僕 3

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僕 3

 気付いてしまったその気持ちをどう処理していいのか分からず毎日が過ぎていく。帰宅して洗濯を畳む度に確認する自分の気持ち。  やっぱり2人の下着が近い時は苛立ってしまう。同じピンチハンガーであっても離れていれば全く気にならないのに…。  母は洗濯物を片付けるのが僕であるため安心しているのか別で下着を洗うことは無くなったし、僕が畳むことも何も気にしていない。息子の〈性の目覚め〉を意識してくれてもいいのに、と思わないでもないけれど何も考えていないだろうところが母らしい。まぁ、僕も母の下着を見ても〈母さんの下着がある〉と思うだけだし、それを言えばその下着に何か思うわけでもない。  ただただ2人の下着が並んでいるのが気に入らないだけなのだ。  自分はおかしいのだと、慣れれば平気になるかもしれないと自分で自分を伺っていたけれど、やっぱりその気持ちに終わりはなくて苛立ち続ける僕は母に提案したんだ。 「洗濯干すの、手伝うよ」  そう言った僕にそんな時間があるのなら勉強をしなさいと言ったけれど、母が洗濯を干す時間は僕にとっては暇な時間だと言いくるめてその権利を勝ち取る。 「明日のご飯の下準備もあるんでしょ?無理してないか心配だし」  僕の言葉に母も折れるしかなかったようだ。そうして僕の平穏は訪れた。  2人の下着が並ぶのが許せないのは…母に対する独占欲?義兄に対する独占欲?気付いてはいけないその気持ちに蓋をして過ごす毎日。  気になりだすとそれぞれが使っているマグカップの位置だとか、4段の棚をそれぞれ使っている下駄箱の段の並び順、カトラリー入れの中に一緒に入れられた箸まで気になってしまう。  不思議なことに共通で使うフォークやスプーンを2人が使うことには気にならないのに、タオルだって共有しているのにそれは気にならない。    僕のこの気持ちは何なのだろうかと自問自答するけれど、答えを見つけることもできない。 〈独占欲〉と言われるとそうなのかもしれないけれど、母を取られると思っているわけでもないし、だからと言って義兄のことを邪な意味で見ているわけでもない。  義父と母の下着が並んでいる分には何とも思わないし、自分の下着の位置だって全く気にならない。そう思うと僕のこの気持ちは義兄に対する物なんだろうけれど、義兄のことは好きだけど今のところそこに性的な意味での欲はない。  そう思うも僕の気持ちは子どもが〈○○ちゃんは自分のもの!〉と主張する気持ちと変わらないのかもしれない。  義兄の持ち物の位置を気にする生活を送りながらも毎日は過ぎていき、僕は高校生になった。  受験はと言えばもともと心配がなかったところに義兄という優秀な家庭教師が付いたのだから最強だ。面白いほどに成績は上がり、先生からは志望校のランクを上げないかと言われたけれどそれは断った。勉強が特別好きなわけでもないし、工業高校に魅力を感じているためそこは不動だ。  義父や母は大学を見据えて義兄と同じ高校に行くのはどうかと打診されたけどどうせ1年しか一緒に通えないし、0時間目と7時間目なんて考えただけで嫌気がさす。義兄からは「もしも進学したくなったらまた考えればいいんじゃない?」と言われたためそれが後押しとなり僕の進路は決定した。  僕が高校生になると義兄は高校の最高学年となるわけで…。本人は大丈夫だと言うけれど、それでも何か手助けができればと夕飯の支度は少しずつ僕が引き受けるようになっていったのは自然な流れだろう。  7時間目を受ける兄よりも早く帰宅する僕は着替えをしたら洗濯を畳み、宿題をして義兄が帰ってきたら一緒に夕食の準備をする。簡単な料理な時は僕が引き受け、手間がかかるものの時はある程度まで義兄に助けてもらい大丈夫そうになったら兄には勉強のために時間を使ってもらう。