さい頃に戻ったみたいだ。  暑い時期なのに義兄の体温は心地よく、その手は優しい。それでも僕よりふたつ年上の義兄は胸板も厚く、何か使っているのか落ち着く匂いがした。 「何かあったら俺のこと頼りなね」  その言葉が嬉しくて…僕が泣き止んだ時には兄のTシャツの胸元はビショビショで、洗濯したばかりなのにカゴに残る洗濯に2人で苦笑いしたせいかそれからの僕は義兄にベッタリになって行った。  義兄である真秋さんは完璧人間だ。  家事も難なくこなし、勉強だって出来る。スポーツも得意なようだけど高校では部活はやっていないと言っていた。義父の負担を減らすために家のことをしたいから、と言っていたけれど筋トレやランニングが日課なのは知ってる。  背も高く、本格的に運動をしているわけでもないのに身体もしっかりしている。  それに対して僕はと言えば家事は出来ないし、勉強はそれなりに出来るけれど義兄と比べてしまうと月とスッポンだ。身体も華奢だし身長もそれほど高くない。まだまだ成長期だからしかたながない事にしておく。  勉強面で言えば彼は塾にも行っていない。学校で0時間目と7時間目が有るらしくてそこで要点を押さえておけば困ることはないとさも当たり前のように話してくれたけれど、それは義兄だけだと思う。 「来年は流石に夏期講習とか冬季講習受けるつもりだけどね」  そんな兄は志望校の合格に不安要素など無さそうだ。 「だから今年の夏は渉最優先で」  そう言って勉強を見てくれ、時間があれば家事も教えてくれた。  いつしか義父と母のいない日中は2人でリビングで過ごすことが多くなり、寝る時だけは別というような生活が当たり前になっていく。今年は猛暑でそれぞれの部屋でエアコンを使うよりもリビングで過ごした方が効率的だし環境にも優しいと気が付いてしまったのだ。  この家はリビングダイニングになっているから勉強道具を持ってきてしまえばトイレ以外でこの部屋から出る必要はないのもそうさせた要因だった。 「これさ、夜も一緒に寝たら親父や義母さんよりも俺たちの方が新婚みたいじゃない?」  義兄がそんなことを言うのがいけなかったんだ。年の近い相手とこんな風に過ごすことがなかったせいで、僕は徐々に義兄を意識するようになっていった。  義兄はそんなことを言ったことなんて覚えてないようで僕を弟扱いし〈真秋さん〉と呼ぶ度に「お兄ちゃんだろ~」と〈お兄ちゃん〉と呼ぶことを僕に望む。あまりにも繰り返されるその会話に折れたのは僕で、夏休みの後半には〈兄さん〉と呼ぶようになっていた。  流石に〈お兄ちゃん〉は恥ずかしかったせいもあるけれど、〈兄さん〉の方が少しだけ他人行儀で義兄を意識している僕には相応しい呼び方だと思ったんだ。  そんな風に過ぎていく毎日。  兄は学校が始まり毎朝早く登校し、帰りも僕に比べると遅い。義父と母は当然もっと遅いため僕は家で1人で過ごす時間が長くなってしまう。  夏休みに兄に家事を教わったけれれどまだまだ出来ることは少なく、出来ることはせいぜい洗濯を取り入れて畳んでおくくらいだ。この家は義兄の母のこだわりだったのか、ランドリールームがあるため前日の夜に母が干しておいた洗濯を僕が片付けるのが日課になった。  その日も帰宅して制服を脱ぐととりあえず洗濯を片付けることにしてランドリールームに行く。まずは小物から、と思いピンチハンガーに目をやりざわつく自分の気持ちに気付いてしまった。洗濯物を干す位置は自分が洗濯をしていた時は気にしたことが無かったけれど、母が洗濯をするようになってから気になり出した違和感の意味に気付いてしまったのだ。  母はもともと僕たちが家事をすること に反対で、それでも義父の「自分のできることを増やすのは悪いことじゃないよ」と言う言葉に折れた形だったのだけれど、夏休みが終わると〈そろそろここでの生活も慣れたから〉と僕たちが家事をする機会を減らしてしまった。毎日の勉強があるため母の気持ちもわかるのだけれど、頑張りすぎる性質の母が心配で〈息抜き〉と称して洗濯の片づけを勝ち取った。  義兄は夜のうちの母が下準備しておいた食材で夕飯を仕上げる事を〈息抜き〉と称して勝ち取っている。  そんな感じで始まった家事の分担は母を安心させたのか、夏休み中は一緒に干していなかった母の下着が僕をざわつかせる原因だった。  祖父母の家にいた頃は普通だった一緒に干された母の下着。幼い頃から母と過ごしていた僕には見慣れた物で、今更見たところでそれがどんな色でどんな形であっても〈母の下着〉でしかないし、今でも当然そうなのだけどピンチハンガーに干されたそれを見た時に猛烈な嫌悪感が僕を襲う。自分でも何がそうさせるのかが分からなくて戸惑ったものの、洗濯を取り入れた時に気づいてしまったその理由。  母と義兄の下着が隣り合って干してあった事が僕を苛立たせたのだ。  昨日まではどうだったのかと思い出そうとするけれど思い出すことができない。ただただ母と義兄の下着が並ぶのが許せなくて急いで洗濯を取り入れる。ひとつひとつ畳んでいくけれど、2人の下着を並べて置くのも躊躇われて離して置きたくなる。Tシャツやワイシャツ、部屋着なども干してあるけれどそちらは2人のものが並んでいても気にならないのに…。  僕のこの気持ちは一体何なのだろう?
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