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十二時から夜七時までの七時間勤務の末、手にしたのは一万八千円。
五枚のお札で安物の財布はふっくら、気持ちよく膨らんでいる。
あたしは別に借金はないし、ヒモを飼ってるわけでもないし(ホストの彼なんてある意味ヒモよりタチ悪いかもだけど)、やよいのように夢のためにお金が必要ってわけでもない。
ただ、ずっと体を売って生きてきたもんだから、今さら普通の仕事をするのが、真面目に生きるのが、怖いだけ。
真面目に働くことは地獄で責め苦を受けるようなものだとしか思えない。こんな生き方ずっとは続けられない、若いうちだけだって、わかってる。
わかっていてもじゃあ明日から頑張ろうというエネルギーはなく、夢や目標と言えるものも見つからず、毎日はダラダラ過ぎていって、稼いだお金はいつのまにか洋服や化粧品やバックやらに姿を変えている。
小田急線沿いのとある駅で降りて歩いて十分、築十二年のマンションの三階が、あたしと統哉の愛の巣だ。
ドアを開けると当然、真っ暗。
壁を探って電気をつけると、きちんとベッドメイキングされたシングルベッドと塵ひとつ落ちてないフローリングと、ぶりの照り焼きと味噌汁とかぼちゃの煮物がラップして置かれたテーブルが目に入る。
ご丁寧にランチョンマットまで敷いてある。純和風の食卓なのに、なぜかオレンジのギンガムチェックってところが、たまにキズだけど。
テレビをつけ、ランチョンマットの端っこに置かれたメモを確認する。
『この前裕未香が和食食べたいって言ってたから今日は和食にしたよー田舎のお母さん風だよ♪ ごはん炊いてあるからねっ』。
ラップをかけた皿を順番にあたため、お茶碗にご飯をよそう。
芸人にドッキリを仕掛けるっていうあんまりおもしろくないバラエティ番組を見ながら、箸で魚の身をほぐす。普通に、おいしい。
あたしの母親は全然料理を作らない人だったからおふくろの味なんてわかるはずもないのに、おふくろの味だなぁ、と思う。
統哉の愛情をひしひし感じるのは、こういう時だ。男のくせに家事を完璧にこなし、連絡だってマメにする。
自分だけじゃなくて他の女の子にも似たようなことをやってるとわかってて、愛されてるんだなぁ、尽くされてるんだなぁ、とつい思ってしまう。
統哉にとってはあたしにご飯を作るのも、客の部屋で夜を過ごしてご飯を作ってあげるのも、同じことなのかもしれないのに。
ホストなんだから、女癖が悪いのはしょうがない。付き合い始めた時、ちゃんと覚悟したつもりだった。つもりだったけど、付き合って八ヶ月で、浮気されること既に六回。
いつも枕営業だって言うし、それはたぶん本当なんだろうが、だからって許せるもんでもない。
いくらホストでも、仕事でも、統哉が笑顔で他の女の子を抱き寄せたりキスしたりましてやエッチしたりなんて、平気でいれるわけがない。
平気でいれたらそれはもう、好きじゃないってことなんだ。好きっていうのはつまり、独占欲なんだから。
ふた切れ目のかぼちゃの煮物に箸をつけたところで、携帯が鳴る。バッグに入れたまんまで、底のほうに押し込んじゃってるから取り出しづらい。
しかもディスプレイに表示されてるのは非通知設定。怪しい。怪しすぎる。出ないでいたら一分近くも鳴り続け、切れた。ほっとしてかぼちゃを食べようとしたら、また鳴り出す。
気持ち悪くなってボタン操作して電話を切ったら、しばらくしてまたまた鳴り出す。切る。鳴る。切る。鳴る。そんなことを七回も繰り返した末、あたしはようやく電話に出る覚悟を決めた。
「もしも……」
『あんたなのっ、統哉と付き合ってるヤリマンって』
女からだったのは予想通りだけど、いきなりヤリマンだなんて言われたのは予想以上だった。怒るより呆れてしまう。冷静さを失ってる相手に逆上してもむなしいだけだ。
統哉が浮気したのは六回、そのうち相手の女があたしに直接対決を挑(いど)んできたのは三回。こういう状況にも、いつのまにか慣れてしまってる自分がいる。
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