時には「今日は息抜きしたいから」と2人で支度をする時もあったけれもそんな時は大体疲れた顔をした時で、心配な僕はそんな時こそ休んで欲しかったのだけれど「渉見てた方が癒される」と言われてしまえば断ることはできなかった。  そんな風に過ごしているうちにすぐに夏休みとなってしまいこの家に来て1年、すっかりこの家での生活にも慣れた。学校生活も順調で友達もできた。普段は家のことをしたいため早々に帰宅する僕だけど、夏休みならと遊ぶ約束もした。家事もそれなりにできるようになり義兄の手を借りることも少なくなった。 「兄さん、明日だけど僕出かけてくるから」  夏期講習から帰ってきた義兄にそう告げると怪訝そうな顔をされたけれど僕は話を続ける。 「普段遊べないんだから夏休みくらいはって誘われたんだ」  久しぶりの友達との外出に浮かれてしまう。家で義兄と過ごすのは快適だけど、たまには友達と過ごしたい気持ちももちろんある。夏休み中には祖父母の家や父の家にも行く予定なのでそれも告げておく。 「彼女?」 「違う違う。工業高校女子少ないし。  同じ中学だった友達だよ」 「幼馴染とか?」 「小学校も同じだけど幼馴染ではないかな?仲良くなったの中学でだったし。  兄さんはどこか出かける?」 「友達とは夏期講習で会うけど今年は遊びに行く感じじゃないな」  そうだった、義兄は受験生だ。 「どこかで俺の息抜きにも付き合ってくれる?」  願ってもない申し出だった。  夏休みが終わってしまえば受験勉強は一段と本格的になってくるだろう。そうなると義兄と過ごせる時間はあと僅かしかない。  母と僕というイレギュラーな存在に惑わされず成績を落とすこともない義兄は4月には自分の目指す大学の学生となりこの家から出て行ってしまうのだ。  自分で洗濯を干すようになってからは下着の位置にヤキモキすることもなく、マグカップの位置は義父と母、義兄と僕とセットで置くようにさりげなく置き替えていたらそれが定番となった。靴の段は取りやすいようにと身長順を主張することによって母と義兄の段を離した。  やっている事がおかしいことに気づいていたけれど気持ちと折り合いをつけるためには必要な事だと自分に言い聞かせ、義兄と離れればこの気持ちも落ち着くだろうと自分に言い聞かせる日々。  そんな中での義兄からの誘いは僕にとって魅力的でしかないのだ。  友達と出かけるのは賑やかで楽しくて。高校生が友達同士で出かけるとなるとゲーセンやボーリング、ファミレスやマックで騒ぐわけではないけれど賑やかに過ごすのが定番で、それに比べて義兄と出かける時は水族館やプラネタリウム、映画を見た後はお茶をして食事は家でが定番となった。  義兄との外出はデートのようだとドキドキしたけれど、義父と2人ではあまり出かける事がなかったから僕との外出が楽しいと言う義兄に他意は無いのだろう。  そんな風に過ごした夏休みはあっという間に終わってしまい、義兄の受験勉強はより本格さを増していく。と言っても本人はそれほど緊張していないようで毎日の生活もそれほど変わりがないし、変わったと言えばスキンシップが増えたことぐらいだろう。  夏休みに何度も外出を共にしたせいか、僕たちは本当の兄弟のように距離が近づき〈お兄ちゃん〉と呼んでもいいほどには打ち解けたけれど〈お兄ちゃん〉と呼ぶような年齢ではないため〈兄さん〉のままだ。  だけどソファーで座っている僕を後ろから抱え込み「癒しが欲しい」と言ってみたり、ソファーで眠ってしまった僕の隣に座り支えてくれたり、高校生の兄弟がこんなに距離が近いのはおかしいと抗議すると〈お兄ちゃん面させて〉と言われてしまったら断る事ができなかった。 〈お兄ちゃん面〉を間違えているような気がするけれど、あと半年だと思うと僕も淋しくて受け入れてしまった。  義兄に対する想いが増してしまうのは気付かないふりをして〈半年だけ〉と自分に言い聞かせた。義兄が家を出て仕舞えばこの関係性だって変わるだろう。  いつだったかスキンシップがあまりにも過剰で言った言葉。 「弟に癒し求めてないで彼女でも作ったら?」  そしてその言葉に対して返された言葉。 「大学に入ったらね」  その言葉に少しだけ胸の痛みを覚えたのだけど、義兄の僕に対する想いはきっとそう言う事なのだろう。今まで庇護される対象だった自分が手に入れた庇護する存在を守りたいだけ。  その庇護する対象から離れたら新しい対象を探すだけのことだ。 「渉は彼女は?」 「前にも言ったけどうちの学校は女子少ないから」  僕の気持ちなんてまるで気にしない質問に冷静を装って答える。僕だって中学生の頃は高校に入ったら可愛い彼女を作って、なんて考えていたのにそれを阻んだのは義兄の存在だったのに、義兄に僕の思いが届くことは無いのだろうし届けてはいけない感情だと理解している。  僕の感情を揺さぶらないで。  そんなギリギリの毎日はやがて終わりを告げ、義兄が家を出る日はやってくる。  大方の予想通り第一志望校に難なく合格し、入学式の前には大学の近くに借りた部屋に引っ越して行った。 「いつでも遊びに来ればいいから」  そう言って僕の頭をグリグリと撫でる仕草が僕の何かに触れるけれどそこに蓋をして笑顔で義兄を送り出した。  義兄がいなくなったところで僕の生活は変わる事がなく、洗濯も食事の準備も1人分の量が減ったせいで楽になったくらいだ。学習面でもタブレット学習を続けているし、専門的な科目はむしろ面白くて何の問題もない。  構ってくれる義兄がいなくなって淋しくなってしまったせいで友達と出歩く事が増えたけれど、義父も母も今まで真面目すぎだったとむしろ喜んでくれた。  義兄に言った通り工業高校は女子は少ないけれど、友達の彼女の友達を紹介されて〈彼女〉とまではいかないけれど連絡を取ったり遊びに行ったりはするようになった。  義兄に対する幼い独占欲も離れてしまえば薄れてしまったようでそれなりに楽しく毎日が過ぎていく。  大人と違い子どもは時間の流れが早く義兄が家を出たばかりだと思っていてもすぐに夏休みとなり、少しばかり羽目を外した夏休みはあっという間に終わってしまった。 「高校生でお父さんとかやめてね」  昼間は自分しかいない為〈彼女〉となった友達の彼女の友達と自分の部屋で過ごしてばかりだった夏休みの週末、母に釘を刺された時は焦ったけれどそれ以上は何も言われなかった。  ゴミ箱と隠し場所にはそれ以降、神経を使っている。  義兄は義兄で僕に彼女ができたと知っても「良かったな」と言っただけでそれ以上でも以下でもなかった。義兄が家を出た事で開いてしまった距離は「兄さんも彼女できた?」と軽く聞くことを許してくれなかった。  そんな事があって何だかモヤモヤしてしまったせいか彼女とは小さな諍いが増え、クリスマスを一緒に過ごそうという約束が果たされることはなかった。  友達に可哀想な子を見る目で見られたけれど彼女は何か言ってるのだろうか、と聞く気にもなれなかった。  彼女がいた時期にはそれなりに〈彼氏〉〈彼女〉を楽しんだけれど基本的に庇護される立場だった僕は〈彼女〉の望む事=僕のやって欲しい事だと気付いてしまい面倒になってしまったのもあり、その後は紹介されても〈彼女〉を作ることはなかった。  友達がそれぞれ彼女を作って僕との時間を取れなくなると自然と元の生活に戻り、気が付けば簡単な料理なら1人で作れるようになり、その頃には母も仕事の様々な部分で家庭に気を使う必要がなくなり1人での夕食が当たり前になった。  どうせ就職したら家に残ったとしてもすれ違いの毎日になるのでそれが少し早くなっただけだと思っても義兄と過ごした時間を思い出して淋しさを感じてしまう。いっその事祖父母の家や父の家に行こうかと思わないでも無いけれど、義父の気持ちを考えるとそれも躊躇われる。  そんな毎日を送り僕は3年に進級した。誕生日が来ればもう成人だ。
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